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『マンスフィールド20世紀の証言』(マイク・マンスフィールド著・小孫茂編著、日本経済新聞社)1600円+税

 マイク・マンスフィールド氏は、1903年ニューヨーク生まれの元民主党下院・上院議員、元駐日大使である。生まれ年からもわかるように彼は20世紀を生き抜いており、また、経歴からも20世紀を語る資格が充分にある。ちなみに1903年とは、ライト兄弟の人類初の飛行の年である。
 彼の経歴が面白い。彼の母が3歳の頃に亡くなり、彼はモンタナ州のおじ・おばの夫婦に預けられることになった。しかし、おばのしつけが厳しいので、彼は10歳の時(失敗)と11歳の時に家出をすることになる。2回目で成功し、800キロ離れたワシントン州の山中の木材集積場で「ホイッスル吹き」(切り出しの前に危険を知らせる)の仕事に就く。その年の1914年に第一次世界大戦が勃発する。ワシントン州の警備にあたっていたオレゴン州兵部隊の人達と知り合いになり、警備の仕事を手伝うようになる。その後、オレゴン州兵部隊に付いてニューヨーク州に行くことになり、結局、また父と暮らすことになる。
 好奇心旺盛な彼は、外の世界に憧れ、14歳の年齢を18歳とごまかし、出生届と父の署名を偽造し、海軍に潜り込み、陸軍、海兵隊と渡り歩いた。第一次世界大戦も終わり、18歳の彼は海兵隊の一員として、フィリピン・中国に駐留し、北京で初めて日本軍を見る。19歳の時には、3日間ではあるが、長崎に寄港した。これが彼にとっての「美しい日本との出会い」である。その時、彼は「山と海がうまく調和した長崎の美しいたたずまい」と「街で出会った人々の丁寧さ」に強い印象を受けたらしい。駐日大使となった1977年には55年ぶりに長崎を訪れている。
 1922年、海兵隊を退役した彼は、おじの店を引き継いだ父のいるモンタナ州に戻るが、仕事を求めてロッキー山中の鉱山で鉱山技師補佐として働くことになる。そして、1928年、24歳の時に運命の出会いがある。後に彼の妻となるモーリン・ヘイズとの出会いである。彼女は高校教師で、彼が8年生(日本の中学2年生)を終了していないことを知るや、彼にあらゆる修学の機会を提供し、1933年、30歳の時にモンタナ大学を卒業するまで支え続けた(途中で2人は結婚した)。1934年には、歴史学と政治学で修士課程を終了した(妻モーリンも同年、修士となる)。
 政界に転じたのは、フランクリン・ルーズベルト大統領を尊敬する妻モーリンの影響と大恐慌が原因であると彼は言う。1942年の2度目の挑戦で彼は下院議員となる。当選に妻モーリンの尽力があったのは言うまでもない。1944年、ルーズベルト大統領の依頼で対日戦争を遂行している中国に入り、的確な「中国リポート」を提出して「アジアの専門家」となる。
 1945年の広島・長崎の原爆投下については、ルーズベルト大統領の職務を引き継いだトルーマン大統領からは何も知らされていなかったらしい。この点の記述は、英文では実にあっさりとしている。しかし、小孫茂氏が、日本人が知りたがるであろう点につき、彼の気持ちをうまく聞き出している。
 1953年には上院議員となる。そこで、後に大統領となるジョン・F・ケネディとリンドン・ジョンソンと親交を深める。ベトナムからの撤退を決意した直後のケネディ大統領の暗殺とジョンソンのその後の行動についても英文ではあっさり書いている。ここでも、小孫茂氏が、何とか聞きだそうとしたが、「中空をみつめて無言だった」らしい。そして、「左の目から一粒の涙がこぼれた」とのことである。それだけで充分である。私はその辺の事情を無性に知りたくなり、オリバー・ストーン監督『J・F・K』を見た。そして、超大国の大統領の命をも飲み込む巨大な力に震撼させられずにはいられなかった(ただし、真実は、アメリカの情報公開法でも非公開情報として今は闇の中にある)。
 彼の政治家としての業績は本書に詳しいが、彼の政治姿勢を要約すれば、理想主義と現実主義のバランス感覚にあると言えよう。ベトナム戦争で「不介入主義」を貫きケネディとジョンソンと対立する一方で、現場に行き情報を収集・分析する「現場主義」にも徹している。彼の一側面である不介入主義のおかげで、1954年の「中国攻撃計画」も1962年の「キューバ危機」も回避されたと言っても過言ではない。他方、彼の現実主義は、中国共産党と中華人民共和国を終始冷静に見つめている点、在韓米軍削減を叫んだものの北朝鮮の軍事力の優位に気づくや認識不足を反省し一転して在韓米軍削減に反対した点などに現れている。「現場主義」の一例として面白いのは、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三と三人の総理大臣を輩出した群馬県に関心を持ちつつ実際に足を運んでいることである(ただ、何もわからなかったらしい。もちろん、彼は、日本の47都道府県をすべて廻っている)。また、彼はユーモア感覚にも優れている。福田赳夫・中曽根康弘両元総理大臣に続く前総理大臣の小渕恵三氏を「うさぎと亀」の亀に例えている。1977年に駐日大使として来た時、1946年の来日の時より日本人の背が伸びているのに驚き、「日本の高度成長が経済だけの話ではなかった」とも言っている。
 彼の有名な言葉に、「最も重要な二国関係」がある。言うまでもなく日米関係である。しかし、彼に匹敵するだけの政治家を日本は充分にもっているだろうか?また、彼に続く「親日家」を生み出すだけの魅力が今の日本・日本人にあるだろうか?
 また、「歴史に学ばなければ、歴史が教えに来る」と彼は言う。しかし、日本人は充分歴史に学んでいるだろうか?一方で、現実を見つめず理想を叫ぶだけ、他方で、理想を追求せず現実を追認するだけ、ではなかろうか?
 本書は、20世紀を振り返り、21世紀の展望を見い出す示唆に富む。受験生には、英文和訳と和文英訳の教材ともなろう。また、外交史の生きた教材ともなろう。21世紀のパイオニアを目指す人には、これからの日本と世界を考える上で必須の本と言える。

(00/05/29 渡辺一郎)
追記(01/11/12)
 マイク・マンスフィールド氏は、2001年10月5日死去されました。彼が戦後の日米関係の改善・強化に偉大な業績を残されたことを讃えるとともに、心よりご冥福をお祈り申しあげます。
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