『英語で歌おう!ポップス編』CD付き(アルク) 2300円+税
英語に触れることが最近少なくなった。そこで、何か英語をブラッシュ・アップする本はないかと探していたところ、新宿区のM書店で本書を発見した。姉妹本に『英語で歌おう!ビートルズ編』もあるが、今回はポップス編を取り上げる。
本書には、1960年代の1曲、1970年代の7曲、1980年代の2曲の計10曲がスタジオ・ミュージシャンによる模範歌唱とカラオケの形で2回収められている。
まず、本書の第一の特長だが、和久井光司(ミュージシャン/詩人)と小倉ゆう子(翻訳者/対訳者)両名の時代背景の解説がいい。例えば、1965年にリリースされたサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の解説には、こうある。「この曲は1963年11月22日のケネディ暗殺に動揺する社会を、ポール・サイモンが鋭い視線で描いた作品だ。歌を書き始めたのは暗殺直後だったが、その後何度も歌詞を書き直し、完成したのは翌年の2月のこと。ごく日常のレベルにおいてでさえ、無知や無関心がいかに人を阻害し、コミニュケーションを妨げているかを、光と影という比喩を使い印象的に訴えた。」この部分を読んで、私が5歳の時、テレビ初の衛星中継でケネディ暗殺を知り、今は亡き祖母に興奮して伝えたことを思い出した。と同時に、暗殺の背後にある巨大な力を思い知るに至ったのは40歳を超えてオリバー・ストーン監督の『JFK』を観てからであることを考え合わせると、歴史の真実を知ることの難しさを痛感した。
次に、本書の第二の特長だが、アーサー・オリバーの解説(翻訳は編集部)がいい。曲の背後にある歴史的背景や深い意味を明らかにしているからだ。例えば、1970年にリリースされたサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」のさびの部分 Like
a bridge over troubled
water(荒れた水面にかかる一本の橋のように)
I will lay me down(私はこの身を横たえよう)の解説にはこうある。「さびの部分に登場する
I will lay me downは見慣れない表現だが、
I will both lay me down
in peace,and sleep.(平和のうちに身を横たえ、私は眠ります)という一節が『旧約聖書』の「詩編」9:8にある。この曲では、「我が身を犠牲にする」という意味で使われている。また、a
bridge over troubled water には、「困り果てた状況を切り抜ける手だて」といった意味合いがある。」聖人はともかく凡人でも、愛すべき人が困ったときには、Like
a bridge over troubled
water I will lay me
down という心境になるのではないだろうか? また、1970年にリリースされたエルトン・ジョン「ユア・ソング」の出だしの部分 It's
a little bit funny this
feeling inside(少しばかりおかしくなっている、心の中の気持ち)
I'm not one of those who
can easily hide(僕はさらりと押し隠せるようなタイプじゃない)の
funny の解説にはこうある。「冒頭、彼は自分の気持ちを
funny と表現している。
funny は笑いを誘うような面白さ、おかしさを表しているわけではなく、いつもとは違う、予想や説明がつかない違和感を表している。恋をしてしまったことで、普段とは違う心の状態になっているのである。」このように簡単な単語だが、日本人には微妙な意味合いがわからない単語も丁寧に解説されているのである。また、同じく「ユア・ソング」の一節、My
gift is my song and this
one's for you(僕の贈り物は僕の歌、この曲は君のものだ)の解説はこうである。「My
gift is my song の gift
は「贈り物」と「才能」という2重の意味で使われている。つまり、「僕の贈り物は僕の書いた歌」という意味の裏側に「僕の才能は僕の歌にある」という意味が込められているのである。」私も2つの意味があることは知ってはいたが、恋人に歌をプレゼントすると同時に自分の才能を売り込んでしまう詩人(作詞家バーニー・トーピン)の才能をうらやましいと思った。
さらに、本書の第三の特長だが、村松美映子学習院大学講師が、「歌のサビなので、普通の会話とは発音の仕方が違います。」とか、節目節目で発音の解説を加え、また、編集部がアーサー・オリバーの解説を翻訳し、適宜単語の解説を行っている。このように本書は至れり尽せりのCD付き英語とカラオケの本なのである。
本書を読み、CDを聞いて、私は精神的に時代を30年も遡ることができた。上記3曲のうちの1970年リリースのサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」とエルトン・ジョン「ユア・ソング」、1971年リリースのジョン・レノンの「イマジン」、1973年リリースのカーペンターズの「イエスタディ・ワンス・モア」と「トップ・オブ・ザ・ワールド」は、12〜15歳という多感な時期に聞いたもので、懐かしさがこみ上げてきた。あのころは中学生で、純粋に大人になることや恋愛とかに不安と憧れを感じていたように思う。しかし、今はあのころの多くの夢の一つ一つを潰してきて、日常性と社会の中に埋没し、感性が干からびかけてしまっている……。
もし、生まれ変われるものなら、I hope you
don't mind(君の迷惑にならなければいいけど)
I hope you don't mind that
I put down in
words(君の迷惑にならなければいいけど、僕が言葉に書き留めてしまったことで)
How wonderful life is while
you're in the
world(世界に君がいてくれている限り、どれほど人生が素晴らしいかということを)とか、
Anyway the thing is what
I really mean(とにかく大事なのは僕が本当に伝えたいことで)Yours
are the sweetest eyes I've
ever seen(君の瞳が今まで見た中でいちばん素敵だということ)とか、素直に自分の感情を言葉や音楽で表現し、より多くの人々に感動を与えることのできるバーニー・トーピンのような作詞家かエルトン・ジョンのような作曲家になりたい(もちろん音楽家になるのはたやすいことではないことは、従弟が東京芸大に入るために音楽教師の伯父に3歳から毎日しごかれて、日曜日には京都までレッスンに行くのを同情しながら見ていた私にはよくわかるのだが……)。でも、1972年リリースのギルバート・オサリバン「アロ−ン・アゲイン」は歌詞が悲しすぎる。また、1978年リリースのビリー・ジョエル「オネスティ」、1983年リリ−スのシカゴ「素直になれなくて」、1983年リリースのポリス「見つめていたい」はメロディーは好きだが、去っていった愛する女性に対する未練が強すぎて、歌詞の内容は個人的には好きになれない。それにしても、時代が下るに従って、女性に去られて男性が泣く曲が増えていくのは時代の流れなのだろうか?
最後に、ジョン・レノンの「イマジン」に触れる。あのころにはビートルズも解散してしまっていた。各メンバーがどのような曲を出すのか楽しみにしていたのだが、期待はずれの曲も多かったように思う。そうした中で出されたのが「イマジン」であった。単純明快に繰り返し平和の大切さを説くその曲は中学生の私の心にも響いたと思われる(今も……)。しかし、あの曲が出されてから30年も経とうとしているのに地球上からは戦争の惨禍は消えない。古い憎悪が新しい憎悪を生み、その新たな憎悪が……。誰にでも、Like
a bridge over troubled
water I will lay me
down とか、 How wonderful
life is while
you're in the world とか言いたくなるような愛すべき人がいる(愛すべき人を求めている)のだということを想像すれば(思いやれば)、戦争はなくなると思うのだが……。
(00/11/08 渡辺一郎)
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