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キャリア・エリートへの道


外 I の失敗を糧に、銀行内々定・国家 I 種最終合格

はじめに

 2000年の外務 I 種試験受験(1次合格・2次落ち)、そして、2001年春の民間の就職活動(都市銀行に内々定)、夏の国家 I 種試験受験(最終合格)と、私は普通の受験生とは少々異なった受験体験をしました。こうした体験を自分なりに振り返ってみたいなぁと思っていたところ、ちょうど祝賀会で渡辺先生から御依頼を受け、この「キャリアエリートへの道」を利用して私なりの体験記を書かせていただきたいと思います。その中から、これをお読みの方にとって必要な情報、受験・面接テクニック等を得て、御自身の受験や就職活動に生かしていただければ幸いです。

今の私の始まり

 私は、5人家族の長男で、父、母、妹が2人います。生まれは山梨なのですが、それは母が自分の地元で出産したからであり、私が小さいときは東京の三多摩地区で育ちました。それから、今の住居である埼玉のベッドタウンに引越し、そこで、幼稚園、小学校生活をすごします。今もそうですが、全くもって典型的な中流家庭で育ちます。

 自分の幼少期は、明朗快活な少年でした。しかし、その性格は今も面影を残していますが、今の私はそれを前面に押し出すような人間ではなく、むしろ大人しい風を装う人間になっています。なぜ、そんな人間になったのかというと、小学校での体験が大きく影響していると思います。私は、小学生当時とても信頼している友人がいました。クラスのスターで、私の家の近所で、幼稚園、その前からの友達でした。しかし、小学4年の時でした、そのあたりになると、勉強の出来・不出来がはっきり出てくる頃だと思うんですが、勉強がまぁ、出来る方だった私に、そして、明朗快活なアクティブな私を、その友達がうっとうしがるようになり(今でいうところの「うざい」というやつでしょう)、小学生の軽いイジメみたいなものにあうようになりました。そして、小学5年になると、また同じようにクラスのスター的な友達ができたのですが、これもまた同様の理由で私は同じような目にあうのです。小学生ながらに、その頃はとてもつらく、私は毎日、学校に行きつつも、しょぼくれて帰ってきたのを母は感じ取っていたようです。

塾へ通い始める

 そこで、母は地元の小学校という狭いエリアでの人間関係に支障をきたしてしまった息子をみかねて、違う環境にも自分の息子を置こうと考え、少々離れたところにある、大手学習塾へ通わせるようになりました。そこで、私は、それなりの成績をおさめるようになり、中学受験を意識するようになります。しかし、私や両親は中学受験の勉強のノウハウについて何も知らないので、勉強はすべて手探り、かつ、全て自分でこなしていました。そこは所詮小学生の勉強で、自己流にも限界があり、きちんと情報に裏打ちされた勉強法を実践していたわけではありませんでした。したがって、成績は御三家と呼ばれる首都圏の私立中学に合格できるかできないかくらいの成績をとることしかできませんでした。

 しかし、ここでの経験は私の人生に大きな影響を与えたと今でも思っています。理由は、2つあります。地元では勉強が出来る人といえば私が筆頭になってしまい、また個性的で少々クラスから浮いていたわけですが、その塾では私よりも全然成績が良い人がいて、また私よりも全然個性的な人間がうじゃうじゃいて、私は一番上の特別クラスに入ることはできたものの、そこでは一番出来ない部類の人間であり、それほど目立つ人間ではありませんでした。したがって、世の中にはすごい人がいるんだなあ、ということを早いうちから体験できました。また、先述の通り自分で全て勉強していたので、勉強とは何なのか? 試験に受かるための勉強は? 良い成績をとるための勉強は? ということを常に、自分で考えてきたので、その経験は中学、高校、大学受験、更には今回の国家 I 種、昨年の外務 I 種試験においても大いに役立ち、結果を残すことができたのです。

