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『この国のかたち』を考える |
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過去の歴史を書き換えることはできても、過去の事実そのものを変えることはできない。しかし、人は今に生き、未来を創造できる。 このコーナーでは、憲法や行政法の基礎知識を前提に、将来の日本を担うであろう人たちと一緒に「この国のかたち」を考えてみたい。 |
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はじめに 過去の歴史を書き換えることはできても、過去の事実そのものを変えることはできない。しかし、人は今に生き、未来を創造できる。 今回は、「政・官・業のトライアングル」に関連して「構造改革とは何か?」について考察する。 構造改革と景気回復との関係 この原稿を書いている2003年1月の時点においても、小泉首相は「構造改革なくして、景気回復なし」と力説している。他方、「景気回復なくして、構造改革なし」と反論する論者もいる(植草一秀『現代日本経済政策論』 )。 いずれが正しいのだろうか? 構造改革と景気回復の関連性は高いものの、本来は別であり、構造改革と景気回復を両方推進する(佐和隆光『資本主義は何処へ行く』<NTT出版> )というのが妥当な立場ではないだろうか? とはいえ理論的にはともかく、現時点では、構造改革と景気回復のどちらに力点を置くか、どちらに優先権を与えるべきか、という問題は残る。 しかし、どちらが大事か議論している間に、日本は沈没を続ける。構造改革であれ、景気回復であれ、政府は責任をもって有効かつ適切な具体的な政策を打ち続けることが必要となる。その政策が誤っていれば、国民は他の政策、政党を支持すべきである。そのためには野党がしっかりとした政策をもっていることが必要となる。 不良債権処理に関する議論 構造改革や景気回復に関し、不良債権の処理の必要性が力説される。 ここでも、「不良債権は不況の原因である」か、「不良債権は不況の結果である」かという議論がなされる。 しかし、「不良債権は不況の原因であり、不況の結果でもある」とする立場が妥当であろう(伊藤元重+伊藤研究室『日本経済がわかるキーワード』<日本経済新聞社> )。 前にも指摘したが、不良債権処理を進めないことは、短期的には債務者である企業に勤める労働者の雇用は確保されるというメリットはあるものの、長期的に見た場合、資金と人材が効率の悪い分野に集中していることを意味するから、社会全体としては望ましいわけではない。問題は、不良債権処理を進めるに当たってのセーフティ・ネットの構築と新産業の保護・育成のための政策である。 では、どのような政策が有効かつ可能なのか? 2002年から2003年にかけて何人かの日本を代表する人たちの本を参考にしながら自分なりに考えてみた。 ワークシェアリング まず、失業対策と雇用確保の切り札としてワークシェアリングが議論されている。オランダでは20年以上の実績がある。1988年の時点では10%を超えていた失業率が2000年の時点では2%台に下落した(『クローズアップ現代』p300)。 注意しなければならないのは、オランダの場合、時間数に比例して給与は下がるものの、福利厚生の面では正社員と同じという点である。正社員にフルタイムの正社員とパートタイムの正社員があるといったほうがわかり易いかもしれない。日本でもワークシェアリングを導入する余地は十分にある。 身近な例をとる。ある中央省庁に勤めている教え子(いわゆる国 I キャリア)の年賀状に「1ヶ月の残業時間は200時間を超えている」との記述があった。25日働くとしても残業時間だけで毎日8時間以上である。全省庁の公務員の深夜のタクシー代を考えると、兆単位の相当な金額になるだろう。それならば、キャリアをもう1人雇って定時に帰ってもらったほうが効率的ではないか? 公務員の人数だけ制限して、それ以上にコストのかかる無駄な予算(タクシー代)を削減しないのは、行政改革の理念に反するし、過酷な時間外労働は人的資源の浪費である(民間企業であれば雇用者は処罰の対象となる)。国家 I 種の合格者は増やしているが、内定者の数は少ないままである。内定者の数も今の2倍にすべきである。2倍程度であれば学力的に問題はない。 