[ HOME>キャリア・エリートへの道>司法試験から公務員試験に転向、7試験併願大作戦 ] | |
行きたいところに行く! この「当たり前の気持ち」を実践することは意外と難しいものです。「僕は既卒だから……」、「有名大学でもないし……」、「私は女性だから……」といった思いに駆られると、「A省は無理。しょうがない、B省にしよう」という消極的な気持ちに陥りがちになります。 そうです。「行きたいところに行く」という「当たり前のこと」を実践するのが難しい――とは、こういうことです。 一般に公務員試験に当たって「ハンディ」と言われているものを身につけている受験生は弱気になって、自分の信念――「あの省庁に行きたい!」という熱い思い――を貫きにくくなると思うのです。 行きたいところに行く! この「当たり前の気持ち」を素直に受け入れることができるようになったのは、私の場合は官庁訪問2日目を終えた後でした。それまでは「行きたいところに行こうとは思っても、やはり現実は……」という気持ちに襲われていました。 以下の文章は、そんな「ハンディ」を背負いながらも「やっぱり公務員になりたい!」と思っていらっしゃる方の力になれれば――そんな思いを込めて書いてみました。 私の「ハンディ」私の「ハンディ」は、「2留・既卒」(今年で25歳)という年齢的な「ハンディ」でした。 まず、なぜ私が「2留・既卒」で公務員試験に臨むこととなったのかについてです。これは一橋大学4年のときから司法試験を3回受験していたことによります。6年生(去年)の5月末に司法試験の夢に破れ、「どこかで働かなければ!」と強く思い、民間を回ってみたのですが、「うーん、どうも違う……」と感じ始めました。そこで「公務員でも目指してみるか!」と思い、9月から公務員試験の勉強を始めた―――最初はそんな「不純な動機」が自分の気持ちの中にあったことは否定できませんでした。 「ハンディ」を背負っていることに不安を感じて――そうこうして勉強を始めるうちに、10月に予備校(Wセミナーの「合格者情報サークル」)で国 l 合格者の方2人から直接話を伺う機会がありました。そこでは勉強方法から官庁訪問の仕方までいろいろとお話があったのですが、気になることがあったので、私の方から思い切って質問してみました。もちろん、年齢のことです。 「いろいろな受験生の知り合いがいらっしゃると思うのですが、最終合格はしたけれど内定をもらえずに終わってしまった人に一定の類型みたいなものはありますか?」と。すると、「年齢が高いとやはり少し難しいようです」という答えが返って来ました。予想していた答えだったとはいえ、「これが現実なんだ」と思うと憂鬱な気分になりました。 しかし、同時に「必ず最終合格して内定をもらい、来年は自分がこの場で受験生にいろいろと話せるようになりたい!少なくとも自分と同じくらいの年齢的な『ハンディ』なら打ち勝つことができるということを証明して、他の『ハンディ』を持っている受験生に勇気を与えられる、そんな先駆者の一人になりたい!」というふうに思ったこともまた事実です。明確な展望、そして、それを裏付ける確固たる根拠は何一つなかったにもかかわらず、「なんとかこの逆境を克服してみせる!」という気持ちだけは人一倍ありました。克服できなければ働き場所がないわけですから……。 人事院主催の官庁合同業務説明会そして、11月初めには人事院主催の官庁合同業務説明会が2日間にわたって早稲田大学で実施されたので、それに参加しました。この説明会は、各省庁がそれぞれ別の部屋に分かれて、1ターム40分の業務説明を行うというものです(もちろん、他大学の人も参加できます)。4タームあったので1日4省庁、2日で最高8省庁回ることができます。実際に現場で働く公務員の方々にいろいろお話を伺うことができるので、これは非常に貴重な体験です。 しかし、ここで「2留・既卒」という「ハンディ」が改めて自分に大きくのしかかりました。「仮に国 l に最終合格できたとしても、自分はいったい採用される可能性があるのだろうか……」と。周りを見渡せば大半が3年生ないし4年生。当時、私は6年生でしたが、試験日には既卒になっている―――このプレッシャーが私を襲いました。 この業務説明会で私は、文部省・厚生省・労働省・運輸省・建設省・郵政省・農林水産省・総務庁の8省庁を回りました。その際に、いろいろな省庁で業務説明終了後、個人的に質問してみました。「私は来年卒業して25歳になるのですが、今年は最高何歳の人が採用されましたか?」