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東大経済学部から国 I 法律職合格

国 I 法律職合格

 1998年、私は国家 l 種試験法律職に無事合格し、内定をいただくことができた。私にとって、ここまでの道のりは長く、ようやく自分の就職が決まったという感じである。しかし、自分が第一志望にしていた官庁から内定をいただくことができ、いままで自分がやってきたことは決して無駄ではなかったと思っている。また、このような結果が出たことに満足している。
 私が公務員試験を受けることを決めたのは、民間企業の就職活動が終わった後であった。特に就職活動に失敗したわけではなく、いくつかの企業からよい返事をもらえそうだった。ただ、何故か、「君さえよければ、良い返事をするよ」と言われてもひっかかるものがあり、結局は全て断った。よくよく考えてみれば、民間企業をまわり始めた時、本当にやりたい仕事などなかったし、ポリシーもなかったような気がする。面白そうな仕事は結構あったが、これといったものはなかった。そこで、公務員になることを考えた。私は公務員試験に全く興味がなかったわけでもなかった。中学生の頃から、漠然とではあるが「みんなのため」になるようなことをしたいと思っていたし、大学に入った時も、将来公務員になるのも悪くはないなと思った。
 また、公務員試験を受けた友人が何人かいたので、公務員試験に関してある程度のことは知っていた。ただ、一度も真剣に考えたことはなかったのである。周りの友人が各企業から内定をもらって喜んでいた頃、私はある官庁の説明会に行ってみた。そしてその時、自分は国家公務員として働きたいと思った。民間企業の就職活動の時に比べて、明らかに自分の心の中で動くものがあったのである。それから何度か説明会に参加したが、そのたびに、国家公務員になりたいという気持ちが強くなっていった。そして、公務員試験を受けることを決意した。随分と遅い決断だったが、この時は自分が本当にやりたい事がみつかったような気がしてうれしかった。

 私は経済学部生だったが、試験は法律職で受験した。その理由はあとで詳しく述べるが、簡単に言ってしまえば、「法律に興味が持てたから」である。1回目の受験では、1次試験には合格したものの、力及ばず、2次試験で不合格となってしまった。そして、2回目の受験で最終合格を果たすことができた。

 私の場合、国家公務員を志望する理由は概ね次の2点に集約される。

 まず、国民のため、公益のために働きたかった、ということである。なんとも堅苦しくて演説調の理由ではあるが、これが素直なところである。民間企業の場合でも、国民・公益への奉仕をする部分が少なからずあるとは思うが、やはり、自分のやった仕事は究極的には会社の利益になるのであって、公益になる部分は少ない。もちろん、これらの民間企業が日本経済に与える影響は非常に大きなものなのであって、私益を追求することがよくないなどと言うつもりは全くない。ただ、私の場合、民間企業をまわった時の印象、官庁の説明会に行った時に受けた印象などを総合して考えてみると、やはり、公益のために働きたいという気持ちが圧倒的に強かったのである。また、私の価値観として、「みんなのため」になるような仕事をしたかった。そして、一口に公務員といっても様々な種類・職種があるが、私は一地域の住民よりも国民全体に影響を与えるような仕事がしたかったこと、それも、経済政策・治安政策・医療政策など、様々な政策の企画・立案を通じて国民・公益に奉仕したいと思ったことから、国家T種試験を受けたのである。

 そして、もう一つは、法律の知識が活かせる職場で働きたかった、ということである。先ほども書いたが、私は経済学部生でありながら、試験は法律職で受けた。経済学部でも、民法、商法、行政法、労働法などの講義が開講されているのだが、これらの講義を通じて、私は法律に大きな関心を持つようになった。ある事件が起こった時に、法律に基づいて問題を解決していくプロセスが面白かったこと、そして、一見ごちゃごちゃとしている条文が実はある体系に基づいて配置されているのであって、その体系が見えた時の感動がなんともいえないこと、などが理由である。私は決して経済学が嫌いだった訳ではないが、法律のほうが素直に興味を持つことができ、将来自分にとって法律と経済のどちらが役に立つかと考えたとき、それは法律だと思ったのである。また、行政活動は法律に基づいて行われるのが大原則であり、法律の知識は不可欠であるし、実際、原局の方も六法全書は手放せないとおっしゃっていた。そこで、国家公務員ならば法律の知識を活用できると思ったのである。ほかにも細かい理由はいくつかあるが、試験勉強時、そして官庁訪問時を通じて常に思っていたのが上の2点であり、やはり、この2点が最も根幹にある。

