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日本の今を考える

『この国のかたち』を考える

 過去の歴史を書き換えることはできても、過去の事実そのものを変えることはできない。しかし、人は今に生き、未来を創造できる。

 このコーナーでは、憲法や行政法の基礎知識を前提に、将来の日本を担うであろう人たちと一緒に「この国のかたち」を考えてみたい。

選択的夫婦別姓(別氏)制について (24/09/27)

 もう35年以上前になるが、平成元年に私と妻が結婚をするにあたって、長男・長女同士だったので、夫婦同姓(同氏)制でなかなか結婚できず、とても難儀した。また、一人っ子同士でなかなか結婚できず悩んでいた知人もいた。

 当時、妻の父に「結婚には反対しない(賛成する)が、ぜひ我が家の氏を名乗ってほしい。お墓も守ってくれ!」と懇願され、非常に困った。

 「渡辺(わたなべ)」には濁音も入っており、あまりいい響きの姓(氏)だとは思ってはいなかったが、渡辺氏の先祖は、嵯峨天皇の子孫である渡辺綱(わたなべ の つな)に始まるので、姓(氏)には執着していた。渡辺に限らず、姓(氏)には歴史がある。

 また、仮に妻の姓(氏)に代えた場合を想像してみると、今までの人生の半分が否定されるような感じもした。当時、改姓(改氏)に伴う各種の手続きも非常に煩雑だった。

 いろいろあって、関係者にはとても心配や迷惑をかけてしまったが、結局、妻には私の姓(氏)を名乗ってもらった。

 後に、妻は、妹にお婿さんを必死になって探して(妻の当時の職場関係者には大変お世話になりました)、実家の姓(氏)を残してもらった。義母は5年前、義父は今年、他界したが、今、義妹夫婦が義父母の姓(氏)を引き継ぎ、法要を営み、お墓を守っている。

 今年の6月、経団連による選択的夫婦別姓(別氏)制の提言があった。
 https://www.keidanren.or.jp/policy/2024/044_honbun.html#s5

 にもかかわらず、岸田内閣総理大臣(注:私と同世代で、就任前から『岸田ビジョン』を読み、大いに期待していた…)は、「選択的夫婦別姓(別氏)の導入には未だ議論が必要だ」と発言していた。35年以上も前から問題だったので、「今更『議論が必要だ』はないよ!」と思った。

 9月には、選択的夫婦別姓(別氏)制が自由民主党の総裁選挙の争点の一つとなったが、小泉候補が「決着をつける」と明言したのには大変、驚いた。「時代も変わった。新しい政治家が出てきた!」と思った。

 しかし、明治以降とはいえ、夫婦同姓(同氏)制は定着している。また、日本の伝統は夫婦同姓(同氏)だと誤解している人も少なくない(注:北条政子は源政子にならなかったし、日野富子は足利富子にはならなかった。明治時代に夫婦同姓(同氏)が制度化される前は夫婦別姓(別氏)だった)。

 したがって、高市候補(注:彼女は山本拓氏と結婚後、一度「政策の不一致」で離婚したが、同氏と再婚している。彼女は、最初の結婚では「山本」氏を、再婚では「高市」氏を選択したようだ)のように、夫婦同姓(同氏)制を基本(戸籍)としながらも、夫婦別姓(別氏)でも法律上、不都合がないように法改正して行く方法は、政治家として現実的で実践的な選択だと思う。

 また、「法的安定性と具体的妥当性の調和」の観点(注:「法的安定性と具体的妥当性の調和」は法律解釈の基本であると法学入門で習うはずであるが、知らない法学部生も少なくない)からも、皆が慣れ親しんだ夫婦同姓(同氏)制をベースとしながらも、夫婦別姓(別氏)が通用する領域を拡大していくのは非常にいいのではないかと思う。加藤候補も同趣旨の発言をされていた。

 家族の一体性を強調し、夫婦同姓(同氏)制を主張する気持ちもわからないではないが、一人っ子同士の結婚の場合、夫婦同姓(同氏)制だけだと、どちらか一つの姓(氏)が消滅し、いずれ供養や墓守をする子孫も消滅することになってしまう。

 夫婦同姓(同氏)制で現に困っている人がいる以上、何らかの形で、結婚前の姓(氏)を法律的にも使える制度の拡大は必要である。

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