第一志望不合格と都内中高一貫校へ

 塾が中心となった私の小学校高学年の生活は本当に楽しいものでした。しかし、成績はというと先述のとおりで、結局、某私立中学を第一志望にしていましたが、不合格となってしまいます。初めての、挫折というやつですが、そのときは大変悔しい思いをしましたが、今思えば、私の次のステップへの大きな足がかりとなった出来事でした。

 ただ、そのほかの第2志望以下は楽々と合格できたので、私は、そのうちの1つへ通うことになります。埼玉のベッドタウンに住む私は、毎日、2時間弱かけて、都内にあるその中高一貫校へ通うことになりました。中学生から、通勤ラッシュを経験していたわけで、これも自分にとって、大きな経験となったと思います。そこでの、私は、人間関係においては小学生時代の経験をふまえ、目立たず、騒がずの、まぁ、極力人から嫌われないようにする人間を装っていました。しかし、自分の実力からは少々劣る学校に通ったもので、成績は学年でも上位で、段々、周囲からも教師からも優等生的扱いを受けるようになります。

 先述の通り、自分でいうのもおかしな話ですが、私は自分は多分、明るい性格の、少々個性的な人間だと認識しています。しかし、それを表に出せば、集団では疎外されることも知っていました。そこで、私は、自分自身の性格を、ごく親しくなった人間だけに見せて、周囲や学校の教師には隠して、優等生ぶるというふうにして、学生生活を営んでいました。

大学受験へ

 そして、そんな学生生活を営みながら、高校3年生になり、大学受験を意識するようになります。学校での成績や周囲の期待からは結局、文科系で、一番偏差値の高い大学学部(東京大学文科 I 類)を受けることになります。私自身は、正直、そこにどうしても行きたいという意識はあまりありませんでした。しかし、自分と似たような成績の人間がそこを目指すというとなんだか負けられない気がして、また、自分よりも成績が悪い人間が、某有名私立を受けるとなると、そこには何となくですが行けないかなという気がして、結局、そこを受けることになります。

 しかし、問題がありました。先述のとおり、私は中堅どころの中高一貫校に通っていたのですが、その学校は某有名私大の数校には100人前後の合格者を出す一方で、私が受けようとする学校、特に、その学校の私が受けるところにはほとんど、合格実績がありませんでした。1年先輩のとても優秀な人でも、現役で合格することはできませんでした(ちなみにその方は、1浪して私と同じ年に入学され、昨年某省庁へ入省されました)。

 そこで、私は学校を全面的に信頼することを避け、その学校に抜群の合格実績を持つ、そんなに大きくない塾へ通うようになります。大手予備校では、とても勉強する気ならなかったので、そのような少人数クラスの塾へ通うことにしました。私は、その塾での勉強を中心に据え、高校3年の1年間は、真面目に、勉強していきました。基本的に、何をしたかといえば、過去問演習です。過去問を10年分以上、3回繰り返し勉強しました。正直、受験当日になっても、まだ勉強をやり残した感もあったのですが、なんとか、現役で合格することができたのでした。

 それと、大学に受かることができたもう1つの理由は数学です。結局のところ、私の大学は英語と数学が出来れば合格できます。文科系ではありますが、数学が全てといっても過言でないくらい重要でした。その点、私は、高校途中まで、理科系進学を考え、生物と数学が得意だったので、正直、そこでの貯金があったから合格できたのでは、と思っています。ちなみに、理科系進学を考えていたことが、今の内定省庁を選んだ理由の一つにあげられます。逆に言うと、本番のようにその数学ができないときは合格はありえなかったわけです(ただ、11月の私の大学向け模試では、数学の出来が思うようにいかず、見事E判定をとってしまいました)。

大学受験での問題

 ただ、これだけ見ると、大学受験もそれほど波風なくむかえたと思えるかもしれませんが、私は、精神的、肉体的に問題を抱えていました。それは誰しもそうかもしれませんが、基本的に私は神経質で、何かあると、胃腸にきてしまう、つまり、汚い話ですがお腹をくだしてしまうのです。それは、別に、今にはじまったことではなく、大体、小学校のときの塾に通い始めたころからそうでした。もう1つ、私は自分の性格として、その神経質さから、いざというときにかなり緊張してしまい、頭に血が上って、テストで実力を100%発揮できないという問題も抱えていました。したがって、ある意味、学力がギリギリたりていたとしても、こうした要因から良い結果が導けないなんてこともありえたわけです。ですから、こうした問題をいかに克服していくか、それが最大の問題でした。