アメリカの小学校時代

 ところで、私は日本の小学校には1年間しか通っておらず、2年生から6年生の時まで、親の仕事の都合で中米、そしてアメリカに5年ほど滞在していた。このうち、特にアメリカでの生活は私に少なからず影響を与えたと思う。そこで、少し詳しく書きたいと思う。

 私は現地の私立校に行ったのだが、最初は英語が十分に話せなかったこともあって、いろいろと苦労した。初日からいきなりアメリカ人ばかりのクラスの中に放り込まれ、皆と同じような扱いを受けた。生徒は1クラスに14〜15人しかいないので、授業中に指されることもしばしばだった。そのたびに、「英語があまりできないと分かっているはずなのに、何で指すんだ?」と思ったものだ。そして、先生に、片言の英語で「僕はしゃべれませんから……」とモゴモゴと言っても、いつも「大丈夫だから」と言われるのみだった。とにかく、日本人だからといって特別扱いしないのである。しかし、6ヶ月も経つと、日常会話ならほとんど問題なくできるようになり、また、英語力を必要とする授業(例えば、“English”という科目があったが、これは日本で言えば国語にあたる。)にも段々ついていけるようになった。

 6年生になると、科目が更に増え、スペイン語などの第2外国語が入ってきたり、数学の授業などはクラス分けが行われ、普通の数学のほかに“Algebra”(代数学)が加わった。また、成績によってグループ1からグループ4までのグループ分けが行われた。ほぼ毎日、“Study Hall”(自習)の時間が午前、午後に設けられているのだが、グループ1の人は全ての自習時間を好きに使え、逆にグループ4の人は全ての自習時間を自習室で過ごさなければならず、残りの人は指定された時間に自習室で勉強するというシステムである。そして、毎日のように宿題が出されたが、きちんとやっていかないとペナルティ−が課され、属するグル−プにかかわらず、自習室に行かされたり、学生食堂でおばさんの手伝いをさせられたりした。このように書くと、この学校はとんでもないところのように思えるかもしれない。しかし、授業はどれも楽しかったし、先生も熱心な人ばかりだった。1クラスの生徒数が14〜15人ということもあり、面倒見も非常によかった。授業内容は難しいものも結構あったが、強制的に勉強を「やらされている」と思ったことはほとんどない。むしろ、こちらから積極的に授業に参加していたという記憶のほうが強い。これは私に限らず、クラスの多くの友人がそうであったように思う。とにかく、努力をすれば何の問題もなく、楽しい学校生活が送れるのである。グル−プ分けの制度などは、一見、威圧的なものかもしれないが、私は、これは各自の自覚を促し、勉強をすることの意味を教えるためのシステムだったと理解している。そして、これはいわゆる「スパルタ式」と言われるものとは全く違ったものであったと思う。

 私は6年生、7年生(アメリカでは約半年、日本よりも入学が早いため、7年生もやった)の2年間、グル−プ1に属することができ、また先生の推薦で、代数学のクラスに入ることができた。多少英語がおかしくても、一生懸命にやれば、必ず評価してくれた。その点は、非常にフェア−だったし、やる気にもつながった。

 この学校で私は何を学んだか。
 1つは、努力することの大切さである。すぐには結果が出ないこともあるだろうが、少し長い目でみれば、努力は必ず報われるはずだ。それに、結果を出すことももちろん大事だが、それ以上に、努力するプロセスが自分を大きくしてくれるのだと思う。
 そして、2点目は、勉強は誰のためでもなく、自分のためにやるものだということ。当時はさほど意識していなかったが、勉強を通じて様々な知識を身に付け、それを活用してチャンスをつかみ、自分の可能性を大きなものにしていく、という点にこそ勉強をすることの意義があると思う。大学に入るまでは秀才だったのが、「20歳を過ぎればただの人」になってしまったのでは意味がない。勉強は受験のためだけにやるものではなく、高校進学、大学進学というチャンスをつかみ、それをステップとして、新たなる可能性を探っていくためにやるのである。私は最近、つくづくこのことを実感する。そして、このことをアメリカにいた時に、知らず知らずのうちに教えられたような気がする。プラクティカルな面では、何と言っても英語ができるようになったことが収穫であった。苦労して身に付けたものであるので、そう簡単には忘れないし、他の人にそう簡単には負けない自信はある。英語は自分にとって一つの武器であって、受験の時、民間企業の就職活動の時、そして官庁訪問時と、様々な面で役に立った。

