登場人物
A……「普通の国」を目指す公務員志望の学生
B……外交官志望の学生
C……志望官庁未定の公務員志望の学生
T……3人の先生
T 前回、日本人は「責任」の意味を曖昧に使用しており、その結果、本来責任を負うべき場合に、負うべき責任を負っていない場合があるということを指摘しました。
今回は、2年前の1997年に神戸で起きた、当時14歳の少年Aによる児童連続殺傷事件につき検討しましょう。少年Aはいかなる法的責任を負いますか、まず、A君、答えて下さい。
A はい。少年Aは殺人罪としての刑事責任を負います。
T 刑法上の責任能力は何歳からありますか?
A 14歳からです。
T 刑罰は科せられますか?
A 少年法の関係で、20歳未満は家庭裁判所で審理され、原則として刑罰は科せられません。
T その例外はありますか?
A 死刑・懲役・禁錮にあたる犯罪で、家庭裁判所が刑事裁判を相当であると認めたときは、検察官に逆送されます。しかし、16歳未満であれば逆送されません。彼は、現在、府中の医療少年院にいます。
T よく知っていますね!
A ありがとうございます。僕には、あの事件はショックでした。また、あの事件をきっかけに少年法にも関心を持ちました。
T そうですか。少年法の問題点は後日また機会があれば検討しましょう。
T では、少年Aは民事責任を負いますか。今度は、B君、答えて下さい。
B 少年Aは被害者とその遺族に対して不法行為を負います。
T 民事上の責任能力は何歳からありますか?
B 判例は、11歳11か月の少年店員に責任能力を認めましたが、12歳7か月の少年には責任能力を認めませんでした。
T なぜだと考えられていますか?
B 11歳11か月の少年店員に責任能力を認めたのは少年店員の使用者に民法715条の使用者責任を認めるためであり、12歳7か月の少年に責任能力を認めなかったのは少年の親に監督義務者として民法714条の責任を認めるためです。
T 一般に、何歳で責任能力があるとされていますか?
B 小学校を終了する12歳が基準になるとするのが通説です。
T そうですね。君もよく勉強していますね。
B ありがとうございます。僕は英米法が必修なので、特に、損害賠償の分野に興味をもっていました。ただ、僕は、日本の裁判所が認める賠償額はアメリカに比べると低すぎると思います。もちろん、アメリカのように高額な賠償も問題ですが、低額な賠償も被害者の救済という観点から問題があると思います。
T そうですね。賠償額の多寡の問題も後日また機会があれば検討しましょう。
T 最後に、C君に答えてもらいます。少年Aの親はいかなる責任を負いますか? まず、刑事責任はどうでしょうか?
C 刑事責任は負いません。
T 常にですか?
C もちろん、少年Aと親に共謀があったり、親が教唆または幇助したのであれば親も刑事責任を負います。しかし、あの事件では、そういう事実は認められません。
T でも、少年Aの親が買った本らしい本は、アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』だけですよ。また、少年Aの親は、少年が『エクソシスト』『オーメン』等ありとあらゆる残酷映画を見ることも容認しています。
C えっ! 本当ですか!?
T 本当です。私は、少年Aの親が書いた本で読みました。
C 親の教育に問題があるとしても、親に共謀があったり、教唆または幇助あったとはいえないので、刑事上の責任を問うことは無理だと思います。
T そうですね。では、民事上の責任を問うことは可能ですか? これは、平成10年国
l 法律職1次試験の民法でも出ています。
C 民法714条を未成年等に責任能力がないときに親等が補充的に責任を負う趣旨の規定であると解すれば否定的に解されます。しかし、判例は、被害者救済の観点から、親の監督上の不注意と損害との間に相当因果関係が認められるときには、親は民法709条の不法行為責任を負うとしています。
T そうですね。君も、よく勉強していますね。民事責任であの事件の問題点がすべて解決するわけではありませんし、失われた命は戻ってきません。しかし、こうした悲劇を繰り返さないようにするためにも、未成年者の親に対する民事責任の追及が一般化すれば、親も子供の教育にもっと関心を示したり、子供の日頃の言動にもっと注意を払うようになるのではないでしょうか?