 胃腸が弱いことはどうにも、鍛えようがありませんでしたので、食生活に気を使いました。できるだけ、肉食を控えたり、スナック類を取らなかったり、まぁ、当たり前の健康的な食生活を心がけ、また、試験の直前には余り食事をとらないで、極力、胃が空っぽの状態で試験を受けました。しかし、これでも、センター試験の時には、見事に体調を崩し、1日に数度トイレに行かざるを得なかったりと、大変な思いをしました。

 それから、試験中の緊張をどうにかしないと、という問題でした。これは、誰しもそうかもしれませんが、私の場合、普通にできる問題ならば、まぁ、普通に対処できるのですが、一度、問題に詰まると頭に血が上り、冷静な対応というのができなくなるのでした。そこで、私は、考えました。これはある種の開き直りですが、結局、私は試験で実力を100%は出せない人間だということを自覚し、ならば、80%くらいの力でも合格できるくらいの力をつけようと考えたのです。それから、途中わからなくなっても、パニックにならないように、自分はわからない問題がある場合には頭に血が上ってしまうんだということを前もって強く自覚しておこうと思ったのです。それで、パニックにならないのかというと、これが結構有効なんです。というのも、結局、人間がパニックになるのは予想外の出来事に出くわしたときです。こうした状況下でも冷静に対処できる人もいますが、私はそうではないので、前もってきっとパニックになると予想しておくのです、そうすると、すでに予想していたことですから、途中パニックになってもそれなりに対処できるというわけです。

 結局、私の生い立ちというものを簡単に振り返ってみると、小学生のときの体験とそれからはじまる私の勉強との関わり方が私の人生に多大な影響を与えていることが実感できます。きっと、もし、あそこで、中学受験をしていなかったら、私の人生は今とは全く別のものだったと思います。つくづく、人間というのはその置かれた環境で違ってくるものだなぁ、というのを改めて思い直しました。

公務員試験を受験しようと思ったきっかけ

 まず、私の受験体験を述べる前に、そもそも、どうして私が公務員を目指すようになったのかを述べたいと思います。私が、公務員受験を考え出したのは、東京大学に入学してからでした。文科 I 類(法学部進学過程)に入学した私は、入学当初は司法試験の受験を考え、法曹関係に進みたいと思っていました。しかし、ちょうど大学入学前後に、現役次官の収賄事件、大蔵官僚の接待問題と高級官僚の不祥事が相次ぎ、某有名ニュース番組に代表されるメディアから、キャリア官僚は罪人か悪人が如き報道がなされていました。それは、今も続いていますし、また、こうした諸々の事件・問題は決して、「全体の奉仕者」として国政の一翼を担う公務員として誉められたものではなく、非難されて当然のことです。しかし、その報道内容は、キャリア官僚全体が、どうしようもない悪人・罪人とみなされているような内容もので、私はテレビの前の一視聴者として、果たして、本当にキャリアと呼ばれる官僚たちはこのようなどうしようもない人間達なのだろうか? と疑問を感じざるを得ませんでした。そこで、その疑問を解消するには、自分自身がキャリア官僚に目指してみてこうした人達と会ってみよう、話をしてみよう、聞いてみようと思ったのです。それが、公務員試験を受けてみようと思ったきっかけです。

