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キャリア・エリートへの道


地方私大から国 I キャリアへ

はじめに

 私は現在京都の立命館大学の大学院(M1)に在籍しています。大学院に在籍しているのですが、前期は国 I 試験に追われてしまい、充分に大学院の勉強をしているとは到底言えず、実質的には学部5回生(関西では、「大学〜年生」とは言わず、「大学〜回生」というのが一般的なのです)になっています。

 私は典型的ないわゆる「地方私大出身」の受験生です。国 I 試験では、しばしば東京大学を基準として、
  「(早稲田、慶應を除く)私大出身者は不利である」
  「地方出身者(=東京以外の大学はすべて「地方」)は不利である」
  「地方出身者は官庁訪問で内々定をもらいにくい」
というようなことが言われています。私の場合、「地方」「私立大」出身者となり、「不利」と言われている条件をかなり満たしてしまいます(笑)。

 これらの条件に当てはまるのは本当に不利なのでしょうか。実際、業務説明・官庁訪問は東京で行われますので、この間の移動費や滞在費(宿代・食事代)は実に高くつきました。この点で地方出身学生は大きな金銭的ハンディを負います。しかし、「採用活動で不利に感じたことはあったか」と言われますと、いろいろなご意見があろうかと思いますが、あまり関係ないと思っています。少なくとも私が回った官庁の中では露骨にあしらわれた経験はありませんでした。選考が進まなかった官庁については、自分に足りない部分があったことが大きな原因でした。

 これらについては、また後に触れることとして、私の「受験体験記」では、半分程度は私の今までの経験について触れさせてもらって、残りの半分は試験勉強や官庁訪問関連について書こうかと思います。そして、地方大学に在籍する方から東京圏の大学に在籍する方まで、幅広く読んでいただいて、「官庁を就職先の一つと考えていただくきっかけになってもらえば」と思っています。それでは、よろしくお願いします。

多くの引っ越し

 家族は3人家族で、父は地方勤務の国家公務員を経て、現在は会社員をしており、母は専業主婦をしています。

 父の仕事の都合上、転勤がしばしばありました。特に小学校入学後には2〜3年おきに引っ越さなければならず、そのたびに転校しました。私は小学校だけで2回の転校を経験し、中学校に進学するときに、もう1回引っ越しました。高校に進学する際にも、引っ越しをしたのですが、やはり小学校時の転校が私にとって大きかったと思います。

 転勤族の方はよく分かってもらえると思うのですが、小学生にとって新天地に飛び込むというのは非常に大きなハンディです。ほとんどの生徒は生まれてからずっとその地域で暮らしているので、友達の数が非常に多く、その地域にはもう慣れっこです。私が転校して一番大変だったことは、最初は友達が誰もいないので、自分で友達を作っていかなければならないことでした。友達がゼロの状態から友達をいかに作っていくか、そもそも友達ができるか、イジメられはしないか、果たして新しい土地になじむことができるか、といった不安は引っ越しの前と、引っ越ししてからしばらくの間はかなりありました。

 そんな中、私は転校後3ヶ月間を勝負と思って頑張って友達づくりに励んでいたような覚えがあります。友達は自分が受け身では増えません。自分が待っていては孤独になるだけです。自分から友達を作るために動かなければならないものですから、どんどん自分から進んで話しかけていき、仲良くできそうなグループを見つけだしていくことに一生懸命でした。とにかく排除されたら終わりです。即イジメられる格好のターゲットになってしまいます。ですから、友達付き合いにはとにかく気をつかい、始めのうちはとにかく低姿勢でグループになじめるよう、「自己防衛」に努めていました(笑)。

 幸いのこと、私は友人に恵まれ、いっときには軽くイジメられたこともありますが、それほど大々的なものではなかったです。これも自分の「自己防衛」のお陰であるのかな、と思っています。

 小学校のころに、転校を重ねた甲斐もあってか、私は人見知りはしない方だと思いますし、どのような状況でも友達を作っていく・誰とでもやっていくことができると自負しています。これも幼い頃からの「習慣」のお陰だと思っています。

バイオリンを習う

 私には、なぜか「バイオリン演奏」という特技があります。これは母が私にバイオリンを弾かせてみたかったらしく、私が物心がついたころにバイオリンを持たせてくれたのが始まりのようです。3歳からバイオリンを手にして、以来10年以上バイオリンをやっていました。