日本の中学校・高校・大学

 さて、帰国後は、地元の市立の中学に入学した。両親は多少心配していたようだが、いじめにあうようなこともなく、楽しくやっていた。先生もけっこう面白い先生が多く、また、印象に残る先生もいた。例えば、中2の時の担任の先生は数学を教えていたのだが、ある時、アメリカでどんな数学の授業を受けていたのか知りたいと言うので、800ペ−ジ近くある初級代数学の本を持っていった。すると、本を貸して欲しいと言われた。あとで聞いたのだが、先生は辞書を片手に、この本を読んでいたそうだ。公立の中学にだって、こういう熱心な先生がいるのだ。先生の数学の授業は少し変わっていたが、おそらく、先生は数学の本質を教えようと努めていたのだろう。アメリカの代数学の本を読んでいたのも、そこから何かヒントを得ようとしていたのだと思う。

 中学卒業後は、地元の県立高校に行った。ここでも、3年間、楽しくやっていた。この学校では「文武両道」が重んじられ、勉強も重視されたが、50キロのマラソン大会(実際は競歩に近い)などといったユニ−クな行事もあった。高3の時も、週に3回は体育があったし、音楽もあった。また、大学受験で選択していなかった日本史も必修だった。高3の2学期あたりからは受験のことで多少ナーバスになっていたこともあり、日本史が必修だったことに関しては不満を感じていたが、きちんと現役で受かった友人もけっこういたので、自分の努力が足りなかったのだと思っている。大学受験という点からすれば、いわゆる有名私立校のほうがやはりよいのかもしれないが、結局は本人の自覚の問題ということになるのだろう。

 浪人した後、最高学府と呼ばれる大学に入学したが、私は経済学部を卒業後、再び経済学部に学士入学したりしており、現役の連中に比べると就職するまでに随分と余計に時間がかかってしまった。世間の人から見れば、あの人は何をやっているのと言われてしまいそうな状況だった。しかし、その分、色々と考えることができたし、自分の好きなことをやれたし、勉強のほうもある程度の余裕をもってすることができたので、結果的にはプラス面が多かったと思う。もっとも、両親の理解があったからこそこんな事ができたわけで、私に機会を与えてくれた両親には感謝している。私も生半可な気持ちであれこれやっていたわけではないが、両親にとってみれば大きな負担だったと思う。なにはともあれ、自分が本当にやりたい仕事に出会うことができたという点で、この時間は決して無駄ではなかったと思っている。