またこんな例もある。全国の公立小中学校を30人学級(現在は40人学級)にした場合、11万5000人の教員と年間人件費9600億円もの費用がかかるという(2002年2月18日読売新聞 )。文部科学省はその財政負担の大きさと少人数学級の効果が不明であることを理由に30人学級の導入に否定的である。しかし、教員1人あたりの年間の人件費が800万円という試算にも問題があるし、少人数学級は塾などでは昔から導入されているし、公立小学校で実績のある陰山英男先生も強く導入を求めている(『日本の論点2003』(文藝春秋)論点―59 )。ここでも非常勤の教員を導入すること(ワークシェアリング)によって、問題の解決が図られるのではないか? このような分野で雇用された人は知的レベルも高いので、パソコンを買ったり、芸術や旅行にもお金を使うだろう。このようにワークシェアリングによる消費拡大(乗数効果)も期待できる。 環境保護と経済発展の両立 アメリカでは、最近「環境保護より経済成長を優先すべきである」という立場が有力となった(ブッシュ大統領)。他方で、「経済成長よりも環境保護を優先すべきである」という環境保護団体の立場がある。ここでも、「経済成長と環境保護は両立する」と考えるべきである。 現に、デンマークでは1988年から二酸化炭素を11%削減する一方で、GDPが27%も伸びている(『クローズアップ現代』p289 )。環境税で得た財源を環境保護に尽くした企業に補助金として交付して効果を上げたのである。 日本でも検討に値する。日本は環境に負担を与えない優れた技術をもっている( 早房長治『この国の処方箋』<ウェッジ> )。世界的な環境基準の設定に努力することは、優れた日本製品が売れるという点で日本の経済的メリットにもなるし、酸性雨から自国の自然環境を守るという視点からも重要である。 アメリカモデルかヨーロッパモデルか 今回、オランダやデンマークの例を出した。 そうすると必ずあるのは、「日本は経済大国であり、ヨーロッパの小国の例は参考にならない。日本が唯一参考に出来るのはアメリカだけである」という議論である。この種の議論は経済官庁のキャリアに見られるとのことである(2002年12月号『現代』小林慶一郎「不良債権処理は、まずモラルの問題である」)。藤原帰一東大教授(国際政治)もこれを「慢心」と呼んでいる。アメリカの市場中心主義に対しては、一般の人には親米的と見られている人ですら警戒的なのである(木村剛『日本資本主義の哲学』<PHP研究所>)。 ヨーロッパの国であれ、アメリカであれ、参考にすべき制度や政策はどんどん試すべきである。 少子・高齢化に対する対応 日本の女性が生涯に産む子供の数(合計特殊出生率)はわずか1.33人(2001年)。他方、65歳以上の老人が2005年は5人に1人、2025年には4人に1人、2050年には3人に1人の割合になると予想されている。出生率の低下と高齢化率の上昇は医療、介護、年金など社会保障負担の増加を招く。 なぜ子供が増えないのか? 日本では一般に女性の社会進出や晩婚化・非婚化がその原因として挙げられることが多い。しかし、北欧では高学歴の女性のほうが経済力もあるので、高学歴でない女性よりも子供をたくさん産んでいるとの報告もある。まず仕事と子育てが両立できる環境・体制づくりが望まれる。 しかし、「子供を産むと損である」という人達(1960年代前半以降の女性に多いという)には何の効果もない。今の状況を解消し、さらに景気回復も狙うならば、所得税・住民税における子供の扶養控除額を大幅に拡大したり、低所得者層には報奨金(補助金)を交付したりして、「子供を産んでも損にならない(得になる)」という体制にすることが大事である。 高齢社会をマイナスのイメージでみるのではなく、プラスのイメージで捉え直すことも重要である。高齢者は病気で介護を要する経済的弱者ばかりではない。健康で経済的に豊かな人も多い。その証拠に日本は世界有数の長寿国であるし、1400兆円の個人金融資産の過半数を高齢者が持っている。豊かな高齢者向けのサービス業も拡大するだろう。 一般論としては、国や地方公共団体は一律に高齢者にサービスを提供するのではなく、本当に困っている人にサービスを提供するようにすべきである。 社会保障負担の増加に対しては、京大の佐和隆光教授によれば日本の薬価(約9兆円)を国際標準(日本の3分の1)にするだけで約6兆円の節約ができるとのことである。