 音楽教室も数多くいろいろありますが、その中でも私がやっていたのは「才能教育研究会」という亡き鈴木慎一先生の指導法により全国に展開されているバイオリン教室です。この才能教育研究会では、
 「どの子も育つ、育て方一つ」「才能は生まれつきではなく、育てるもの」
ということをスローガンに掲げ、とにかく「できるまで繰り返す」ことをモットーとしていています。とにかくできなければ、何回も繰り返し同じことをやるんです。1回やってできなければ10回、それでできなければ100回やる、そうすれば、いずれ必ずできるようになる…。ただこの繰り返しでした。これはバイオリンだけではなく、どんなことでも言えるでしょう。

 バイオリンのお稽古は、「練習時間を2時間として毎日やり続ける」というものでした。「1日休むと、休んだ分を取り戻すためには3日以上かかって前に進まなくなる」と言われ続け、これを素直に信じて頑張っていました。

 とにかく毎日やり続けるのは大変です。子どもですから、集中して2時間というのは非常につらいですし、現に「だらだらと2時間をただ過ごした日」も少なくなかったです。友達と遊びに行くのも、バイオリンの稽古中であるなら、終わるまでなかなか開放してもらえませんでした。また、たとえ友達と遊びに行くのが先でも、帰ってからは夜遅くになってでも2時間の練習をやりました。というよりも、させられました(笑)。私の両親もこの辺りは厳しかったのですが、これがよかったと思います。

 私は、幼い頃にメンデルスゾーンという人の「バイオリン協奏曲」という超カッコいい曲を聞き、「この曲が弾けるようになりたい」というのが目標になりました。ここまでたどり着くためにはかなりの時間がかかりましたが、何とか弾けるようになり、目標を達することができました。

 バイオリンは中学生までは先生に直接指導して練習していたのですが、高校からは、なぜか柔道部に入ったためにバイオリンのための時間がとれなくなり、バイオリンは土日に独習という形になりました。とにかく努力、努力、ひたすら努力、の精神をバイオリンからたたき込まれたように思います。

高校入学まで

 高校を選択するときに、普通科に進学するか、音楽科に進学するかで多少迷いました。音楽科に進学することは自分が今後音楽で生計を立てることを意味すると考えていました。音楽だけで生きていくことは並大抵のことではないことは肌で分かっていました。音楽家として生き残るのはほんの一握りの大成者だということや、音楽界で生き抜くためには努力に加えて「運」の要素もかなり大きく左右する(=音楽に賭けるのはギャンブルだ)こと、音楽以外のこともやりたいと、いろいろなことを考え、その結果、普通科高校に進学することにしたのです。

 私は高校受験がはじめての受験だったため、高校受験に関しては非常に関心が高かったです。中学校の2年生から、学習塾にも通い始め、ここでもバイオリン同様、努力、努力、努力を貫きました。しかし、詰め込み勉強は好きでなく、受験は疲れると思ってしまったのです。これが後の大学入試にも響いてしまいました。「高校に行ったら勉強は当分しない」、という妙な決意をしながら勉強をし、結果第一志望の高校に進むことができました。

高校入学後 〜柔道にはまりすぎる

 この高校は、県内で私服が黙認という「自由さ」と、県内では「進学校」で通っていることがウリになっています。「勉強を当分しない」と思いつつこの進学校に進んだのも、「私服」と「自由」に惹かれたからでした。

 私はここで柔道部に入りました。バイオリンは充分すぎるほどやってきたので、今度は心機一転、スポーツを、という単純な発想です。そして柔道を選んだのも、バスケットボールやバレーボールのように中学校の経験者がほとんどいないので、初心者でも十分勝負できるだろうと踏んだからです。当時はバルセロナ五輪ということで、古賀稔彦や、吉田秀彦、田村亮子といったスター選手の活躍に国内が盛り上がっていたこともあり、柔道人口は上り調子でした。

 柔道部では、強い先輩方と練習をする毎日でした。「厳しすぎてとてもついていけない」ことはなく、かと言って「ダラダラしすぎる」こともなく、実にメリハリがついていたのがよかったと思っています。今までとは全く違う畑である柔道にすっかりとはまってしまい、自主練習・ビデオ研究などの時間が多かったです。熱心の甲斐があって、数ヶ月で初段を取ることができたのですが、本業であるはずの勉強はさっぱりで(笑)、勉強らしい勉強はほとんどせず、一夜漬けの定期試験の繰り返しでした。