外務 I 種試験を受けるまで

 しかし、キャリア官僚になるにしても、当時は公務員試験には国家 I 種試験の他に外務 I 種試験がありました。当たり前ですが、キャリア官僚になるには、その試験の少なくともどちらかに合格しないといけません。世の中には、本当に、勉強の好きな、優秀な方はその両方を受け、更には司法試験も受けて、全部受かってしまうなんていう人もいらっしゃるんでしょうが。しかし、まぁ、私はそんなに努力家でも様々な試験に器用に対応できる人間でもなかったものですから、どちらか一方に絞って勉強しようと思っていました。大学も3年になり、そろそろ就職先を真面目に考える時期になってきて、さらに公務員試験受験のための予備校(当然実績からWセミナー)に通うにあたり、どちらを受けるか決めなければいけなくなっていました。ちょうど、その頃の私は国際法に非常に魅力を感じていて、なんとかこの国際法を将来も使って仕事ができないだろうかということも考えていました。国際法は、法学と呼ぶにはあまりにも不安定な学問といいますか、なんと表現したらよいか非常に迷いますが、憲法や民法、刑法、その他の実定法と違い、非常にその拘束力や成立過程等様々な面で確定的でない、そこには政治力や軍事力がからんだりして、常に変動するダイナミズムを抱えた学問だと私は思っていて、そこが、非常に固定的で、判例や通説をまずは基本とする他の法学にうんざりしていた私には、とても面白い学問だと感じていました。それは、今も変わりませんが。

 そこで、私は外務 I 種試験を受験しようと決意します。予備校もWセミナーに通い、外交官1年フルコースを受講しました。しかし、この時の判断は、外交官試験受験後、私を大きく後悔させることになるのです。この話はまた、後で述べるとして、外交官試験受験までの道のりを簡単に述べたいと思います。Wセミナーに通い、基本書マスター、外交官特別対策講座、外交官答練と受講したわけですが、本気で受験勉強したのは勉強をはじめた翌年の4月に入ってから(学内の期末試験が終わってから)だったと思います。結局、私も典型的な失敗型の受験生活を送っていまして、渡辺先生が授業中におっしゃられるような「授業の予習・復習を一切しない、ただ、だらだらと授業だけを毎週毎週受けるだけ」という受験勉強をしていました。まぁ、このような受験生活を送られている方は、これをお読みの方の中にも随分いらっしゃるのではないでしょうか? はっきりいって、確実に落ちますから、今からでも遅くないんでちゃんと予習・復習、特に復習だけは絶対にしてください。

 と、こんなくだらない説教はやめて、本題に戻りましょう。私はとりあえず4月に入ってから猛烈に焦り、真面目に勉強を開始します。しかし、外交官試験まで時間はあと2ヶ月しかありません。「基本書に戻ってしっかり勉強することが大事だ」とどの合格者の体験記にも書いてありますが、そんな時間はありません。そこで、私は合理的に勉強するため、本当に最低限のことをこの2ヶ月で徹底的に頭に叩き込みました。何をやったかというと、外交官答練に出題された論点を徹底的に頭に叩き込んだのです。後は、特別対策講座でやった論点のうち、自分でこれが大事だという論点を数10個選んで、それも頭に叩き込みました。このとき、私が思ったのは、ここで頭に入れた論点が本試験に出なければ、自分が勉強しなかったのが悪いのだからしょうがない、しかし、今できることは精一杯やろうということでした。半分、諦めにも似た気持ちで勉強していました。しかし、外務 I 種1次試験は私の予想を大きく裏切ることになるのです。

外務 I 種試験1次合格!?

 今は亡き外務 I 種の1次試験は、教養、英語、憲法、国際法、経済理論、外交史、選択科目(私は財政学を選択)の計7科目を3日に分けて行うなかなかハードな試験でした。このような試験はまぐれではなかなか合格できないものだというのは百も承知で、私は先述のような勉強しかしなかったわけですが、なんとまぐれが起きて1次合格してしまったのです。

 しかし、この合格には理由がありました。それは私の勉強方法にあります。というのも、なんとこの年出題された論点のほとんどが外交官論文答練に出題された論点だったのです。この答練の論点をしっかり抑えていた私は、試験の最中ずっとWセミナー恐るべし!!と思っていました。こうして、たまたま勉強していた内容が試験に出たという、ものすごいラッキーで外務 I 種試験を1次合格してしまった私は、2次試験のためにたびたび外務省に足を運ぶことになるのです。しかし、ここにまた、大きな問題が生じてくるのです。