と。すると、ある省庁では「司法試験に受かった人だと、26、7歳の人がいます」「ガーン!」しかし、別の省庁では「確か25、6歳の人もいたと思うよ」との返事を頂きました。続けてその方は仰いました。「まあ、確かに、きみと全く同じくらい評価されている人がいたとして、その人の方がきみより若ければその人を採用することになるんだろうけどね」と。つまりこういうことです。例えば、3歳差ある2人(仮に25歳と22歳とします)が同じくらいの能力だと評価されたとします。この場合、22歳の受験生があと3年して25歳になったときには、現在25歳の受験生が現時点で有する能力以上のものを獲得しているだろう―――採用側はこう考えるわけです。 これを「年齢差別」と考えるかどうかは人それぞれでしょうが、この言葉を聞いたとき、「結局、回り道した3年間を面接官にどう説明できるか、ここが勝負なんだな」と私は強く感じたのでした。 少しずつモチベーションが高まりはじめて――この業務説明会の後、「自分は具体的にどこの省庁で働きたいのか」について少しずつ具体的に考えるようになりました。自分の将来について真剣に考え、「2年後の春、霞ヶ関で働く自分の姿」がおぼろげながらに見え始めたのはこの頃です。それまでは、「果たして自分はこの年齢で採用されるのだろうか」という不安感と、「来年は『どこか』で働かねば……」という「不純な動機」の二つが、自分の気持ちの多くを占めていましたから……。 11月、12月は、各省庁が個別に、大学のそばの喫茶店や部屋などを借りて業務説明会を行っていましたので、それに積極的に参加しました。先の人事院主催の説明会では40分程度の業務説明を伺うだけだったので大雑把なことしか伺えませんでしたが、各省庁が独自に行うこの業務説明会では、2時間、3時間といった単位で時間が取られており、また、説明に来る省庁側の方も7、8人くらいいらっしゃることが多かったです。したがって、複数の方から、業務に関わる真面目な話から「公務員の仕事は激務だと思うのですが、奥さんとうまくやっていく秘訣はありますか?」といったプライベートなことまで伺うことができました。 こうした採否に直接は関わらないと思われる説明会に出席することは、以前の自分なら建前的には「これも大切なこと」と思えても、本心では「めんどくさい」と思ったことでしょう。しかし、素直な気持ちから「出席して、いろいろな話を聞いてみたい」と思うことができるようになった―――その自分の心境の変化にかつての「不純な動機」とは別の「真剣な気持ち」があるんだと感じました。 そして、この頃の私は、年齢的な「ハンディ」については、こんなふうに考えるようになっていました。「これも自分の個性。自分の一つ。弁護士になりたくて遠回りしたことをきちんと説明した上で、なぜ公務員を目指すようになったのか、なぜこの省で働きたいのかをきちんと面接官に伝える。そこまで『きっちり』やってもダメなら縁がなかったということで仕方ない。年齢的な『ハンディ』があるといって卑屈になるより、大切なことはむしろ『そのおかげで、こんなふうなことを考えられるようになった』と具体的にアピールできることのはずだ」と。 今の自分にある「ハンディ」をどんなに悔やんでも、それがなくなるわけではありません。今の自分の全てを受け入れた上で、将来の自分を考える―――こんなふうに「ハンディ」に対して徐々にプラス志向になれた陰には、官庁訪問経験のある友人の支えがあったことは忘れることができません。その友人は、いろいろなこと―――例えば、官庁訪問で想定される私に対する質問など―――を厳しい言葉を交えつつも本音でいろいろ教えてくれました。それまでは官庁訪問について漠然とした抽象的な危機感・不安感しかありませんでした。しかし、予備校の講義の帰り道、電車の中でその友人から官庁訪問に関するいろいろな話を聞くことにより、「官庁訪問ではどういう点に注意すべきか、どういうことをアピールすべきか」について、かなり早いうちから具体的に考えるようになりました。 このように、危機感を具体的に、そして身近に感じることができたことは、「ハンディ」のために弱気だった自分を少しずつ強気に変え、数ヵ月後にやってくることとなる官庁訪問で大いに役に立ったことは言うまでもありません。 このようにして、「勉強面」とともに、官庁訪問で回る省庁、志望動機をどうするかといった「勉強以外の面」についても、モチベーションが徐々に高まっていきました。 