 高校で印象によく残っている先生に、2年間担任をしていただいた古文の先生が挙げられます。指導が厳しく、生徒の間でも名物教師として有名です。2年間も担任をして頂けたのはラッキーというか、アンラッキーというか、ここではおきまして(逃)、この先生が常に仰られていた、印象に残った言葉があります。それは、「勉強はやればできる。勉強だけデキル奴は、本当にできるとはいえない。本当にデキル奴と呼べるのは、勉強と遊び(=部活動)が両立できる奴だ。」

 私はこの言葉がとても気に入っています。机に向かって教科書を開いて勉強することも大切ですが、それだけではなく、幅広くいろいろなことに取り組めなければならない、ということでしょうか。私は高校受験時に詰め込み勉強が嫌いになって、高校では勉強は後手後手になってしまい、「勉強と遊び」が両立できませんでしたが(笑)、これは今でも、そしてこれからも実践しつづけていきたいと思っています。みなさんも、心に残っている言葉があると思います。たまに思い出してみると、やる気が出てくると思いますよ。

大学入学 〜法学部に行きたい

 私は高校生活を柔道しかやってこなかったので、とても大学に現役合格どころではありませんでした。部活動の引退は8月半ばで終わるのですが、身体を動かしたくて仕方がなく、結局10月の前あたりまで道場でうろうろしていました。勉強をやらなければならないのですが、勉強癖がすっかりと抜けていたこともあり「浪人してもいいや(核爆)」とトンデモないことを考えていました。こんなことではダメです。「勉強と遊び」はバランスが重要です(笑)。こんなことで合格などできません。案の定、1年目はどこにも合格できませんでした。

 ちなみに志望は、ずっと法学部でした。なぜ法学部かといわれますと理由が貧弱で答えに窮するのですが、頑張って思い出してみますと「漠然と法律に対するあこがれ(「何となく」カッコいい)」、「政治に関心があり(当時自民党の55年体制が崩壊し、新聞がにぎやかだった)、政治を取り扱っているのは法学部が大半であった」、それから、「法学部はツブシが利く」(←これが実に大きなウェートを占めていたような気が……)、これらを総合的に考えて志望は法学部と思うようになっていました。

 しかし法学部はどの大学でも人気があり、ハイレベルな競争になるので、真剣に勉強をしなければなりません。しかし、高校入試のときの「詰め込み勉強嫌い」が響いたことと、繰り返しですが勉強癖がなくなったこともあり、1回目の受験はどこにも引っかかりませんでした。当たり前と言えば当たり前の結果です。しかし、そのくせ浪人することが決定したときには悔しい思いをしました。

 さて1年間の予備校生活をすごしながら、それなりに勉強をしたとは思うのですが、予備校から与えられたカリキュラムをとこなすことが目的となってしまった感じがしていました。「絶対に大学に入るぞ!」という思いの盛り上がりが今ひとつ欠けていたように思います。一生懸命に勉強はしたのですが(つもり)、高校受験の時に感じた「志望学校への意気込み」はよみがえってきませんでした。2年目の勉強でも、「超爆発的には」成績が伸びなかった原因はこのためだろうと思っています。

 2回目の受験では、結構な数の大学を受験し、いくつかの大学から合格通知をいただけたのですが、なぜかそれらは経済学部ばかりで、法学部からは嫌われっぱなしでした。そんな中、立命館大学の法学部に合格でき、かねてからの希望通り、法学部に進学することに決めました。

大学生活 〜いろいろな経験がしたい

 大学に入学してからは、「いろいろなことをやりたい」と張り切っていました。

 例えばサークル活動では、1回生の時に学術系のサークルに入りました。高校の時にさんざん遊んだので「大学に入ったのだから、ちょっとは勉強せねば」という気持ちが強かったからです。このサークルでは、実際の社会現状を分析する研究会と、政治学の古典を読む研究会との2種類があり、ここで社会問題を幅広く考える機会を得ることができました。このサークルでは年1回論文を書くことが慣例となっていて、これに向けていろいろ本を読みながら自分の考えをまとめなければなりません。「本や新聞を読む習慣をつけること」と、「物事を論理的に考えること」、の2つをサークルにおいて自分から意識して訓練するように努めました。どれだけの効果があったのかは自分では余り実感が湧きません。しかし当たり前かもしれませんが、「意識的に課題を持って」物事に対して取り組むことは、特に意識しないで行動するよりもはるかに効果が上がります。日常的に自分の課題を意識して取り組むということはなかなかないかもしれませんが、ちょっと意識するだけでだいぶ差が出てくると思います。実はこれは就職活動をするときに誰もが意識的ないし無意識的にすることです。常に真剣に考える必要は全くありません。頭の片隅に置いておくと、時間が経つに連れて少しずつ差が出てくると思います。