外務 I 種2次試験、そして、不合格

 外務 I 種試験の2次試験は、主に面接が行われ、その他にもいくつかやらなければならないことはあるのですが、要は、採用担当者の前での面接がその評価の最も重要なポイントとなるのです。で、その面接というのが、外務省の官房長、人事課長、採用担当の課長補佐級の外務官僚とおよそ、10人弱の人達にコの字型に囲まれて行われます。その前にも、数人の外務省の若手キャリア達と業務についてお話する機会を得られたり、あるいは、その他の受験者の方とお話したりする機会があるのですが、私は、ここで、自分の選択は誤りだったとということを思い知らされることになるのです。当然、そこで自分以外の受験生はどんな人間か、外務官僚というのはどういう人間かというのを認識するわけですが、そこにいた人達は私が思い描いていたのとはまったく違い、私の嫌いなタイプの人間だらけの場所だったのです。周囲の受験生と話していても、若手省員と話していても、考え方や価値観が違いすぎて、話が噛み合わないのです。これはまずいと思いました。

 さらに、もう1つ大きな問題がありました。それは私自身の問題です。私が外交官試験を受けようと決意したのは、そもそも、国際法が好きだから、面白いからでしたが、別に、外務省で働きたいわけでも、外交官になりたいわけでもありません。そこが、最大の問題でした。また、周囲の人間については別に試験とは関係ありませんが、この私の外交官試験の志望動機は試験の合否に大きく影響を及ぼすものでした。どこへ就職するにしてもそうですが、やはり、面接において、自分がそこで働きたいと思うならば、少なくとも、就職を希望するようになったきっかけ、それから、自分がそこで働いたならばどこの部署で何をしたいのか、それくらいのことはある程度、具体的に言えないと、官庁にしても民間にしても内々定をもらうには、なかなか厳しいと思います。恐らく、就職している人、内々定をもらった人は、自分を良く見せようと、そんなことはわからないとかどうでもいいけど、適当にやったら内々定がでたなどと言う人が多数いらっしゃることでしょう。でも、そんなことは絶対にないと断言できるでしょう。体育会系だとかコネだとか特殊な事情がない限り、普通の一学生にすぎない私のような人間の場合には、この超々就職氷河期にどこかしらで、内定をもらうためには、今述べたようなことは少なくとも、ある程度年齢のいった採用の責任者の方とお話をする時には絶対に必要です。と、面接のアドバイスみたいなことを長々と書いてきましたが、私自身の話に戻って、外務 I 種試験で私は、今述べたようなことが全くいえない、というか全くないことに、試験期間中に思い知らされたのです。結局、勉強も適当にしてきた私は、なぜ外務省なのかなぜ他の省庁、民間企業ではないのかということを考えることから逃げてきた、無視してきた代償をここで払わなければなりませんでした。そして、私は、周囲の人間とのずれからくる苛立ちと、こうした自分の問題点とに苦しめられ、2次試験の面接では、完全に受かろうとする面接を真っ向から否定し、自分のマイナス面だけを大きく強調するという、はっきりいって前代未聞とでも言うべき暴挙に出たのでした。今思えば、笑える話ですが、趣味の欄には、思いっきり「競馬」と書き、自分がいかに競馬を愛して止まないかを朗々と語り、自分の性格についても、「1人が好き、批判的」などと決してプラスの評価にならないことを延々と記し、こうした私の身上書に対する、面接官の嫌味な質問にも真っ向から対峙して、相手の意見を強く批判したりと、かなりやりたい放題にやってしまいました。ある意味で、自分に正直に、素の自分を全面に出して面接に望んだわけですが、そんなことをしても私を受け入れてくれるほど、相手も甘くはないし、また、私にもそれほどの能力はありませんでした。ということで、見事に不合格の憂き目に遭うことになるのでした。