日本の製薬会社にとっては痛手だが、年収500万円の医療関係者を120万人雇用できるという効果は大きい(国際競争力のある新薬の研究開発のための資金も必要なので、3兆円の節約にとどめても、60万人の雇用が可能となる)。 土建国家から教育国家へ 我が国では年間約50兆円の土木事業が行われている。国民1人あたり40万円を超える。5人家族であれば、1年で約200万円が公共事業に使われている勘定となる。本当に必要な公共事業もあるが、国税が年間50兆円も期待できないのに、財政投融資を使ったり、国債や公債を発行してまで必要以上の公共事業をやり続ける必要があるのか? 公共事業で潤っているのは地方であって、都市の住民は損をしている(議員定数の不均衡の是正も必要である)との土居丈朗氏の指摘も重要である(『財政学からみた日本経済』<光文社新書> )。 その50分の1の1兆円あれば年収800円の先生を12万人雇え、30人学級が実現できる。人件費を半分に抑えれば、24万人の先生を雇える。小・中学校の先生の平均年齢は40歳をはるかに超える。若い先生をもっと採用すべきである。もともと小泉首相のいう「米百俵の精神」とは教育を重視した考えではなかったか? 現在、国民の所得格差・資産格差は拡大する傾向にあるという。公教育の衰退は親の所得格差・資産格差に対応した形で、学力格差を招く。学力格差と全体としての学力低下は国力を衰退させる。公教育の充実が望まれる。 地方分権 国と地方との関係は、権限については国と地方の関係を上下関係と位置付けた機関委任事務の廃止で一応の決着をみた。 しかし、財源の問題が残されている。すなわち、国と地方の歳入の比は3:2だが、歳出は2:3となっている。榊原英資氏は歳出は実質1:4ではないかと指摘する(『分権国家への決断』<毎日新聞社> )。 そこで国から地方へお金の移転が必要となるので、国の地方に対する官僚の統制と国会議員の介入を招く結果となる。 この流れを断ち切るためには、国から地方への財源の移譲が必要となる。この点は、榊原英資氏や土居丈朗氏も指摘するところであるが、ようやく2003年に入り塩川財務大臣もこの点を強調し始めた。 政と官の関係 政と官の関係についての根本的な見直しが必要である(大石眞・久保文明・佐々木毅・山口二郎『首相公選を考える』<中央公論新社> )。 同じ議院内閣制の国でもイギリスでは与党議員でも行政府内に入っていなければ、官僚とは接触できない。 しかし、日本では与党の有力者が必ずしも内閣に入らず、党の幹部として腕を振るい、党の各部会で内閣提出法案の事前審査をし、内閣の政策にブレーキをかけたりもする(二重権力構造)。その結果、内閣総理大臣のリーダーシップは絵に描いた餅となる。 そこで、イギリスのように官僚と接触できるのは、大臣・副大臣・大臣政務官だけとし、国会議員と官僚との接触を禁ずることが大事である。 一方で、衆・参両議院の事務局と各国会議員スタッフの充実も必要となる。 これからの公務員 ある教え子の若手キャリアが私を訪ねて来た。「霞が関で朝早くから夜遅くまで仕事をして、深夜や明け方にタクシーで帰ると、世の中が不況だとは全く実感できないし、視野もだんだん狭くなる。」彼はそう言いつつも、毎日、(税金の無駄使いをしないため)終電で帰り、(仕事が多いため)始発で登庁し、忙しい中、土・日に(視野を拡げるため)私に会いに来た。彼のように1ヶ月の残業時間が150時間〜200時間を超える人はざらにいる。地方公務員に比べ、国家公務員は、なかなか自由な時間が取れないかもしれない。しかし、いろいろな人と会い、文学や芸術にも親しむ努力も必要がある。 国民は、頭は冷静でも心は温かい公務員を求めている。期待が大きいほど裏切られた場合の失望も大きい。今はそうした状況ではないか? 本当に国民の方向を向いた政策を企画・立案・実行すれば国民の信頼感はすぐに取り戻せるはずである。 最後に 今回でこの連載は一応終わる。今年の公務員試験も目前である。「この国のかたち」をよりよき方向へ換えるため、皆さんの若い力に期待したい。 |
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※本稿は、『Civil Service』(早稲田経営出版)2003年5、6月号に掲載された原稿を一部抜粋し、加筆したものです。 | ||
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