 サークル活動は2回生からは、新入生に対して「生活・自治・学習面」から支援をするボランティア活動をする団体にも入り、新入生など多くの人と話をするようになりました。お陰で多くの友人・知り合いが増え、学内の交流の幅が一段と増えました。最近は学生も多様化していて、高校を卒業してから大学生になる人もいれば、実際に働きながら勉強をする、あるいは会社勤めはすでに定年退職していて、もう一度大学で勉強をするといった社会人学生もここ数年で非常に多くなっています。幅広い世代を通じて話ができることは、本当に面白いです。「いろいろな考え方があるもんだ」「いろいろな人がいるもんだ」「この人は面白いな」と、本当に考えさせてくれます。誰もが自分に持っていないものを必ず持っています。大勢の人と話をすることから得られるものはたくさんあります。ワイワイ楽しく過ごす時間も楽しかったですが、いい交流・いい経験もできました。

 アルバイトにも精を出しました。一番長く続いているのが塾の講師です。京都ならではというアルバイトとして、寺のアルバイトという一風変わったものもやっています。仕事は大したものではないのですが、お寺の方から普段聞かれないような話を聞き、「ちょっと世界が違うな」と思うこともたびたびです。

 いろいろなことを経験して一番面白いと感じるのは、先にも少し書きましたが、物の見方が変わっているので、同じものでも見方が違ってくることでしょうか。今までとは違う物の見方、ちょっと大げさな言い方かも知れませんが、新しい世界を見つけたかのように新鮮な気持ちがします。私が国1を受けようと最終的に決めたのも、いろいろな経験ができるということが大きなウェートを占めています。国1の職員は2年ほどで次の職場に異動すると聞きます。いろいろなことをやりたい、いろいろなものを見たいという欲張りな人にはとても魅力がある職場であると思います。

公務員試験にむけて

 ここまでは私が今まで経験したことなどを中心に書かせてもらいましたが、ここからは公務員試験について、私がやってきたことを中心に話を進めていきたいと思います。

 試験勉強は、3回生の冬から本格的に始め、主に立命館大学のエクステンションセンターを利用しました。これは立命館大学が資格試験予備校と提携して、学生を支援してくれる大学独自の制度です。授業内容は予備校と同じものなので安心でき、費用も手頃であるので、学内で大変人気があります。エクステンションセンターを始めとする職員の方からは、実に様々な相談に乗っていただいて、試験勉強の参考にしました。

 国 I 受験に関してはWセミナーの「国 I ゼロからの上位合格講座」の講義が受講できました。つまり私は、「公務員予備校を利用した例」ということになります。

 私は、4回生のときに1回目の受験をしました。しかし、結果は「これは受からないな」と受験会場で直感的に感じてしまい、これほど実力がついていなかった、という本当にひどいものでした。そこで1回目の受験を振り返り、「こういうふうにすれば不合格になる可能性が高いだろう」ということをお伝えしたいと思います。

不合格体験記 〜予備校の授業を「聞いただけ」が敗因

 私が1回目の受験のときに、公務員予備校を利用したのにも関わらず、本番の時に受験会場で不合格を予感するほど出来が悪かったのはなぜだったのでしょうか。普通なら、きちんと予備校で学習をすれば合格する力は身に付くはずです(私もそう思います:笑)。

 一番の敗因としては、講義ビデオを「鑑賞しただけ」で手一杯になってしまい、過去問をこなすことがぜんぜんできなかったことがあげられます。どの公務員予備校を利用していても同じことが言えると思いますが、講義の復習(知識のインプット)をして、過去問演習という形でアウトプットする作業がなければ、予備校に通っても効果は半減以下になってしまうと感じます。中には、予備校の授業を聞いただけでも、ある程度の問題に対応できる(そして合格する)人もいます。しかし、そのような人も本当に何もしていなかった人というのは極々少数であり、実は「法学部生だから、学部の試験勉強で法律学の基礎には触れていた」、とか、「1回生の頃は司法試験のような資格試験を受験しようとして一時は勉強に燃えたが、時間が経つにつれて、試験への情熱が冷めてしまい、勉強から離れてしまったが、国 I 受験で再び勉強をし始めた」などの勉強の基礎がすでに出来ているという人だと思います。いずれにしても、勉強を全くしていないわけではなく、以前に何らかの基礎をかじったことがある人がほとんどだと思います。