国 I の勉強法

 では、ここで私が試験を受けるにあたり、実際にどのような勉強をしていたのかにつき、以下、述べていきたいと思う。

  1次試験
【教養】 私は一次の教養が苦手だった。1次の教養は、大きく分けて、一般知能(文章理解、判断推理、数的推理、資料解釈)と一般知識(社会科学、人文科学、自然科学)に分けられるが、私は特に一般知能の数的推理、判断推理が苦手で、この2つに足を引っ張られていた。そこで、たとえこの2つで3点くらいしか取れなかったとしても、全体の6割(つまり、27点)は確保できるように心掛けていた。
 具体的には、一般知能では、まず英語が得意だったので英語6題は絶対に落とさないようにし、国語4題も慎重に解いて、10題中、少なくとも7題は取れるようにした。また、資料解釈は計算がややこしいだけで解けないということはまずないので、日頃から過去問などでトレーニングし、6題中5題は取れるようにした。そして、数的推理と判断推理であるが、不得意とは言っても、やはり1題も解かないわけにはいかない。私は、必ず3題は、多少時間をかけてでも解くようにした。この二つに関しても、日頃からのトレーニングが大事だと思う。一週間に2、3時間でいいから、必ずやる。そして、直前期には毎日1時間はやるべきだと思う。ここで注意したいのは、いわゆるテクニック本をやってもあまり意味がないということである。最近の傾向としては、少し長めの文章を読ませた上で、きちんと考えさせる問題が多い。「こういう問題にはこう対処すれば良い」というようなテクニックも知っているにこしたことはないとは思うが、きちんと自分の頭で考えて問題に対処する、ということを忘れないでほしい。
 一般知識では、大学受験時に勉強した世界史、地理、地学はかなり細かいところまで勉強した。その他の科目については、日本史は近・現代を中心に、物理、化学、生物に関しては時事を中心にチェックした。法律、経済、財政については専門試験の知識が役に立つ。
 時事問題に関しては、普段から新聞や特集番組などを見るようにし、また、予備校の模試の問題をファイルして、知識を増やしていった。一般知識は20題出題されるが、12題は取れるよう心掛けていた。
 そして、時間配分であるが、これもかなり大事である。私は、まず文章理解に40分、資料解釈に40分かけて、ある程度安心した上で、数的推理・判断推理に30分かけて3題は取れるように努めた。この際、解けそうな問題を短時間で見極める(というか、この問題でいいやと割り切ってしまう)ことが必要である。そして、一般知識は20題を60分で解き、最後の10分はマークの見直し、そして数的推理・判断推理の残りの問題を、一応考えつつも適当にマークするのに充てた。
 以上のような感じで、27点は確保できるよう努めた。ただ、いつも27点をキープできたわけではなく、23点しか取れないこともあった。しかし、どんなに失敗しても20点を割り込み、足切りに引っかかるようなことは回避できるという点において、やはり、目標ラインを設定しておくことには大きな意味があると思う。
 これはあくまでもセミナーやゼミの方法論をベースに私がとった方法であって、そっくりそのまま真似をしても意味がないことは言うまでもない。要は、限られた時間の中で、自分の得意としている分野でどれだけ得点し、そしていかに不得意分野を補うか、ということである。
【専門】 まず、すべての科目について言えることだが、過去問10年分は、最低1回はやっておくべきである。近年の問題は、過去問だけでは対処できないものも多くなっているが、過去問と似た問題がいまだに出題されているのも事実であるし、また過去問は様々な意味で「基本」であるから、是非やっておくべきである。『セレクションシリーズ』(早稲田公務員セミナー)が過去問集として一番よいと思う。
 また、憲法・民法・行政法に関しては、『判例六法』(有斐閣)のみならず、『判例百選 l ・ ll 』(有斐閣)も必ずチェックし、さらに直近の3年分の『重要判例解説』(有斐閣)も持っていたほうがよい。判例を題材にした問題が非常に多く出題されており、最新判例もけっこう出題されるからである。
以上述べたこと以外に、各科目について簡単に見ていく。

−憲法−
 芦部信喜『憲法(新版)』(岩波書店)は、必ず1回は通読しておきたい。私は、基本的にはこの本に情報を集約していた。佐藤幸治『憲法(第三版)』(青林書院)も、けっこう細かい事項まで載っており、過去問を解く際に参考になるので、持っておくべきである。また、過去問を解いている際に出てきた条文は、その都度読むようにするとよい。国会法に関しても、少なくとも過去問で出たきたものはチェックしておくべきである。
−民法−
 とにかく量が多い科目である。過去問を解きつつ、有斐閣双書シリ−ズや内田貴『民法 l 〜 lll 』(東京大学出版会)などを参考にして『公務員民法』に書き込みをし、サブノ−トのようにしてしまうのが一番手っ取り早いのではないかと思う。
−行政法−
 塩野宏『行政法 l 〜 lll 』(有斐閣)は、必ず1回は通読すること。いきなり塩野を読むことに抵抗のある人は、藤田宙靖『行政法入門』(有斐閣)を読むことをおすすめする。行政手続に関しては、宇賀克也『行政手続法の解説(第二次改訂版)』(学陽書房)を読んでおくと、行政手続の知識を深められるので、できれば読んでほしい。そして、『公務員行政法』はコンパクトにまとまっており、非常に使いやすいので、サブノート的に使うのがよいと思う。
 行政法に関しても、条文を日頃から読むようにするとよい。直前期には、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、過去問で出てきた地方自治法の条文、行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法、国家賠償法について、一通り読んでおくべきである。(行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法、国家賠償法については、必ず見ておきたい。)
−商法−
 基本的には、過去問と予備校の模試で対応していた。ただ、手形法・小切手法に関しては、前田庸『手形法・小切手法』(有斐閣)をよく使っていた。この本は分かりやすく、おすすめである。
−刑法−
 基本的には、過去問と予備校の模試で対応していた。大塚仁『刑法入門』(有斐閣)は一度読んでおくとよい。あと、奈良俊夫編『刑法の頻出問題』(実務教育出版)はけっこう使えると思う。
−労働法−
 基本的には、過去問と予備校の模試で対応していた。『公務員労働法』を参考書代わりに使用していた。余裕のある人は、菅野和夫『労働法(第四版)』(弘文堂)を読んでおくと、細かい知識を問われる問題にも対応できるだろう。
−国際法−
 実は、ほとんど勉強しなかった。(このことにつき、後述。)
−経済学・財政学−
 経済学については、主に予備校の模試で対応し、特にマクロについては、中谷厳『入門マクロ経済学(第三版)』(日本評論社)を読んだ。
 財政学については『公務員財政学』を使った。この本は本当によくできていると思う。これに新しいデ−タなどを書き加えていき、サブノ−ト的に使うのがよいと思う。

