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日本の今を考える

「温故知新」-I LOVE JAPAN, I LOVE KYOTO.-

 京都にはもう何回行っただろうか?平成5年からここ10年以上、立命館大学やWセミナー京都校での講義やゼミ、京都大学での特別講演会などで毎年最低10回は行っているので最低100回以上、ひょっとして200回近くになっているかもしれない。それでも、ずっと京都に住んでいる人にはかなわないが、かえって私のように月1回程度京都に行く人のほうが、新鮮な目で京都を見ることができるのかもしれない。とはいえ私は仕事(講義・ゼミ・講演会)で行くのであって、観光が目的ではない。そこで私が紹介できるのは、原則として駅やホテルから往復3時間程度で行けるような場所が中心となる。
永平寺 (24/10/14)

 永平寺は私の故郷である福井県にある。
 永平寺は曹洞宗の大本山である(*1)

 https://daihonzan-eiheiji.com/

 小学生と中学生の時に遠足で計2回行ったと思うが、もう半世紀以上も前になるので、あまり記憶がない。
 ただし、@山の斜面に伽藍が複数あるため、それらを繋ぐ階段状の廊下(注:もちろん普通の水平の廊下もある)とA座禅をする場所(「僧堂」)の記憶が少し残っていた(注:座禅も少しだけ体験したような気もする)。
 全体として、B雲水さん(注:永平寺の修行僧)達は厳しい修行をしているのだなという印象を持っていた。

 10月8日(火曜日)、福井市役所での用事が朝早く終ったので、夕方に予約した帰りの北陸新幹線(福井から上野・東京まで3時間弱)の前に、超特急で参拝してきた(*2)

 まず、バスから降りると空気が違うと思った。時々、深呼吸した。

 参拝客は、日本人が多い(標準語、関西弁、福井弁が聞こえて来た)が、アジア系の外国人(特に中国)の参拝客も多いのかな…という感じがした(注:逆に欧米系の外国人は後述する1人、アフリカ系の外国人の参拝客は0人)。
 道元(*3)は中国(宋)にも留学しているし、伽藍建築も中国の影響を受けている(例えば、「山門」は中国の唐時代の建築様式である)。20世紀、中国では文化大革命で寺院等の伝統的な建物は数多く破壊されているので、中国人にとって、道元や永平寺は、中国人には親しみやすく、懐かしさを感じさせるのかもしれない。
 今、日中関係が非常に悪化しているが、その改善のためには民衆レベルの文化的な相互理解が重要かつ必要で、その効果は、ほんの少しで間接的であっても、政治的な緊張緩和(注:江沢民以来の反日教育の効果を相殺する)、ひいては日本の安全保障にも繋がると思う。

 多くの人が受ける印象だと思うが、永平寺は、廊下がピカピカだった。
 「只管打坐」(しかんたざ)とは、単にひたすら座禅に集中するという意味だけではなく、その時々の各自の取り組みに集中することも意味すると過去2回の参拝の後、知った。私にはプラモデルの制作や受験勉強に取り組んでいて数時間があっという間に経っていたという経験があるが、それも「只管打坐」だったと思う。
 雲水さん達は、自分の心を磨く意識(自己の修行)で、また、参拝客の為(利他行)に、掃除をしている時には掃除することに全力で集中して、日々、廊下を磨いているのだと思う。

 ガイドの雲水さんのお話を熱心に聞いていた団体もあった。時間に余裕があれば、そこに紛れ込んで一緒にお話を伺おうかと思ったが、時間がなかったので止めた。

 外国人の雲水さんもいると聞いていたが、実際に一人目撃した。
 欧米系(白人)の若い雲水さんだったが、同年代の若い女性(同じく欧米系の白人)と一緒に話しながら歩いていた。
 どういう理由で、外国人なのに雲水になったのか、なぜ今、男女二人一緒に歩いているのか、少し気になった(「人生いろいろ」?又はその雲水さんは外国人参拝者(たまたま女性)の案内係?)。
 この話を学生に話したら、「先生、聞くだけ野暮ですよ!」と言われたが、もちろん聞いてはいない。

 「仏殿」(注:本尊はお釈迦様(釈迦如来)と過去仏と未来仏)で私の前に参拝していた日本人の若い女性二人(20代前半?)は、「二礼二拍手」(←「それは神社だよ!」と言いたかったが、止めた。二人は「神仏習合」を地で行っていた!)をした後、ずっと祈っていた。
 最後まで祈っていた一人がもう一人に、「願い事をたくさんしちゃった!」と言っていた。
 もちろん自分の願い事の実現(「心願成就」)は人生にとって大事(「自己実現」)だが、世界や日本が平和でなければ、願いはかなわない。憲法の基本理念である基本的人権と国民主権の大前提として、平和主義が必要であるのと同じである。ウクライナやイスラエル(特にガザ地区)では、平和が失われ、基本的人権(特に、一番大事な人身の自由)が奪われている。
 参拝者の願いが、道元さんが「永平寺」という名前に込めたと思われる「人間社会(世界)が永遠に平和でありますように…」という願いと両立することを祈った。

【注】
(*1)永平寺
 曹洞宗の大本山である永平寺は福井にあるが、福井では親鸞の子孫である蓮如が吉崎御坊を拠点に布教活動をがんばった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%A6%82
 https://www.honganjifoundation.org/rennyo/
 したがって、福井では、浄土真宗の信者のほうがはるかに多い。
 しかし、福井県に住む人や出身者の多くは浄土真宗の信者であっても、やはり永平寺や道元禅師を誇りに思っているのではないかと思う。

(*2)交通手段
 京福バス(高校まで大変、お世話になりました)の直通バスを利用した。
 永平寺の開門時間に合わる形で、行きは1時間ごとに6本、帰りは約1時間ごとに7本の便がある。所要時間は片道ほぼ30分(意外と短く感じる)。
 https://bus.keifuku.co.jp/rosen-season/eiheiji-liner/
 私は以下のスケジュールだった。
  10:50 福井駅(東口1番乗り場)出発(運賃750円)
  11:20 永平寺バス停到着
  →11:30永平寺参拝開始(参拝料700円)→12:20参拝終了
  12:30 永平寺バス停出発(運賃750円)
  13:00 福井駅(東口)到着
 生憎の雨だったが、傘はあまり使わずに済んだ。
 参拝料より片道の運賃が高いのには少し驚いた。
 しかし、少子高齢化による乗客の減少(9月に遠距離の路線バスは大幅に削減されていた)もあり、仕方がない、またガソリン価格も高騰しているので、やむを得ないと思った。

(*3)道元禅師
 以下は、2009年に読んだ大谷哲夫『永平の風 道元の生涯』(文芸社)からの印象も含む。
 道元は天皇家と親戚(一時期、天皇と従兄弟?)の関係にあった。
 京都で迫害も受けたが、天皇家との繋がりがなければ、もっと酷い目に遭っていたかもしれないと思った。
 波多野氏の尽力もあり、福井を修行の場とした。
 病気になって、治療の為に故郷の京都に戻ったが、遷化した。
 遺体は京都の建仁寺(注:祇園の近くにあるお寺。栄西禅師が開いた。道元は栄西にも師事した)で荼毘に付された。
 https://www.kenninji.jp/
 また、遺骨は永平寺の「承陽殿」(じょうようでん)に収められた。

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