 さて話を戻しますが、私は実に非効率的なことをしていました。それは、12月から勉強を始め、比較的スタートが遅かったので、少しでも効率的に勉強をしなければならないにも関わらず、「すべての講義ビデオを全部見て勉強しようと本気で思っていたこと」でした。1つの講義は「90分×2」ですが、私は講義ビデオを1日に2セット(6時間)は当たり前で、日によっては1日に3セット(9時間)を見ているという状態に陥ってしまいました。予備校の講義は内容が濃いので、これを1セット見るだけでもかなりの労力がかかりました。しかも、分からないところをもう一度見ようとするので、1セットがとても3時間では終わらず、どうしても4時間かかってしまいました。こうして、私の講義ビデオ学習は1セット見るのに4時間かかり、3セットを見る日は12時間もかかってしまった(朝の10時から講義ビデオを見始めると、夜の10時に見終わる!)のです。3セットもずっと見ていると、さすがにくたくたになり、もう復習どころではありません。こうして、講義ビデオを見るだけが日課となる日々が続きました。過去問を解かなければならないのですが、とても過去問を解く時間まで確保することができませんでした。しかも講義の復習をしないものですから、ビデオは見たものの、講義の内容をきちんと理解したかどうかは極めてあやしい、というまさに悪循環でした。さらに追い打ちをかけることがあります。4月からはWセミナーの講座として「直前択一答練」が始まるのですが、まだすべての過去問も解いていないのに、この講座を採ってしまい(ここまで来ると、もう感激ものである)、答えは当然分からないのでまたパニックに陥り、解説講義のビデオもまた見なければならないわ、と、こうして再びビデオ鑑賞の時間が過ぎていき、心理的にも「もう間に合わない」と追いつめられてしまい、非常に苦しい状況のまま本試験に臨まなければなりませんでした。こうして文字化すると、実に恥ずかしいのですが、これでは不合格になるのも我ながら納得できます。

 この私の失敗から次のような教訓が言えるかと思います。
(1)予備校の講義は予習と復習をしなければその効果はかなり薄くなる。
 (←この点、大学入試と同じです。)
(2)講義を見ることに加え、復習(内容の理解)と過去問の分析が大切である。
 (←これをやるのが一番難しいです。地味な努力が必要です。)
(3)講義ビデオを見る時間がなくなってきたら、全部の科目を見ることは不可能と割り切り、自分に必要な科目だけに絞って受講をした方がいい。
 (←時間があるときの勉強法と、時間がないとき(=直前期)の勉強法は違います。特に時間がなければ思い切った割り切り、決断が必要です。)
(4)時間がなくなったら、講義の内容を「完璧に」理解することよりも、過去問を解くことで、試験問題の傾向を知ることに重点を置く。
 (←目標は本試験で正解することで、学説や講義の「完璧な」理解が最終目標ではありません。)
(5)たくさんのオプション授業が予備校では用意されているが、初学者は、インプット講座の復習も終わっていないのに、あれこれ手を出しても消化しきれないので、そのときは我慢してとらない。
 (←1つのことを確実にこなす方がいい結果に結びつきやすいです。これはいろいろな参考書に手を出しすぎない方がいいことに似ていると思います。)

と、実にたくさんの教訓が得られましたが、結果的にはこの失敗を2回目の受験に活かすことができましたので、私としてはよかったと思います。しかし、今これをご覧になった皆さんは、私と同じ失敗をしないようにしてもらいたいです。自分のペースを信じることが一番の合格の近道だと思います。

2回目の受験 〜復習・過去問を中心とした勉強へ

 1回目の受験はこうして不合格で終わりましたが、この時に得られた教訓を2回目の受験勉強に活かすようにしました。それは、「講義の復習」と「過去問演習」を中心とした勉強にシフトさせたことです。

 先にも書きましたが、私は予備校の講義ビデオの鑑賞で終わっていたため(それにしても、どうせビデオの鑑賞なら映画などの鑑賞をした方がよほどよいのですが……)、受験に必要な知識も完全にインプットされておらず、過去問も充分に解いていませんでした。そこで、2回目の受験に向けて、講義ビデオの復習を兼ねて基本知識のインプットに時間をかけて、アウトプット(=過去問の演習)までしっかりとやろうと決めました。