 私は結局、国際法はほとんどやらず、商法5題、刑法5題、労働法5題を選択していた。4科目をやるよりも、商法、刑法、労働法の3科目をきちんとやったほうがよい、と考えていたのである。(というか、そういう「言い訳」をしていた。)
 実際、模試ではうまくいっていたし、ほとんどハンデを感じなかった。しかし、今年(平成10年)の本試験では、国際法をやっておくべきだったと少し後悔した。今年の本試験の商法、刑法、労働法はどれも難しめで、少なくとも、過去問をやっておけば大丈夫、というような問題ではなかったと思う。私は「何だこりゃ?」と思いつつも、商法、刑法、労働法を解かざるを得なかったが、もし国際法をやっていればあまり苦労せずに済んだと思う。国際法を勉強しなかったのは、正直いって失敗だった。
  2次試験
【論文試験】
−教養論文−
 普段から新聞を読んだり、テレビの特集番組などを見ていれば、特に問題はないと思う。1次の教養の知識や、官庁訪問時の話が役に立ったりもする。要は、社会の出来事に関心を持ち、それについて自分なりの意見を持てればよい。
−憲法−
 芦部信喜『憲法(新版)』(岩波書店)は、できれば1回通読しておきたい。論点のチェックには、早稲田司法試験セミナ−編『Aプラス憲法』(早稲田経営出版)が役に立つ。必ず1回は目を通しておきたい。論証の仕方も参考になる。
−民法−
 早稲田司法試験セミナ−編『Aプラス民法 l ・ ll 』(早稲田経営出版)が役に立つ。設例を読んだら、すぐに論証を見ずに、自分で論点を探し出して答案構成してみるとよいトレーニングになると思う。
−行政法−
 塩野宏『行政法 l 〜 lll 』(有斐閣)は、できれば一回通読しておきたい。あと、私は『公務員行政法』で基本事項のチェックをしたが、頭の中が整理されてよいと思う。また、論点をチェックするのに、早稲田司法試験セミナー編『法選征服シリ−ズ行政法』(早稲田経営出版)を使った。