2年目の受験生活、渡辺ゼミに参加

 こうして、外務 I 種試験で見事に蹴っ飛ばされた私は、2年目の受験生活に突入することになります。ここで、私が思ったのは、どこかの省庁に雇われるためには、受験勉強はもちろん、きちんとした志望動機と面接での対応が必要だということでした。しかし、例え、自分に問題があり、周囲の人間とも合わないことを実感して落ちた、納得の不合格だったとはいえ、不合格は不合格で、試験に落ちたというショックを、私はしばらく払拭することができませんでした。そんな中で、勉強に身も入らず、だらだらと日々を過ごしていた自分に刺激を与えるために、私は、Wセミナーに通っていたときから話を耳にしていた、「渡辺ゼミ」という国家 I 種法律職試験用の少人数クラスに参加しようと決意します。もともと、外交官試験対策の講座においても、憲法は渡辺先生が担当されていて、非常に、有意義でためになる講義を受けていました。それで、この先生が少人数講義をやっているならそれに参加して自分のモチベーションを高めようと思ったのでした。

 そして、2000年の秋、渡辺ゼミ I 期の選抜試験を受けることになったのですが、この出来が最悪。それもそのはず、私は外 I の勉強はしていても、国 I の勉強は全くしておらず、民法も行政法も大学の講義である程度適当に勉強しただけで、全くもって試験はできませんでした。それでも、去年外 I の1次が受かっていたという理由で、裁量点をゲットし、なんとか渡辺ゼミに参加させていただくことができることになったのでした。

 そこでの授業は、今まで怠けていた自分には非常にこたえるものでした。毎回の授業のための予習、そして、授業中は先生に質問された場合はそれに答えなければならないと、毎回の授業に緊張感をもってのぞみ、勉強していきました。結局のところ、国家 I 種試験の合格への最良の方法は、渡辺先生も何度も申されているとおり、やはり、過去問を繰り返しやることです。これに尽きます。これさえすれば、上位合格はできなくても、教養がある程度できれば、1次試験で落ちるということはないでしょう。そして、私は、渡辺ゼミをペースメーカーにして、2年目の受験生活を送っていました。

そして、渡辺ゼミII期と就職活動

 そして、こうして勉強を進めながら月日はあっという間に過ぎてしまい、渡辺ゼミもII期に入り、春になってしまいました。昨年の外 I 不合格のため、大学を1年留年することになった私は、2年留年はする気はありませんでしたので、今年は、国 I を受ける傍らで、民間の就職活動もしなければなりませんでした。そこで、私は、受験勉強の傍らで、就職活動もするという、大変な作業を行わなければならなくなりました。基本的に、国 I 受験生が抱える悩みの1つに、国 I の勉強と併願して民間の就職活動をどのようにしていくのか、あるいはしないのか、というものがあるでしょう。これをお読みの方の中にも、こうしたことで、どうしたらいいか迷っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。結局のところ、国 I と就職活動の併願は非常に大変です。もし、国 I にどうしても受かりたい、だけど、勉強はあまり進んでいないという方でしたら止めた方がよいと思います。就職活動との併願は余裕のある人、どうしても就職しなければいけない人に限って行うべきでしょう。また、夏期、秋期の採用をしている企業もありますから、最悪の場合そっちを選ぶという選択肢もあるでしょう。

 ところで、話は私のことに戻って、私は、結局3月末から4月の上旬にかけて、就職活動をしました。そして、某都市銀行から内々定をいただきました。そこでの体験を述べたいと思います。結局、私は受験勉強を一時中断し、就職活動を行いました。しかし、だからといって、だらだらといくつもの企業を回るほどの時間的余裕も私にはありませんでした。いくら、昨年外 I の1次が受かっていても、それは私にとって国 I の受験においてそれほどアドバンテージなるものではありませんでした。だから、結局、受験生活が2年目とはいえ、国 I を1年目に受験する方と同様で、かなりやらなければならないことがたまっていました。そこで、私は、就職活動をするにあたり、自分が関心を持っていて就職活動がしやすい業界そして、国 I と併願しやすい、つまり、国 I が受かった場合には内々定を辞退しやすそうな大人数で採用する企業、そして、自分が国 I を不合格になってもそこで働きたいと思える企業を選びました。そこで、選んだのが都市銀行でした。ちょうど、近年の都市銀行は合併が相次ぎ、企業数はわずか4つ、数も少ないのでそれほど就職活動に時間もとられないだろうと思って、3月のはじめから開催されていたセミナー(説明会)に参加し、3月末から始まるリクルーターと呼ばれる若手行員との面接にのぞむことになりました。基本的には、その面接のやり方は各行まちまちで、若干違いはありますが、そこで聞かれることは、結局のところ皆同じで、僕が都市銀行を希望する志望動機、自分の学生時代経験(何をしてきかたか、バイト、サークル等)、そして、その銀行で何がしたいのか、といったことでした。そして、その行員の方が経験されてきたお仕事の話を聞いて、それについての意見を述べてと、まぁ、官庁訪問と似たようなことをしました。