 2回目の受験に向けた試験勉強は9月半ばごろから始めました。まだ時間にゆとりがあったので、復習にもじっくりと取り組むことができました。とにかく地味で地道かもしれませんが、じっくりと机に向かって溜まったプリントや教科書とにらめっこをしていました。例えば民法の内田教科書を「全部」読み始めるなど、2回目の勉強方法も効率的な方法だとは思いませんでしたが(現に、友人から「あまり効率的ではない」と指摘されました。しかし、「これが自分のやり方だ」と思って効率性の面は半ば諦めました。)、今回は1回目とは違い、時間的なゆとりがありましたので、この方法でもなんとかなったと思います。自分のやり方を貫くことができたことがいい結果に結びついたものと思います。

・自分のやり方を自覚しているならば、「できるだけ」貫く。自分にやりやすい方法はやはり効果も上がりやすい。

 2年目の受験勉強の際には、東京圏で開校されている「渡辺ゼミ・上松ゼミを京都でも」ということで、Wセミ京都校において「ALLSTARゼミ」が新設され、これに参加しました。渡辺先生に直接またはメールで質問(愚問も多く、先生にはご迷惑だったことと思います。)ができて、試験へのモチベーションを高めたり、不安を解消できたことは大変ありがたかったです。

教養の勉強会

 2回目の受験勉強をするにあたり、教養の数的処理の勉強会を行うようになりました。メンバーは、官庁訪問の際に知り合った、私と同じように1回目の受験に失敗した2人と私の合計3人で(3人とも違う大学である)、最初はたまに会って雑談をして、夕飯に流れ込むのが中心だったのですが、10月下旬ごろからか、数的処理の対策を中心とした勉強会にいつの間にかなっていました。

 気の知れた友人と共に勉強会をすることは、非常にいい面があります。それは自分の勉強方法や、勉強のペースなどを意見交換することによって、今の勉強の方向性を確認できるということと、同じ目標を持っている仲間と話をすることで勉強の息抜きが兼ねられるということが一番だと思います。もしも勉強会を開くことができるのでしたら、ぜひぜひおススメしたいです。

 勉強会では、模試の数的処理の検討を中心にしました。数的処理の問題は、実にいろいろな問題の解き方があります。しかし模試の解説は、誰も文句が言えないようにするために、複雑な数式を使いながら解説をしていることが多く、しかも1通りしか解答が書かれていません。しかし実際に模試を解いている時は、解説と同じ解き方をすることはあまりありません。つまり、数的処理の解説は実践向きではないのです。そこで、勉強会では、自分はどのようなアプローチの仕方で問題に取り組み、正解にたどり着いたのか。どのようなアプローチをして不正解になったのか、ということをお互いに出しあうことによって、いろいろな角度から問題が見られるようにするのを目標としました。数的処理の中でも得意な分野が人によって違います。得意な分野の問題に関して、得意な人が中心となって教えあったりもしました。私は教えてもらう方がはるかに多かったので、この点つらかったです(笑)。

 私は数的処理の成績が特に壊滅的なため、この勉強会は危機感が強まるのでいい刺激になりました。しかし、数的処理は成績がなかなか安定しない難しいもので、模試では最後まで納得した成績をとることはできませんでした。しかし、もしも勉強会をやらなければ、多分もっと悪い成績だったでしょうから、やはりやってよかったんだと思います。

省庁説明会

 私は京都の立命館大学に通っているため、地理的に京都大学が近いです。京都大学で行われる省庁ごとの説明会に参加できるのは地理的には比較的恵まれていると思います。

 京都で行われる説明会は、主要省庁が主に秋と春に京都大学の施設で説明会を開くもので、わざわざ東京から若手の I 種職員や時に人事担当者の方来ていただいて説明をしてくださいます。この説明会で、省庁のパンフレットを入手することができました。そして直接職員に政策的な難しいことから、日常の食生活(職生活?)など、いろいろな質問ができ、非常に面白かったです。省庁説明会は、官庁の仕事に興味がない方でも誰でも参加できます。省庁説明会は国 I を受験する予定のない人でも、誰でも参加できます。就職先の一つとして、官庁ではどのような仕事がされているのかを聞くための説明会にすぎません。今まで全然官庁の仕事には興味がなかったけれども、説明会で職員の話を聞いて興味を持ち始めて、国 I 受験を検討し始めるという方が(京大生に)多いです。

 しかし、残念ながら、まだまだ国 I 受験者が少ない大学では省庁説明会は敷居が高いように思われているようです。この意識が徐々に薄れていっているように思いますが、それでもまだまだ気軽に参加できるというところまで達していないように感じます。