A でも、アメリカのような訴訟社会になるのは問題です。
B 僕は、先生の意見に賛成です。民事訴訟は日本の場合、少なすぎます。民事訴訟で加害者側の負担は増えますが、親が保険に入ればいいと思います。生保や損保にも、どんどんいい商品を開発してもらいたいですね。あまり評判のよくない「転換」を勧めることで体質強化することを止め、新しい商品を開発して金融の自由化に立ち向かうべきです。
T 保険の役割も重要ですね。
C 僕は、視点は違いますが、民事訴訟の活用には賛成です。刑事事件だと少年法の壁があり、民事事件に事案の解明を期待するという向きもあると聞きます。
A 確かに、そういう側面はありますね……。
T 戦後の日本では、被害者とその家族の人権より被疑者・被告人とその家族の人権が優越するという歪んだ構造がありました。おそらく、戦前は共産主義者から自由主義者まで知識人が弾圧されたので、その反動から、戦後は国家権力=人権抑圧者=冤罪加害者=悪、被疑者・被告人=人権被抑圧者=冤罪被害者=善という発想が刑事法の学者や人権派の弁護士を中心に知識人に根付いたからだと思います。
しかし、特高警察のあった戦前とは異なり、現在では国家による人権侵害よりも、社会的権力をはじめ私人による人権侵害のほうが質・量ともに増大しています。もちろん、現在も国家権力による人権侵害や冤罪は皆無とは言えないでしょう。また、決してあってはなりません。
しかし、一般に事件として問題となるのは、被害者とその家族=善、被疑者・被告人=悪というケースではないでしょうか?
被害者・被害者の家族は、生命・身体・財産という貴重なものを失っています。他方、私的な自力救済は禁じられています。国家は、被害者や被害者の家族に復讐を禁じている以上、被害者側の救済の実現に最大限協力する義務を負うべきではないでしょうか?
B しかし、被疑者・被告人の人権も守らなければなりません。
T もちろんそうですが、一般国民と同等に保障されますか?
C 適正な手続に則って、適正な処罰を受けるために人権は一般国民よりは制約されます。
B ただ、被疑者・被告人が少年の場合、少年や少年の家族のプライバシーは保護されなければならないのではないでしょうか?
A それを言うのなら、被害者とその家族のプライバシーこそ尊重されなければならないはずです。
C 確かに、被害者とその家族は実名・写真入りで報道され、未成年者の加害者・被疑者・被告人とその家族は実名・写真入りで報道されないというのはおかしいですね。
T 私も、被害者とその家族の失ったものとその悲しみを考慮すると実名・写真入りで報道するのはむしろ疑問だと考えます。しかし、成年者の加害者・被疑者・被告人の実名・写真入りでの報道は、本人の再犯を防ぎ、一般人に対する見せしめともなるので、むしろ望ましいと思います。
C 特別予防と一般予防ですね。
T そうです。社会的制裁における特別予防と一般予防ですが。しかし、未成年者の加害者・被疑者・被告人とその家族は実名・写真入りで報道しないほうがいいと思います。未成年者は、将来、更生の可能性も高いので、実名・写真入りの報道は社会的制裁として大きすぎます。そのかわり、民事上の責任があれば、一生かかってでも、きちんととってもらうのです。また、その家族の実名・写真入りの報道は、加害者・被疑者・被告人が成年・未成年を問わず、社会的制裁として大きすぎます。しかし、家族でも監督責任が認められる者は、民事上の責任を一生かかってでも、負うべきです。
B 被害者のYさんの母親は、少年Aとその親を許していたようですが……。
A 僕は、自分の子どもが殺されたら、相手を一生許さないと思う! 可能ならば、加害者を殺すかも知れない! しかし、今の少年法だと、少年の保護に傾く一方、被害者に対する情報公開や救済手段が乏しすぎる!
C でも、刑事責任は国家権力に委ねるしかない。それが、法治国家だと思います。だけど、それだけでは許せないと思う人が多いと思います。だからこそ、被害者を配慮した形での少年法や刑事手続の改正が必要だと思います。また、民事訴訟を起こすかどうかは、原告の自由だから、刑事事件だけでは我慢できない人は、積極的に民事訴訟を提起すればよいと思います。
T そうですね。一方で、「子どもの命をお金に換えるのか!」などと心ないこという人もいます。しかし、事情を知らぬ第三者の無責任かつ間違った考えだと思います。社会的制裁や刑事制裁を加えられても、全く反省しない加害者・被疑者・被告人・監督責任者もいます。民事訴訟を提起する人たちの多くは、お金が欲しいというよりは、加害者側に全く反省の色や誠意がないことに腹を立てて提起する場合も少なくないようです。そういう場合には、民事責任による制裁こそ効果的だと思われます。ただ、現状では、民事上の責任を一生かかってでも負わせるシステムが不充分です。また、未成年者に責任能力もなく、監督責任者がいない、または監督責任がないケースも考えられます。その場合の国家補償を含めて、被害者サイドの人権を再検討すべき時期に来たと言えます。
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