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『「坊っちゃん」の時代』
『「坊っちゃん」の時代』シリーズ(全5巻)(関川夏央原作、谷口ジロー画、双葉社アクションコミックス)
  • 『坊っちゃん』の時代 ―凛冽たり近代なお生彩あり明治人 900円(税込み)
  • 『坊っちゃん』の時代(第2部) 秋の舞姫 ―凛烈たり近代なお生彩あり明治人 970円(税込み)
  • 『坊っちゃん』の時代(第3部) 【啄木日録】かの蒼空に ―凛烈たり近代なお生彩あり明治人 1,230円(税込み)
  • 『坊っちゃん』の時代(第4部) 明治流星雨 ―凛烈たり近代なお生彩あり明治人 1,130円(税込み)
  • 『坊っちゃん』の時代(第5部) 不機嫌亭漱石 ―凛冽たり近代なお生彩あり明治人 1,200円(税込み)

 関川夏央原作、谷口ジロー画、明治時代の文豪夏目漱石の『坊っちゃん』の成立をめぐる第1部が、1986年12月から1987年3月にかけ、週刊漫画アクション誌上に連載されたのを皮切りに第2部「秋の舞姫」で森鴎外を、第3部「かの蒼空に」で石川啄木を、第4部「明治流星雨」で幸徳秋水を描き、現代と明治との精神的なつながりを問うた画期的な原作付マンガシリーズ。1997年第5部で夏目漱石の「修繕寺の大患」を描き終結した。各部それぞれ双葉社のアクションコミックス(文庫もある)で発刊中。

 このマンガを最初に読んだのは1989年の夏ころと思う。ちょうど昭和が終わり、平成がはじまった年だ。私は、その前の年に就職先のないまま大学を卒業し、ひと昔前で言うところの「プー太郎」今でいう「ニート」とでもいうのか、いずれにしろ大学を卒業したものの職につかず、原因不明の神経症に苦しんでいた。何をやるにも気が乗らず、また何をやったらいいのかがわからず、英語の資格をとる勉強を隠れ蓑にひたすら時間を無為に過ごした。当時親しくしていた友人の多くは、関東へ就職していたので、関西にまだ住む1人の友人の下宿にわたしは、肩身の狭い生活に救いを求め、やっかいにも何ヶ月かに一度訪れる日があった。

 彼は、学生時代より非常な読書家で活字だけでなく、マンガそれも少女漫画もふくんだ前衛的な作品(橋本治、吉田秋生、萩尾望都、山岸涼子、竹宮恵子、大友克洋など)を数多く蔵書に持っていて、彼の部屋で目新しいものを見つけるのが大学時代のわたしの日課だった(吉田秋生の『カリフォルニア物語』は愛読した)。彼は今インターネットでオンライン古本屋を開業していて、この手のサブカルチャー系本や雑誌をたくさん商っている。

 『事件屋稼業』、これはこのマンガと同じ関川夏央原作、谷口ジロー画の名作だが、大学時代彼の下宿でみつけ、よく読んでいた。(そのときは、原作者については全く頭になかったが、)『「坊っちゃん」の時代』が彼の就職してからの下宿にあったのも、その流れだろう。

 原作者の関川夏央は、『海峡を越えたホームラン』で韓国に渡ったプロ野球選手新浦について書いたり、北朝鮮のルポをてがけたり、当時は『ミカドの肖像』の猪瀬直樹とともに売れっ子ノンフィクションライターであった。しかしそのかたわらマンガの原作もしていたのである。そして、私が当時読んだマンガの原作者と「明治」や「戦後」について数々のエッセイを出している関川夏央が結びついたのは、ごく最近のことだ。バブルの絶頂期80年代の中ごろに、このマンガが出来た状況を、関川本人が第1部のあとがきでこのように語っている。

 「『事件屋稼業』というユーモア連作以外は、マンガのストーリーの筆を絶つことを一度は決意した。(……)私はある日、その決意を旧知の編集者につたえた。1986年のはじめのことだった。話を聞き、彼はこういった。『それは結構。しかし最後にもうひとつだけ新しいことをやってみたまえ』(……)明治時代を描いてもいいか、とわたしは低声で尋ねた。マンガでやってはならないということをすべてやりたいのだ。新しいといえば新しいが、人気は全く期待できない。(……)『やりたまえ、大いにやりたまえ。資料はすぐに採集しよう。』彼はその約束を、いつもの事ながら着実に果たし、旬日のうちには特大の紙袋二つに書物を入れて現われた。そのときわたしは、明治の末年における偉大な群像と当分の間あいまみえることをひそかに決意した」

 さらに、こう続ける。

 「明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ。明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を得ても現代人のなかに抜きがたく残っている。われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。つまりわれわれはほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない」

 「それを知らないのはただ不勉強のゆえである、というのがわたしの考えであり、見通しであった。また、ナショナリズム、徳目、人品、『恥を知る』など、本来日本文化の核心をなしていたはずの言葉を惜しみ、それらがまだ機能していた時代をえがきだしたいという強い欲望にもかられた」

 「そこでわたしは『坊っちゃん』を素材として選び、それがどのように発想され、構築され、制作されたかを虚構の土台として、国家と個人の目的が急速に乖離し始めた明治末年を、そして悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた」

 (「われわれはいかにして『「坊っちゃん」の時代』を制作することになったか」第1部P.243-4)