 省庁で働くことを選択することは、数多くの会社の中の1つを選択することに過ぎないです。私たちが就職活動をするときには、会社のセミナーに参加し、会社の業務説明を聞きます。省庁説明会も、会社説明会の一つです。誰でも参加でき、誰でも話を聞くことができます。学生にとって、霞が関で働く職員と話す機会はめったにありません。しかも地方学生となると、その機会は一層減ることになります。

 だから、省庁の仕事に興味がある人も、全く興味がない人も、1度くらいはぜひ話を聞いみてほしいです。たとえ民間企業を中心に就職活動をすると決めた方も、官庁がどのような人が働いていて、どのような仕事をしているのかを見ることは決して損にはなりませんから。

 別に説明会が行われる大学に所属していなくても、説明会には参加することができます。私は立命館大生ですが、京都大で行われる省庁説明会で排除されたことは全くありませんでした。さすがに、一番最初に省庁説明会に参加したときには、緊張もあり、気負いもしましたが、慣れれば問題ありません。要は慣れです。

 ところで東京では、かなり多くの大学で省庁説明会が行われていると聞いておりますが、うらやましいです。東京近辺の学生が地方学生に比べて有利だと言われるのも、この省庁説明会の機会が多いことも理由の1つと思います。

 省庁説明会が行われる大学というのは、国 I 試験を受験する学生が多いので、説明会を開けば多くの学生の参加が見込めるからなのではないでしょうか。国 I 受験者がまだ少数派である大学で開いて、参加者がほんの数名、というよりは、比較的国 I 受験者が多い大学の方が、省庁から見ると効率的に説明ができると考えているのではないかと私は思っています。

 では、「省庁説明会がいつ、どこであるのか。」という情報をどうやって入手するのかという点に触れるのを忘れていました。一番手っ取り早いのは、説明会が行われる有名大学に在籍する友人をつかまえて聞くことが一番早いと思います。また、仮に友人がいなくても、説明会が行われる大学の掲示板(京都大学では法学部棟に説明会のお知らせが張ってあります)に、「説明会がいつ、どこの建物で行われるのか」ということが張り出されていますので、そこで情報を仕入れて、参加すればいいと思います。しつこいですが、「他大学だからといって参加できない」と思い込まずに、どんどん参加してほしいです。

省庁説明会が行われないところは 〜HPを活用

 東京と、京都以外で省庁の独自の説明会が開かれるところはあまりないかと思います。ここ2年間は、人事院が主催する合同の説明会が全国各地で行われるようになりましたので、今年も行われるようでしたら、ぜひ参加してほしいです。面白いですから。

 私がやっていた官庁説明会以外での情報の収集は、各省庁のHPをチェックすることです。省庁HPの情報が一番最新でかつ正確な情報です。HPの情報量はとても多く、とても1日では見切れないくらいです。みなさんが興味を持たれた官庁のHPを月1回ほどの割合でチェックしておけば、官庁説明会に劣らない情報を手にすることが出きると思います。直接質問がしたければ、HPから質問をすることができますので、これで自分の疑問なども解消できるかと思います。どんな些細な質問でも答えてくれると思います。国民の疑問ですからね。

官庁訪問の宿

 地方学生にとって、業務説明会・官庁訪問の宿をどうするかというのは、大きな問題です。私は東京では比較的安い宿を1室とり、そこに友人と一緒に泊まり込みました。比較的安いと言っても、宿代だけでも1人あたり10万円程度になります(2〜3週間ほどで)。さらに、京都−東京間の旅費や、滞在中の食費などを考えますと、20万円ほどにもなりました。すごい出費です。このお金がかかるという点が地方学生の一大ネックです。

 私は前もって大体これくらいのお金がかかることを予想していたので、アルバイトを続けることで、官庁訪問資金を用意しました。お金がかかることはもう決まっていますので、お金をいかに工面するかは前もって用意する必要があると思います。

 私の友人は、叔母の家や友人の家に泊まったり(これで宿代は0円になる)、またはカプセルホテルに泊まり続け、さすがに1週間でやめたという友人がいたりして、いかに出費を抑えるかを努力していました。どこに泊まるかは、自分がいいと思ったところにすればいいと思います。あとは予算と相談です。

 お金がかかることはすごくマイナスだと思います。しかし、これだけのリスクを背負ってまでも霞が関で官庁訪問をしたいとする人のモチベーションは、すごく高いように思います。そのモチベーションがそのまま官庁訪問にあらわれて、いい結果(内々定)を得る人が多いように思います。ですから、地方に住まれる方も、ぜひ官庁訪問をしてほしいと思います。