志望官庁の絞り込みと「出会い」年末に行われた業務説明会にいろいろ参加したことは、「官庁訪問で具体的にどこを回ろうか?」ということを真剣に考えるきっかけとなりました。そして、回る省庁としては、早稲田大学での業務説明会で説明を受けた省庁のうち、運輸省・農林水産省・厚生労働省辺りが自分の中で有力になってきました。 会計検査院との「出会い」そして、もう一つ、会計検査院が有力候補に上がってきました。会計検査院については、早稲田大学で業務説明を受けたわけではありません。業務説明の4ターム全てが終了した後、「せっかくだから失礼かもしれないけど、回りきれなかった省庁についてもパンフレットくらいもらっておこう」と思い、あちこちでパンフレットをもらいに歩いていました。 そして会計検査院の部屋にも伺いパンフレットを頂いたのですが、その際、廊下で10分ちょっとの間、わざわざ私のために業務説明して下さいました。あまりに嬉しくてその場では私が恐縮してしまったのですが、家に帰って「せめて、会計検査院のパンフレットくらい、全部目を通してみよう」という気持ちになり、一通り読んでみました。これが会計検査院との最初の出会いです。すると、「ここに行きたい!」という気持ちに駆られたのです。それは具体的には以下のような理由からでした。 志望動機の一つとして「弱者、自由競争で救われにくい人の手助けをする仕事がしてみたい」というものがあったのですが、会計検査院のパンフレットを読み、もう一つ、「これも実は志望動機だったんだ」と思えるものが浮かんで来ました。それは「公務員に対する信頼を取り戻せるような仕事をしてみたい」ということです。 公務員試験を目指すことを司法試験受験時代の友人に言ったときに、「えっ、公務員に?!」と言われたことがありました。この友人の言葉は昨今の公務員による汚職事件を念頭に置きつつ言われたものなのですが、正直言って私自身も当時は公務員に対して「うーん……」というイメージが強かった方でした。自分がこれからなろうとする職業に対して、このような思いを抱いていることは決して気持ちのいいものではありません。「何か自分にできることがあったらなあ……」と漠然と思っていました。 そんな折、会計検査院のパンフレットを読み、「ここなら、公務員に対する信頼を取り戻す仕事ができるのではないか」と強く感じたのです。会計検査院は、帳簿上の誤り・不正はないかといった観点からのみチェックするのではありません。例えば、国が補助金を支出して架けられた橋であれば、そこに橋を架けることは有効なのか、橋は設計図通りに作られているか、材料はどうか、など実は極めて広い観点から補助金の使途をチェックできるのです。補助金は元を正せば国民の支出した税金ですから、会計検査院という存在が私の心に「ピーン」と響いたのです。「そうか、国民の信頼をストレートに取り戻せる仕事も存在するんだ」と。実際の官庁訪問では公務員を目指した志望動機については何度となく聞かれ、答えることになりましたが、自分の中の志望動機二つのうちの一つが会計検査院のパンフレットを通じて発見されたのでした。 省庁との「出会い」なんてきっとこんなものです。会計検査院なんて最初は目にとまりませんでした。もしも、あの早稲田大学の廊下で業務説明を受けていなければ、会計検査院を官庁訪問で回ることもなかったのです。今にして思えばとても不思議なことです。人との「出会い」も偶然ですが、省庁との「出会い」もまた偶然です。偶然の連続、偶然の積み重ねです。ですから、その「偶然のチャンス」を掴むためにも、やはり業務説明会などには積極的に参加すべきだと私は思います。 人事院との「出会い」そして、もう一つ、偶然の「出会い」をした省庁があります。それは人事院です。年が明けてからのことですが、予備校の授業(渡辺ゼミにおける山田先生の教養の授業)で「本試験の問題として、どういう問題がいい問題か?」ということについて考える機会がありました。司法試験受験生時代からも「合格者が解けるのに不合格者が解けない、そういう問題が合否を分ける。合格者の正答率の低い問題は少なくとも合否を分ける問題ではないから、できなくてよい」という話は聞いていました。これです。「合格者が解けるのに不合格者が解けない問題、そういう問題がいい問題なのではないか」ということです。合格者とは、最終的には公務員になる人です。公務員として適格性ある人を合格者とし不適格な人を不合格者とする、その選別のための試験問題を作り、分析するといった仕事を担っているのは人事院だと改めて知ることとなりました。