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1999年「今年必ず出る判例」シリーズバックナンバー 憲法
5/25掲載 今年必ず出る憲法判例第1位
 それは、人権では愛媛玉串訴訟違憲判(最大判平9.4.2=平9重判3)、統治では国会議員の名誉毀損行為につき、国会議員の責任は認められないが、国に例外的に責任を認める余地があるとした最判平9.9.9=平9重判9である(事案の処理としては否定した)。論文試験にも要注意。
◎愛媛玉串訴訟(最大判平9.4.2=平9重判3)
 県が本件玉串料等を靖國神社又は護國神社に前記のとおり奉納したことは、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と靖國神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たると解するのが相当である。

◎最判平9.9.9=平9重判9
 国会議員が国会で行った質疑等において、個別の国民の名誉や信用を低下させる発言があったとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が生ずるものではなく、右責任が肯定されるためには、当該国会議員が、その職務とはかかわりなく違法又は不当な目的をもって事実を摘示し、あるいは、虚偽であることを知りながらあえてその事実を摘示するなど、国会議員がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。


6/4掲載 今年必ず出る憲法判例第2位
 それは、信教の自由に関する「エホバの証人」剣道拒否事件(最大判平8.3.8=平8重判5)と「オウム真理教」解散命令事件(最大判平8.1.30=平7重判5)である。結論だけでなく、理由も押さえておこう。前者は、論文試験にも要注意(外 l 論文過去問に類題がある)。
◎「エホバの証人」剣道拒否事件(最大判平8.3.8=平8重判5)
[1]信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替指置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法二〇条三項に違反するということができないことは明らかである。また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。
[2]以上によれば、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修許否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規定及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。
◎「オウム真理教」解散命令事件(最大判平8.1.30=平7重判5)
[1]宗教法人法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度は、前記のように、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、その制度の目的も合理的であるということができる。そして、原審が確定したところによれば、抗告人の代表役員であった松本智律夫及びその指示を受けた抗告人の多数の幹部は、大量殺人を目的として毒ガスであるサリンを大量に生成することを計画した上、多数の信者を動員し、抗告人の物的施設を利用し、抗告人の資金を投入して、計画的、組織的にサリンを生成したというのであるから、抗告人が、法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められ、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたことが明らかである。抗告人の右のような行為に対処するには、抗告人を解散し、その法人格を失わせることが必要かつ適切であり、他方、解散命令によって宗教団体であるオウム真理教やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。
[2]したがって、本件解散命令は、宗教団体であるオウム真理教やその信者らの精神的・宗教的側面に及ぼす影響を考慮しても、抗告人の行為に対処するのに必要でやむを得ない法的規制であるということができる。また、本件解散命令は、法八一条の規定に基づき、裁判所の司法審査によって発せられたものであるから、その手続の適正も担保されている。 宗教上の行為の自由は、もとより最大限に尊重すべきものであるが、絶対無制限のものではなく、以上の諸点にかんがみれば、本件解散命令及びこれに対する即時抗告を棄却した原決定は、憲法二〇条一項に違背するものではない。


