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受験に役立つ書籍・ビデオ
『深夜特急』(沢木耕太郎、新潮社) 第1便:1500円+税 第2便:1400円+税 第3便:1600円+税

 ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの隠語だという。脱獄することを、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、というのだそうだ。
 インドのデリーからロンドンまで、乗合バスを乗り継いで行ってやろうという突然の「酔狂な」思いつきで、26歳の「私」は旅に出る。計画も立てず、ガイドブックも持たず、アジアとヨーロッパの地図と友人からの餞別のカメラ、それにわずかばかりの下着とシャツをザックに詰め込んで……。
 旅には人の心を惹きつける"魔力"のようなものがあるようだ。例えば、『伊勢物語』。あるいは、『土佐日記』。これらは千年もの昔から今に至るまで、繰り返し読み継がれている。「片雲の風にさそはれて……」という松尾芭蕉や、フウテンの寅さんのような生き方に、ほのかな憧れを抱く人は少なくない。原色でタヒチの住人の姿を描いたゴーギャンは、欧米でも日本でも多くのファンを持つ。またテレビでは、猿岩石やブルーム・オブ・ユースの"貧乏旅行"が高視聴率を稼ぐ。なぜか。それは、手軽に非日常の"疑似体験"を楽しめるからではないかと思うのだ。
 この『深夜特急』ももちろん、非日常を、テレビ番組とは比べものにならないほどのスケールで"疑似体験"させてくれる。香港の街の「祭りのような」熱気、カルカッタの強烈な日差しと物乞いたち、夕陽に照らされたシルクロードの神秘的な美しさ、そして、トルコのアンカラとローマでの、『ローマの休日』にも似た不思議な体験……。文章もスピーディーで、しかも非常に映像的である。雑然とした街の風景、壮大な自然、そこに暮らす人々の表情……。それらが、まるで自分も今、その見知らぬ街の真ん中に立っているかのように、鮮やかに脳裏に再現されるのである。
 しかし、この本の最大の魅力――、それは、「私」がまるで何かから逃れるように、"光"を求めて必死に走りつづけていることではないかと思うのだ。
 「私」は旅の途中で、何度もこうつぶやく。「自分はいま旅という名の長いトンネルに入ってしまっているのではないか、そしてそのトンネルをいつまでも抜け切ることができないのではないか」、「旅という名のトンネルの向こうにあるものと、果たしてうまく折り合うことができるかどうか」――。 この本の冒頭に、非常に印象的なシーンがある。ニューデリーの安宿で、薄汚い毛布にくるまって、虚ろな眼で天井を見上げながら、「カーゴミ、カーゴミ、カーゴノナーカノ、トレーハ」と歌い続けるフランス人の若者、ピエール。「籠の鳥と違ってどこにでも自由に飛び立てるはずなのに」、ベッドから体を起こそうともしない。「私」はその姿に慄然とし、そうして、何かに憑かれたように、慌ただしく出発を決意するのである。「早く、できるだけ早く、ここから出て行かなければならない」、「インドにいる限り、いつかはピエールのようになる。どこかの安宿に沈殿し、動く意欲すら失ってしまう」。
 旅も人生も、「どちらも何かを失うことなしに前に進むことはできない」――。大抵の人間は、旅の日々の「透明で空虚な生活」に懐かしさと多少の憧れを抱きつつ、「トンネルの向こう」の「真っ当なもの」と折り合いをつけて生きているもの、ではないだろうか。旅の日々とは、学生の頃、あるいは若い時分の、家族とか、一生の仕事とか、そういう確かなものがまだ見つからず、自分自身のことすら持て余し気味になっている時期と言ってもいいかもしれない。つまり、多くの人は「私」の中に、"光"を探して歩き続ける自分自身の日常の姿を見るのではないかと思うのだ。
 第1便は1986年に発行されており、かなり古い。しかし、Mr.childrenの「終わりなき旅」がヒットしたのと同じ感覚で読める、今の私たちにとっても全く色褪せない作品である。焦り、理由のない自己嫌悪……、出口の見えないトンネルを一人歩きつづけているような気分になったとき、ぜひ手にとっていただきたい。

(00/07/24 高橋めぐみ)
※新潮文庫版全6巻もある。ラインナップは以下の通り。(1)香港・マカオ \400 (2)マレ−半島・シンガポ−ル \400 (3)インド・ネパ−ル \400 (4)シルクロ−ド \400 (5) トルコ・ギリシャ・地中海 \438 (6)南ヨ−ロッパ・ロンドン \438
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