この仕事は私にとっては正に「国民の信頼をストレートに取り戻せる仕事ではないか」と思えたのです。 もしも、予備校のその授業に出席せず、「どういう問題がいい問題か?」ということについて深く考えることがなければ、人事院の仕事に注目することは恐らくなかったことでしょう。 人事院と会計検査院――この偶然の「出会い」をした二つ省庁が、数ヵ月後にやってくる官庁訪問で第1志望、第2志望として回る省庁になるなんて、「公務員になろう」と思った時点では全く想像できなかったことでした。 最も恐れていた官庁訪問が始まって――私は「後がない」という厳しい状況に置かれていましたので、公務員試験のスケジュールは以下のような過酷なものとなりました。
ちなみに、衆議院・参議院については5月に業務説明会がありましたので、これに参加しました。国会職員の仕事は霞ヶ関の行政官庁とは全く別の世界なことがわかり、新鮮さを感じ非常に興味を持ちました。この時点では、国 l よりもむしろ国会職員の方がいいのではないかとさえ思ったくらいです。ただ、こう思った理由の一つとして、気持ちの奥底に「国 l で官庁訪問しても年齢的な『ハンディ』があるから、どんなに頑張ってもやはり内定はもらえないだろう」という弱気な思いがまだ残っていたから、という面があったことも確かです。また、待遇面・労働環境などの点で行政官庁よりも国会職員の方が良いように感じられたことも、理由の一つでした。 国 I 1次試験当日このように、少しずつ「ハンディ」を克服してきましたが、それでもやはり完全には払拭できないまま6月13日を迎えたのでした。そして、13日の試験終了後、予備校(Wセミナー)で官庁訪問のときの心構えなどについて伺う機会があったのですが、そのときに渡辺先生と個人的にお話することができました。 このときに、自分の年齢・司法試験を受験していたことなど、自分にとって不利なことをどう面接官に説明し納得させればいいのか、第1志望の官庁を最初に回ると面接慣れしていないせいで、言葉のやり取りがたどたどしくなり、切られてしまうのではないかということなど、いろいろと質問しお話を伺うことができました。この場では先生のお言葉に圧倒されてしまい、「明日、10数時間後には始まっている官庁訪問、これでは非常にマズい!」と、多大なる危機感を抱いたのでした。 その後、友人3人と1時間ばかり前祝いと称して飲み(飲んでいても明日のことが心配で気が気ではなかったのですが)、家に帰り、訪問予定の省庁―――人事院、会計検査院、運輸省、農林水産省、厚生労働省、文部省の志望動機や、司法試験から公務員試験に転向するに至った経緯などについて、渡辺先生と話していたときに感じた危機感を思い出しながら考えていました。明け方4時過ぎにようやく眠りにつくことができました。 官庁訪問いよいよ待ちに待った(?)官庁訪問。試験よりも何よりも一番恐かった官庁訪問です。当初は5〜6省庁は回ろうと思っていたのですが、結局、人事院・会計検査院・運輸省の3つに絞らざるを得ませんでした。というのは、次回の面接の予約をする際に、採用担当者の言うままに予定を組んでいくと、私の場合はこの3省庁のローテーションとせざるを得なかったからです。 このプランは自分の中での志望順位の高い上位3省庁を回るという意味では何ら問題はなかったのですが、ただ、人事院と会計検査院は採用予定者数が少ない点が非常にネックでした。4人と3人、両者合わせてもたった7人しかいないのです。それに対して、運輸省は14人でした。「確かに人事院・会計検査院にはとても『行きたい』けれど、もっとたくさん採用する省庁を回った方がいいのではないか」という気持ちに襲われました。そうです。「行きたいところに行く!」という言葉を実践すべきか、それとも妥協した方がよいのか、非常に悩んだのでした。14人の中なら1人くらい既卒の25歳がいても「14分の1」にすぎないが、4人のうちの1人だとすると「4分の1」を占めることになるため、採用側も躊躇するのではないか、といった不安感がこみ上げてきたのです。「あと2年、いや、せめてあともう1年早く公務員試験を受けようと決断していれば……。そうすればこんな『ハンディ』に悩まされることもなかったのに……」という後悔の念も久しぶりに浮かんできました。しかし、すぐに思い直しました。「今ある自分を受け入れなければ。『今の自分』のことを自分自身で受け入れることができなければ、面接官だって『今の自分』を受け入れてはくれないだろう」と。