第4回 |
戦後教育と個人主義について |
(99/8/30) |
登場人物
A……「普通の国」を目指す公務員志望の学生
B……外交官志望の学生
C……志望官庁未定の公務員志望の学生
T……3人の先生
T 去る8月15日、54回目の終戦記念日を迎えました。正確に言えば、日本の敗戦記念日、すなわち旧植民地の独立記念日です。
言うまでもなく日本は、現在、アメリカ合衆国に次ぐ経済大国ですが、終戦(敗戦)からここまで来られたのも先人達の努力の賜と思います。しかし、今の日本人には、国民共通の基本理念に対する迷いがあります。もはや「恥」の文化は存在しないのかも知れません。その原因は何だと思いますか? 大きいテーマなので、今日は戦後教育に限定して論じましょう。
A 僕は、個人主義を中心とした戦後教育が間違っていると思います。人権尊重も大事ですが、あまりにも自分本位で公のことに関心を示さない人が多すぎます。この間なんか、電車の中でキスをしているアベックを見ました。この間ガールフレンドにふられたばかりなので、無性に腹が立ちました。
B ガールフレンドにふられたのは同情します。ただ、君の言う個人主義は利己主義の意味だと思います。
T そうですね。小林よしのりの『戦争論』でも利己主義の意味で個人主義を使っていました。定義は、しっかりと共有しておかないと『朝まで生テレビ』みたいに議論が噛み合わなくなります。B君、個人主義とは本来、どういう意味ですか?
B 個人主義は、自己の人権・権利・自由だけでなく他者の人権・権利・自由も尊重するという考え方です。フランス人権宣言にも確かそのような趣旨のことが書かれていたはずです。
C B君に同意します。今年の終戦(敗戦)記念日の前後に、NHKの番組で「教育刷新委員会」が取り上げられていました。「教育刷新委員会」とは、終戦直後の日本国政府から委託を受けた8人の教育関係者からなる組織で、ここでは、個人と公(公共)との関係が論争となりました。そこで、ある委員の発言がありましたが、「個人主義」とは誤解を招きやすい表現で、「自他主義」のほうが正確な意味を表すとのことでした。
T そうですね。「個人主義」とは、自分と同じく他者を尊重する考え方です。私も、そのNHKの番組を見ましたが、個人と公(公共)は矛盾しないと考えます。正確には、個人と公(公共)は矛盾しないように調整されなければならないと考えます。フランス人権宣言にも、「自由は、他人を害しないすべてをなしうることに存する」とあります。実は紀元前にも、ブッダは、人は誰でも自分が世の中で一番愛しいと考えるから、「おのれの愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ」と言っています。
A だけど、アメリカはフランスと同じく個人主義の国と言っても、利己主義まで行っているのではないでしょうか? 弱肉強食の国だし……。
B その傾向はあるかもしれません。だけど、ビル・ゲイツにしても大きく儲ける一方で膨大な寄付を行っています。この辺で、バランスがとれていると思います。
T 今年の冬休みに読んだビル・トッテン『必ず日本はよみがえる!』にラルフ・ネーダーからビル・ゲイツへの公開質問状が引用されていました。そこには、驚くべき指摘がありました。それによると、ジェフ・ゲイツによれば、アメリカの最上位1パーセントの所有する富は、下位90パーセントの所有する富を上回るそうです。また、ニューヨーク大学のエドワード・ウォルフ教授によれば、ビル・ゲイツの正味資産は、アメリカの下位40パーセントの正味資産を超えるそうです。最近、ビル・ゲイツが膨大な寄付を行ったのも、公開質問状が一つの契機となったのかも知れません。
B それにしても、それは、すごいですね! 日本は、平等な社会でよかったですね。
C だけど、「日本ほど平等な社会は世界にはない」と言われていましたが、日本でも貧府の差が拡大しているという指摘が最近目立ちます。
T そうですね。セミナー受講生の親も、国・地方公共団体や一流企業が勤務先である人とか、会社経営者が最近多いようです。最近の税制改革も金持ちに有利ですから、ますます貧府の差が拡大し、権力構造も一部の階層に固定化するかもしれません。この問題は、後日機会があれば検討しましょう。
T ところで、「ミッチー・サッチー論争(騒動?)」についてどう思いますか?
A えっ! 先生も、芸能ニュースを見るのですか!?
T もちろん、見ます。社会の動きを知る上では、時々、芸能ニュースも見ます。小学生の精神構造を知るために、一緒に「ポケモン」も「デジモン」も見ます。
C 先生がミッチー・サッチー論争をとりあげる以上、何か狙いがあるのでは?
T そうです。ミッチー・サッチー論争は、教育勅語と個人主義(教育基本法)を曲解した利己主義の戦いなのです。
B えっ!話が急に大きくなったので、よくわかりません。具体的に説明していただけませんか?
T わかりました。ミッチーは68歳で、54年前は14歳です。彼女は小学校だけしか出ていませんから、教育勅語による教育だけで、個人主義教育は学校では受けていません。しかし、サッチーは67歳で、54年前は13歳です。コロンビア大学はともかく高校は出ていますから、中学・高校で個人主義教育を受けています。
A 教育勅語は詳しく知りませんが、与党の大物には信奉者が多いと聞きます。
T そのようです。
B だけど、GHQは、教育勅語は軍国主義につながると否定したはずですが…。
T そうです。しかし、天皇主権と軍国主義に繋がりそうな部分を除けば、それなりに合理性はあると思います。ただ、個人主義には、ややなじみにくいと言えます。
B 教育基本法のほうはどうだったのでしょうか?
T 教育基本法は個人と公のバランスを重視していますが、GHQは賛成してくれたようです。
A でも、実際には、今日の日本では個人にバランスが傾いているのではないでしょうか?
T そうです。戦前は国家権力=公益の追求=善、個人=私益の追求=悪(性悪説)という発想で敗戦を招いた反動で、逆に戦後は戦争加害者=国家権力=悪、戦争被害者=個人=善(性善説)であるという発想で個人のほうに力点が置かれすぎたように思います。
C しかし、例えば堕落したキャリアは国家権力=私益の追求=悪ですし、偉大な創業者は個人=私益の追求=公益の追求=善であるといえるのではないでしょうか?
T C君の言うとおりです。丸山真男が言うように、個人は、天使にも悪魔にもなれる存在です(性善・性悪混合説)。また、国家権力はホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」を回避するための必要悪です。だから、個人は、国民主権のもとでは、国家権力に積極的に参加し、国家権力やそれを担う公務員が暴走しないように常に監視しなければなりません。また、多数派が暴走することもあるので、少数意見を十分尊重するという慣習を確立しなければなりません。
A しかし、国民の多くは、権力=不条理=コントロール不可(「泣く子と地頭には勝てぬ」)と考えているのではないでしょうか。
T そうかもしれませんね。この問題を論ずると長くなります。次回以降も、多角的に考えてみましょう。
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