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私はこう考える

関東大震災Uに備える(1) (08/08/08)

はじめに

 私事で恐縮だが、私の母方の祖母は福井から勉強のため上京し、1923年9月1日に関東大震災1に遭っている。またその祖母を含む4人の祖父母と両親を含む親族は死者数では阪神・淡路大震災に次いで戦後日本で2番目に多い被害を出した1948年の福井地震2で生き残っている。特に母方の祖父は福井市の中心部にあった映画館「国際劇場」で人気映画の「愛染かつら」を見ていたそうだ。当時の新聞記事には全員死亡したと書いてあったとも言われているが、祖父は倒れてきた壁の窓に向かって走ったので、実は助かっている。やはり全員は死亡してはいなかったようだが、それに近い惨状を極めていたようだ3。このように幼い頃から折にふれて親族からは大地震の恐ろしさを聞かされていた。最近は慣れてしまったが、約30年前に東京に来た時、東京は福井よりも地震が多いなと感じたものだった

 1995年の阪神・淡路大震災も他人事ではなかった。TVの画像を見て、「多くの人が埋まっているはずだ。火も出ている。道路や線路が寸断されている。なぜ自衛隊も警察も消防も誰も助けに行かないのか!」と怒りを感じたものだった。しかし歳月とともに怒りは薄れ、震災グッズなども用意しなくなっていた。

 最近、改めて大地震に関心をもったのは、やはり2008年5月12日に発生した中国の四川大地震がきっかけである。ちょうど国家 I 種の1次試験と2次試験の間で、私は渡辺ゼミ生を相手に人事院面接対策を実施していたが、「社会事情」に四川大地震を挙げる人が極めて少なかったのには驚いた。さらに驚いたのは、今回の日本政府の対応でよかった点と悪かった点を答えるように言っても、受験生は受験勉強ばかりしていたせいか、満足に答えられない。では、首都圏直下型の大地震が起きた場合に、阪神・淡路大震災や四川大地震での教訓を踏まえ、地震の直後(あるいは中期的・長期的)に、A省としてはどう対応するかを聞いても、これまた満足に答えられない。キャリア官僚の予備軍とは言え、危機管理能力のなさと想像力の欠如が浮き彫りとなった。

 何とかしなければ歴史は繰り返す。そういえば地震に遭遇し、電話をかけ続てた「さきがけ」(当時の連立与党の一つ)の国会議員がいたはずだ。検索すると高見裕一氏であることがわかった。早速、彼の本をアマゾンで3冊ほど注文した。驚いたことに絶版になっているものもあって、1円(プラス送料)で3冊も買えた。

 ちょうど本が届いたのが2008年6月14日だった。岩手・宮城内陸大地震の起きたその日である。その1週間前に地震やゼミ生相手の面接の様子を講師仲間やお茶の水校の事務局の人たちに話していた。そのちょうど1週間後に大地震が起きたので、彼らは大変驚いていた。

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