そして、同時に、「『ハンディ』を上回るプラスがあれば、きっと内定はもらえるはず。幸いなことに、自分の中での志望順位の高い人事院・会計検査院は、一般的にあまり人気がないと言われているから、なぜ自分がそこで働きたいのかを誠意をもって訴えることができれば、もしかしたら――可能性はゼロではない!」と思えるようになりました。「可能性が限りなくゼロに近づいても、諦めない限りはゼロにならない」という言葉を思い出したのでした。 このように3省庁のローテーションになることを自分の中で受け入れたのが官庁訪問2日目終了後。このときに初めて「行きたいところに行く!」という「当たり前の気持ち」に対して素直になれたのでした。 その結果――第1志望だった人事院から最終的に内々定を頂くことができたのです。 官庁訪問のコツ以上簡単にではありますが、時間の流れに従って、去年の9月から約1年にわたる私の公務員試験における心境の変化を「ハンディ」に関する面を中心として書いてみました。 さて次に、公務員試験、特に官庁訪問の際に特に大切だと思ったことを箇条書きにしてみたいと思います。 @ 自分の行きたいところに行く! 自分が特に行きたいわけでもないのに、「ただなんとなく……」という感じで官庁訪問しても、面接官は必ず見抜きます。20分程度の面接1回だけならその場を取り繕うこともできるかもしれません。しかし、最終的に内々定に至るためには、官庁によって異なりますが、10人前後の人と会うのが普通でしょう。しかも、1回の面接時間が1時間以上に及ぶことさえざらにあります。このような過酷な面接ですから、受験生がこの省に本当に興味があるかどうかを知ることは、面接官にとってそれほど困難なものではないでしょう。 そして、私が官庁訪問中に一つ感じたことがあります。それは「本当に興味がある、行きたいと思う省庁であれば、自然と質問が出てくるものだ」ということです。つまり、面接においていろいろ業務説明を受ける機会があるのですが、そのときに関心のある省庁であれば、「一」の説明を聞いたら、最低でも「一」の質問・疑問は浮かんでくるのです。「一を聞いて十を……」というわけではありませんが、「一」を聞いたら普通は「二」ないし「三」くらいの質問は浮かんできます。「面接時間が長過ぎて間が持たない」ということが起きないのです。いろいろと聞いてみたいけれど、面接官の時間の都合もありそうなので、こちらから「では、最後にあと一つだけ……」という形で締めくくらざるを得ない場合が多かったです。私が人事院・会計検査院・運輸省の3省庁しか回らなかった理由の一つには、本当に関心があったのがこの3省庁であって、他の省庁を回っても間が持たなさそうで自分も面接官も無駄な時間を過ごし、お互いに嫌な思いをするのではないかと思ったこともありました。 A 嘘はできるだけつかない。 なぜ、できるだけ嘘をつかないことが大切なのでしょうか。これは人によって違うと思うのですが、私の場合、「嘘をついた」ということで引け目を感じ、それが態度に出てしまうと思ったからです。正直でいるときは引け目がない分、堂々としていられます。それともう一つ、最初は小さな嘘だったとしても、それを隠すために次には最初よりちょっと大きな嘘をつかなければならなくなり、その次にはもっと大きな嘘をつかなければならなくなり――と雪だるま式に嘘がどんどん大きくなり、そのうち自分の発言に矛盾が生じるのではないかと考えたからです。もちろん、お互いの駆け引きの中で許される程度のものであれば何ら問題はないのですが、積極的に真実でないことを言うことにはやはり抵抗がありました。 嘘はできるだけつかない――これは本当に難しいことです。大げさに言えば、官庁訪問、いや、もっと広く就職活動始まって以来の「永遠のテーマ」と言ってもよいのかもしれません。ほとんど誰もがぶつかる壁として「自分の回った省庁では、どこでも『第1志望です』と言うべきなのか?」が挙げられるでしょう。この壁の突破の仕方は人によってそれぞれです。全ての省庁で「第1志望です!」とサラリと言い切ってしまう人もいれば、正直に「こちらは第2志望です」という人もいます。サラリと言い切ったら言い切ったで「なら、どうして初日に来なかったの?」と突っ込まれる可能性もあるのでこれに対する答えを念のために準備しなければなりません。逆に、正直に言う路線を取ったら取ったで「こっちとしても第1志望の人を取りたいんだけどなあ」と面接官から嫌味の一言を言われることも覚悟しなければなりません。 