 ところで、ここ2年間で3月の下旬に人事院が主催する「学生のための霞が関ツアー」が開かれています。2日間にわたって霞が関の本省・本庁の中で職員による講演や、省庁の説明会、内部見学など、いろいろなものを見せてくれるというもので、参加する学生は大変多いです。地方から参加する学生も見受けられました。私も参加しましたが、霞が関の雰囲気を肌で感じることができてとてもよかったです。もちろん、省庁説明会もそうなのですが、参加したからといって採用活動に有利に働くわけではありません。

 しかし、公務員試験を直前に控え、時間はありませんが、実際の霞が関を目にすることによって再びやる気を盛り上げる起爆剤に充分になります。試験勉強の時間が惜しまれるようにも思いますが、モチベーションが一気に高まります。試験のラストスパートに向けて、気分転換も兼ねて参加するといいのではないでしょうか。

時代を楽しみたい

 私は幸運にも中央省庁再編後に初めて採用される第1期生となります。また、21世紀最初の採用者として働くことができるなど、時代の巡り合わせに大変恵まれているように思います。

 しかし、時代の巡り合わせが良いとのんきに構えるわけにはいきません。世界全体の動きは非常に早く、例えば科学技術の進歩とその実用化の進行の程度は、従来の常識を覆すほどです。IT関連技術や生命科学分野は、日本国内でも大変発展が目覚ましい分野です。しかし世界の先進国に比べるとそれでも後れをとっているのが現状で、これからはこれらの巻き返しを図ることによって、新産業を興していくことが目下の日本の課題となっています。

 このような、日本だけでなく世界全体の中での時代の流れを直接肌で感じることができて、経済問題のみならず、ありとあらゆる社会問題と関わりながら解決方法を模索できる側に立てることを、今から楽しみにしています。仕事は言葉では言い尽くしがたいほど苛酷とよく伺い、不安な部分もあります。しかしいろいろなことを経験ができ、貴重な勉強ができることは本当に楽しいでしょう。初心を忘れずに、自分の今までのスタイルで精一杯頑張りながら、時代を楽しみたいと思っています。

終わりに

 かなり長々と書いてしまい、申し訳ありません。ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございました。

 官庁訪問の部分については、このHPで他の合格者の方が書いていらしゃったり、合格体験記の本(例えば、エール出版「私の国家一種試験合格作戦」)に書かれているように、「志望理由」をしっかりと考える、など、私が言いたいことは同じです。勉強に使った資料などにしても、大まか同じです。あとは自分がやりやすいと思ったやり方で懸命に頑張っていけば、自然にいい結果がついてくるものと思います。

 公務員試験においては地味で地道な勉強がどうしても必要になると思います。短期間の勉強期間で合格する方も、その短期間における勉強は地味な努力の積み重ねと集中力のたまものかと思います。私は効率的ではない方法でかなり長い時間をかけて試験をパスしましたが、地味・地道な努力をしたことは自信を持って言えます。「地味な努力ができない」という方もいらっしゃるかもしれません。しかし短期間の集中力によって勉強することで、自分が気づかないうちに努力を積み重ねているのです。

 国家公務員 I 種試験は、誰でも合格できるという可能性を持っています。最初から敬遠するのではなく、一度どんなものか眺めてみて、それから自分にあわないと思ったら敬遠してみても良いのではないでしょうか。進路の可能性は広げるという意味で、ぜひ考えてみて下さい。

 最後になりましたが、今日まで私を支えてくれた両親・友人・先輩方、恵まれた受験環境を提供していただいた立命館大学の先生や職員の方々、ALLSTARゼミを新設していただいたWセミナー京都校の方々、それから勉強内容から官庁訪問・内定まで愚問を含む直接またはメールでの質問に、時には優しく時には厳しく、最後まで辛抱強くお答えいただいた渡辺一郎先生に深く感謝申しあげます。ここにすべての方を書き尽くすことができませんが、本当に多くの方々のご支援をいただいて、ここまでたどり着くことが出来ました。本当にありがとうございました。これからも多くのみなさんの様々なご支援をいただきながら、一つ一つをしっかりと頑張っていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 そして、最後まで読んでいただいた読者のみなさんご自身が納得できる就職活動が過ごせますよう、21世紀の日本を担うみなさんと一緒に仕事ができるように願いまして、終わりにさせていただきます。どうもありがとうございました。

以上

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