 この試みは成功し、みごとこの全5巻のシリーズとして完結して、高い評価を受けるにいたった。この「坊っちゃん」の時代シリーズは、朝日新聞主催の第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞する。

 「明治は激動の時代であった」――この発見は、いまでも新鮮だ。なぜなら、わたしたちは、1980年代の中ごろまでは、こういう視点を持ってなかったように思うからだ。関川氏にどうしてその景色が見えたのか興味深い。

 このマンガが出た頃、ちょうどわたしは大学生活を送っていたが、文部省(現・文部科学省)は「ゆとり教育」を推進し始める。その後、中等教育の指導要綱の改訂がなされ、夏目漱石や森鴎外など明治の文学作品が中学校の国語教科書から消える。現在にいたっては、わたしたちの日常から、「明治」を感じさせるものは表面上はほとんどなくなっている(ちなみに2002年8月、中日新聞は、教科書から漱石がきえたことを危惧し、文化欄で「坊っちゃん」の原文を連載した。好評を博し、続いて鴎外の作品も連載したという)。

 普段存在にも気づいてないほど、身近だったものが消えるとその存在の意味が見えてくることがある。ちょうど1980年代に、それが始まったのだろう。そしてそのころ、「明治」しかもその後半期という時代が遠ざかりつつもはっきり見え始めたのではないだろうか。その地点でくしくも現われたのが、このマンガだったように思われる。特筆すべきは、これがマンガで行われたことだ。そこには、現代の時代性があり、手塚治虫が開いた物語マンガというジャンルの底力が伺える。

 第1部は、漱石が、小説『坊っちゃん』の構想を、当時知り合った若者たちに語る話である。このマンガでは、その若者の1人、太田仲三郎と名のる明治大学の大学生が『坊っちゃん』の主人公のモデルとされている。実話でもあったらしいが、この作品はその話を下敷きにしている。

 当時、漱石は、『我輩は猫である』を執筆中で、留学先のロンドンで患った神経衰弱を、小説を書くことで治癒できることを発見し、次の小説を構想中であった。ひょんなことから漱石をしたって集まる当時の若者たちや彼らが反目する政府の役人たち、恋人や恋敵が、『坊っちゃん』の登場人物たちのモデルになったという設定でストーリーは進んでいく。漱石は、『坊っちゃん』を「勧善懲悪、痛快無比の物語にしたい」と若者たちに語る。

 漱石の『坊っちゃん』の主人公は、ご存知の通り、江戸っ子で正義感が強く、赴任した松山の中学で出会った校長や校長にこびへつらう「赤シャツ」などに反発する。そして、「山嵐」と主人公がよぶ先輩教師と二人で学生を巻き込んだ大喧嘩をして、中学を去り、東京へ帰る。物語としては、現在の『GTO』や『ごくせん』など学園ものテレビドラマとほぼ変わりない設定であり、その原型といえよう。

 漱石は時代の流れに抗い、結局は負けていく「坊っちゃん」をヒーローとして描き小説に定着させる。このマンガでは、登場人物たちにその「坊っちゃん」の精神を重ねて描いている。そして第2部から第5部へと進むこのシリーズでとりあげる、森鴎外や石川啄木、幸徳秋水などの主人公たちにもその精神を発見し、描き続けるのである。彼らは、日露戦争後の日本の行く末について非常な危惧を抱き、人知れず抵抗したヒーローたちだった。

 漱石の『坊っちゃん』は版を重ね読み継がれているが、それと同じく、こうしてマンガで十分読むに堪える主人公として、この偉大な文豪をよみがえらせたのは、このマンガの特筆すべき功績であり、明治の日本に対する優れた批評精神のあらわれと感じる。これをもとに、漱石や鴎外に接し始める人もその後あらわれているだろう。

 関川夏央のマンガ評論『知識的大衆諸君、これもマンガだ』のなかに「手塚のほかに神はなし」と題した手塚治虫に対する追悼文がはさまれている(手塚治虫は、1989年2月になくなり、関川は当時このマンガ評論を雑誌「諸君」に連載していた)。そのなかに、松山巌氏が手塚の晩年の作品について述べたコメントを引用している部分がある。

 「『ひだまりの記』辺りから、彼がなぜいまの時点で明治以降の日本人のあり方を捕らえ直そうとしたのかはわかる気がする。(……)そんな歴史ものがはやっているから書いたのではあるまい。歴史がかくまでも問われることのない時代になってしまったからではないだろうか」

 これは、手塚治虫についてのものだが、おそらく関川本人の仕事である『「坊っちゃん」の時代』や、その後のエッセイの仕事(『家はあれども帰るをえず』『豪雨の前兆』など文春文庫で読める)についても、あてはまるのである。それらに書かれたかつての日本人に対する愛惜と現在の日本人に対するメッセージは痛切である。

 わたしたちは日々起こる事件からうかがえる現今の末期的な状況をみても、先人のなかにこのような将来を危惧していた人がいたことを知らず怠惰に日々をすごし、またこれからの未来について、目をふさぐばかりだ。

 そんななか、わたしたちは、ぜひ一度漱石や鴎外の悩んだ時代に触れてみて、現在のわたしたちの源流がどこにあるかをたずねてみてもいいだろう。いや、そうすべきなのではないだろうか。わたしたちの現今の悩みは遠い過去の悩みと異なるものでは全くないのだから。

(06/11/18 高野川健)
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