私の場合は、とりあえず面接カード(面接前に記入して提出する身上書)には、訪問した省庁を第1志望欄に記入し、「真の第1志望」でない省庁での面接のときは「第2志望欄以下の省庁にも興味があり、今のところ優劣がつけ難いです」と言いました。半分は嘘かもしれませんが、半分は本当です。なぜなら、入りたいと思う省庁はみな「第1志望」だと思うからです。より正確には、そのように「思い込む」必要があったのです。そう「思い込む」ことで、「決して嘘はついていない」と自分に言い聞かせることができました。これにより、面接の際も堂々としていられました。「それは開き直りだ」と言われてしまえばそれまでなのですが……。 B 「ハンディ」に対して卑屈にならない。「ハンディ」を最後の言い訳にしない。 「ハンディ」と一言に言っても、私のような年齢に関わるものもあれば、性別に関わるもの、学歴にかかわるものなどいろいろあると思います。 ここで一つ、官庁訪問中に出会った一人の友人の話を書きたいと思います。その友人は、私と同い年で既卒だったのですが、彼は地方大学出身で、国 l を受験する人は周りにほとんどいなかったそうです。そういう孤独な戦いを強いられるという意味で彼は「ハンディ」を背負いつつ官庁訪問に臨んだわけですが、彼には一つ大きな強みがありました。それは、彼の人柄なのですが、在学中からしていた土建系のバイトでの評価が相当高く、卒業後もこれを続け、各地で開かれるの会合等に代表として出席していたというほどです。彼は人当たりが非常に良く、これは大きな強みでした。官庁訪問で彼はどうなったのかと言うと、一般に有名大学と言われる大学出身の人がどんどん消えていく中、彼は生き残り、1次合格発表直前には補欠組の最上位クラスにランクインされていたとのことでした。残念ながら、この友人は1次試験で不合格となってしまったのですが、もし1次試験に通っていたとすればどうなっていたのか、非常に興味深いところでした。 普通の人と違う点――「ハンディ」――に対して卑屈にならないこと、これが「ハンディ」を背負った受験生にとっては一番大切だと思います。卑屈になると、気持ちが消極的になり、まだ結果が出たわけでもないのに自分の方から「もうだめだ」と勝手に決め付け、諦めてしまうことが多くなってしまいます。私も、そして、この地方大学出身の友人も、最後の最後まで諦めずに官庁訪問したからこそ、こうした結果になったのだと思います。もしも、私が途中で諦めてしまっていたら、内々定をもらえなかったことの最後の言い訳として「やはり、年齢という『ハンディ』の壁は高かった」と言っておしまいにしていたことでしょう。「ハンディ」を言い訳にして全てを終わらせることは簡単なことです。しかし、最初から不可能であることを前提として挑戦したのでは、いい結果は決して生まれません。仮に自分と同じようなタイプの人が合格・内々定をもらっていなかったとすれば、「自分が最初の人になる!先例になる!」というくらいの意気込みで挑戦すべきです。私はそう思います。 「ハンディ」というものは、面接官に納得のいく説明できなければ「自分を傷つける刃」となりますが、もしも面接官を説き伏せることができれば、それは官庁訪問という戦いを有利に進めるための有効な「武器」となるのです。「ハンディ」とは、多数派が持っていない「一見不利に見えるもの」を持っていること、持ち合わせてしまっていること。「ハンディ」があるということは、端的に言えば、自分は多数派受験生とは「違う」ということです。この「違う」という事実を、マイナスに働かせるか、プラスに働かせるか――それは本人次第なのだと私は痛感しました。最後に―― こうしてここまでなんとか辿り着くことができた陰には、先生や友人、家族などいろいろな人の支えがありました。そして、「これまでの感謝の気持ちを込めて、次は私が誰かの支えになりたい」と思い、その第一歩として、自分の体験記をこうして書くこととなりました。この体験記が少しでも誰かの支えになれれば幸いです。 私は公務員試験の勉強を始めたときから、自分の体験記を次の受験生のために書くことがささやかな夢でした。 次は、これを読んでいらっしゃるみなさんが来年の夏、次の受験生のために体験記を書く番です。みなさんのご健闘をお祈りし、私の体験記を終わらせていただきます。 以上 |
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