 以上のほか、専門に関しては、必ず判例をチェックしておくこと。特に、判例百選と重判は見ておくべきである。
 また、余裕があれば、条文を読んでおきたい。憲法は103条しかないし、行政法についても、そう多くはない。民法は1044条あるが、大事なところ(例えば、534〜536条)だけでも見ておくとよい。
【人事院面接】 最近では面接も重要視されるようになってきたようなので、あまり油断できない。ただ、あくまでも面接であって、特別なことをやるわけではないのだから、普通にやればよい。相手に失礼のないような態度で(これはごく当たり前のこと)、国家公務員を志望する理由・志望する官庁の志望動機をきちんと言うことができ(これも当たり前)、相手の質問に対して自分なりの考えを述べられればよい。
 いくつかアドバイスをすると、まず、面接の前に「面接カード」に記入をするのだが、面接時にはこのカードに沿って質問されることも多いので、面接カードの記入にはある程度時間をかけて、きちんと記入をしたほうがよい。また、時事問題について質問されることも多いので、ある程度の知識をもっていたほうがよい。これも、普段から新聞を読み、特集番組などを見ることによってカバ−できる。
 また、官庁訪問についてもふれておく。
 国家 l 種試験は、たとえ人事院の行う試験に合格しても、官庁から内定をもらわなければ意味がないので、官庁訪問は試験と同じくらい重要である。
 官庁訪問では、自分の希望するいくつかの官庁に出向き、実際に働いている方の話を聞き、あるいは人事の方と面接をすることになる。その際、私が大事だと思うことをいくつか挙げると、まずは、いつも通りの自分で(つまり、自然体で)相手の方と接することである。変に自分を飾っても、あまりよい結果は得られないだろう。仮にその場はしのげたとしても、あとで後悔するだけだと思う。また、なぜ国家公務員になりたいのか、なぜこの官庁を志望するのか、につきある程度明確な理由を持っていることが重要である。そして、相手からの質問に対して、自分なりの考えを述べられることもかなり重要だと思う。
 私の場合、とにかくいつも通りの自分を相手の方に見てもらえるよう心掛けた。そして、相手の質問に対しては、なるべく誠実に答えるようにした。本当に分からないことに対しては「分かりません」と言えばよい。ただ、自分の意見を求められた時には、多少難しい問題であっても何とかその場で考え、なるべく答えるようにしていた。このような心掛けで、私は5つほどの官庁をまわったが、どの官庁からもある程度の評価をいただけたと思っている。
 他にいくつかアドバイスをすると、まず、官庁訪問の期間は短く、第2週目に入ると拘束をかける官庁も出てくるため、実質的には1週間しかないといった状況なので、まわる官庁を事前にある程度絞っておくのがよいと思う。毎年、各官庁が説明会を開いているので、それに参加して、各官庁の業務内容をはじめ雰囲気なども見ておくと、絞る際の参考になるだろう。また、官庁訪問中に第1志望の官庁から断られてしまうようなこともあるかもしれないが、そういった場合にも落胆せず、すぐに次の行動に移るべきだと思う。
近頃思うこと(将来への展望)

 公務員の不祥事が続き、公務員に対する国民の風当たりが強くなっているが、私はそれを厳粛に受け止めねばならないと思う。公務員の不祥事は、古い行政の体質・構造に起因する部分が大きいと思うが、ここ2、3年、まさに行政改革が話題になっているところである。こういった時期に国家公務員になる我々は、この古い体質・構造を積極的に変えていく使命を負っていると考える。

 また、経済問題も早急に解決されなければならない問題である。ここのところ、どうも日本経済は元気がない。どうしてしまったのだろうか。なかなか回復軌道に乗れずにいる。不良債権問題により日本の金融システムは信用を失い、それに伴って株価は下がり、貸し渋りによって中小企業は苦しい立場に立たされている。日本経済の停滞はアジア経済の停滞の主要因とさえ言われ、また、世界規模においても、日本の現状、とりわけ金融システム不安に対する批判は厳しいものである。いま、日本経済が立ち直るためには、不良債権処理を早急にすすめ、金融システムの信頼を回復することが一番肝要だと思う。そして、税制改革などを通じて消費を喚起するべきだ。信頼を回復し、経済を立ち直らせることで、再び「経済大国日本」を世界に知らしめたい。そして、世界における日本の役割をより大きなものにしていきたいと思う。

 かつて、日本は敗戦の混乱を乗り越え、高度成長を迎え、多少の波はあったものの、その後も堅実な成長を続けた。そして、バブルの時代を謳歌したわけだが、バブル崩壊後の不況からなかなか抜け出せずにいる。もしかしたら、日本はかつてのような好景気を迎えることは二度とないのではないか、そんな不安さえも抱いてしまう。しかし、何か方法はあるはずだ。いままでも数々の困難を乗り越えてきたのだ。微力ながら、私も国家公務員として、その方策を探していきたい。

 他にも、問題はまだまだある。高齢化社会に伴う医療問題、年金問題、再雇用問題なども、国家公務員が取り組み、解決していかねばならない難問題である。

 そして、これらの問題に取り組む際、国民の考えが十分反映されるようにし、国民から乖離した「机上の空論」とならないようにするために、行政と国民とを結ぶシステムを構築することも重要であると考える。例えば、国レベルでの情報公開制度をつくることなどは、大きな意義があると思う。

 もっとも、言うは易し、行うは難しであって、行政改革にしろ経済対策にしろ、実際にやるとなると、相当困難であると思う。仮に実行に移したとしてもうまくいかない事項もたくさんあるだろう。しかし、私は公益のために働くというポリシーをもって、私なりの理想を少しでも現実にできるよう努力していきたい。

以上

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