6/9掲載 今年必ず出る憲法判例第3位
 それは、団体の人権関連では、税理士会が政治団体に対して金員の寄付をすることは、税理士に係る法令の制定改廃に関する要求を実現するためであっても、税理士法498条2項所定の税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ないとした南九州税理士会事件(最判平8.3.19=平9重判4)である。
 13条関連では、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有するが、当時の指紋押捺制度は合憲であるとした最判平7.12.5=平7重判1である。 投票の秘密(15条4項)関連では、差押え等の一連の捜査が投票の秘密を侵害したとも、これを侵害する現実的・具体的な危険を生じさせなければ違法とならないとした最判平9.3.28=平9重判7である。
 集会の自由(21条1項)では、福祉会館の使用不許可処分ができるのは、「会館の管理運営上支障がある」との事態が生ずることが客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測されたときに限られるとした上尾市福祉会館事件(最判平8.3.15=平8重判6)である。
 人身の自由関連では、道路交通法による警察官の呼気検査は、憲法38条1項に違反するものではないとした最判平9.1.30=平9重判6、39条関連では、行為当時の最高裁判例の示す法解釈に従えば無罪となるべき行為を処罰しても、憲法39条に違反しないとした最判平9.11.18=平9重判刑法2である。
 76条関連では、職務執行命令訴訟においては、下命者である主務大臣の判断の優越性を前提に都道府県知事が職務執行命令に拘束されるか否かを判断すべきではなく、主務大臣が発した職務執行命令がその適法要件を充足しているか否かを客観的に審理判断すべきであるとした最大判平8.2.28=平8重判1である。
◎南九州税理士会事件(最判平8.3.19=平9重判4)
[1]税理士会は、法人として、法及び会則所定の方式による多数決原理により決定された団体の意思に基づいて活動し、その構成員である会員は、これに従い協力する義務を負い、その一つとして会則に従って税理士会の経済的基礎を成す会費を納入する義務を負う。しかし、法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、様々の思想・信条及び主義・主張を有する者が存在することが当然に予定されている。したがって、税理士会が右の方式により決定した意思に基づいてする活動にも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある。
[2]特に、政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり(規正法三条等)、これらの団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである。
[3](税理士)法は、四九条の一二第一項の規定において、税理士会が、税務行政や税理士の制度等について権限のある官公署に建議し、又はその諮問に答申することができるとしているが、政党など規正法上の政治団体への金員の寄付を権限のある官公署に対する建議や答申と同視することはできない。
[4]そうすると、前記のような公的な性格を有する税理士会が、このような事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできないというべきであり、税理士会がそのような活動をすることは、法の全く予定していないところである。
◎最判平7.12.5=平7重判1
[1]憲法一三条は、国民の私生活上の自由が国家権力の行使に対して保護されるべきことを規定していると解されるので、個人の私生活上の自由のーつとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有するものというべきであり、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、同条の趣旨に反して許されず、また、右の自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶと解される。
[2]しかしながら、右の自由も、国家権力の行使に対して無制限に保護されるものではなく、公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、憲法一三条に定められているところである。
[3]本件当時の制度内容は、押なつ義務が三年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、加えて、その強制も罰則による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであったと認められる。
◎最判平9.3.28=平9重判7
 本件差押え等の一連の捜査により上告人らの投票内容が外部に知られたとの事実はうかがえないのみならず、本件差押え等の一連の捜査は詐偽投票罪の被疑者らが投票をした事実を裏付けるためにされたものであって、上告人らの投票内容を探索する目的でされたものではなく、また、押収した投票用紙の指紋との照合に使用された指紋には上告人らの指紋は含まれておらず、上告人らの投票内容が外部に知られるおそれもなかったのであるから、本件差押え等の一連の捜査が上告人らの投票の秘密を侵害したとも、これを侵害する現実的、具体的な危険を生じさせたともいうことはできない。したがって、上告人らは、投票の秘密に係る自己の法的利益を侵害されたということはできない。そうすると、その余の点を判断するまでもなく、投票の秘密に係る法的利益の侵害に基づく上告人らの損害賠償請求は理由のないことが明らかである。
◎最判平8.3.15=平8重判6
 帰宅途中に何者かに殺害されたJR関係労働組合連合体の総務部長の合同葬に使用するため、市福祉会館の使用許可申請をしたところ、上尾市福祉会館設置及び管理条例(昭和四六年上尾市条例第二七号)6条1項1号が使用を許可しない事由として定める「会館の管理上支障があると認められるとき」に当たるとしてなされた不許可処分は、右殺害事件についていわゆる内ゲバ事件ではないかとみて捜査が進められている旨の新聞報道があったとしても、(1)右合同葬の際にまでその主催者と対立する者らの妨害による混乱が生ずるおそれがあるとは考えがたい状況にあった上、(2)警察の警備等によってもなお混乱を防止することができない特別な事情があったとはいえず、(3)右会館の施設の物的構造等に照らせば、右会館を合同葬に使用することがその設置目的やその確立した運営方針に反するとはいえないなど判示の事情のもとにおいては、「会館の管理運営上支障がある」との事態が生ずることが客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測されたものということはできず、違法というべきである。
◎最判平9.1.30=平9重判6
 憲法三八条一項は、刑事上責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべきところ、右検査(道路交通法六七条二項の規定による警察官の呼気検査)が憲法は、酒気を帯びて車両等を運転することの防止を目的として運転者らから呼気を採取してアルコール保有の程度を調査するものであって、その供述を得ようとするものではないから、右検査を拒んだ者を処罰する右道路交通法の規定(同法一二〇条一項一一号)は、憲法三八条一項に違反するものではない。
◎最判平8.11.18=平9重判刑法2
 行為当時の最高裁判所の判例の示す法解釈に従えば無罪となるべき行為を処罰しても、憲法三九条に違反しない。
◎最大判平8.2.28=平8重判1
[1]都道府県知事は、地方住民の選挙によって選任され、当該都道府県の執行機関として、本来、国の機関に対して自主独立の地位を有するものであるが、他面、法律に基づき委任された国の事務を処理する関係においては、国の機関としての地位を有し、その事務処理については、主務大臣の指揮監督を受けるべきものである(国家行政組織法一五条一項、地方自治法一五〇条)。
[2]しかし、右事務の管理執行に関する主務大臣の指揮監督につき、いわゆる上命下服の関係にある国の本来の行政機構内部における指揮監督の方法と同様の方法を採用することは、都道府県知事本来の地位の自主独立性を害し、ひいては地方自治の本旨にもとる結果となるおそれがある。
[3]そこで、地方自治法一五一条の二は、都道府県の自主独立性の尊重と国の委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との間の調和を図るために職務執行命令訴訟の制度を採用しているのである。そして、同条が裁判所を関与させることとしたのは、主務大臣が都道府県知事に対して発した職務執行命令の適法性を裁判所に判断させ、裁判所がその適法性を認めた場合に初めて主務大臣において代執行権を行使し得るものとすることが、右の調和を図るゆえんであるとの趣旨に出たものと解される。
[4]この趣旨から考えると、職務執行命令訴訟においては、下命者である主務大臣の判断の優越性を前提に都道府県知事が職務執行命令に拘束されるか否かを判断すべきものと解するのは相当でなく、主務大臣が発した職務執行命令がその適法要件を充足しているか否かを客観的に審理判断すべきものと解するのが相当である。
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