 ここで、私は大きな失敗というか、また外交官試験のときと同様に面接の常識に反することをしていたのです。私は、就職活動に際して、面接のときに、堂々と「国家 I 種試験を受けます」と言っていたのです。こんなことを言うのは現在の就職活動においては全くの非常識で、普通は、国 I を希望していてもそれは黙っておくのが当たり前なのです。結局のところ、就職活動に慣れていない、情報が少ないということがあって、そういう非常識なことをした挙句に、某銀行の最初に会った方には、「君みたいなのは、よくいるんだよ。志望動機も、それじゃ駄目だ。それから、この銀行で何がやりたいのか、それはどうしてなのか、そういったことをちゃんと言わないと。もっとしたたかに、対策をたてて面接しないと、どこも内定なんてくれないよ」と全くもってその通りというご叱責を賜ることになってしまったのでした。したがって、国 I を受けると言っただけで、もう次の面接はないということで有名(私はこのことを後で知った)な某銀行では2回目の面接はなく、残りの3行のうちでどこからか、内々定をもらわなければなりませんでした。正直、これから民間企業の就職活動をしようとお考えの皆さんはやはり、国 I を受けるということは黙っておくとよいでしょう。聞かれないことにあえて答える必要はありません。それは嘘ではなく、ある種の面接のテクニックだと割り切ってしまってください。しかし、私の場合は、1年留年していたり、昨年外交官試験を受けていたことなどを結局のところ、面接において話さなければならなかったので、今年は国 I を受けるということを話さざるを得ない状況でした。

 しかし、こうした私の姿勢は、かえって、相手に対して非常に誠実な印象を与えることに成功しました。また、昨年の外 I の1次がたとえまぐれでも受かっていたという事実は相手方に、私に対して興味を抱かせる大きな武器になりました。面接では、「外交官試験で勉強した経済理論のマクロ経済に興味を持ち、民間企業でもマクロ的視点が要求される職業につきたいと思っていて、でも、マクロ的視点だけはつまらないので、そうしたマクロ的視点を踏まえつつ何か仕事をする職業につきたい。そう考えた場合、都市銀行の仕事というのが私の希望に合致するので、そちらの銀行を希望させていただきました」といった、志望理由を述べ、「したがって、マクロ的視点が要求される仕事ができればしたいので、銀行では、企画・調査の仕事がしたいです」とやりたい仕事も述べて、「だから国家公務員もこうした私の就職先へ望むことを満たしてくれる仕事の1つだから受験するのです」と述べて、相手を納得させることに成功したわけです。

 こうして、残りの3行のうち2行から内々定をいただき、残りの1行は内々定直前までいっていたのでしうが、自分の行きたい銀行から既に内々定をもらっていたので、辞退するということに成功したわけです。こうして、内々定をもらったのが、4月の2週目でした。そして、また再び、受験勉強の追い込みへと突入していくのです。

上がらない成績と最悪のオール模試

 さて、こうして民間企業から無事内々定を得たわけですが、しかし、それでめでたし、めでたしというわけではありませんでした。結局、私の場合、受験生活は2年目だが、国 I は実質、半年しか勉強してないわけで、非常に成績が伸びなくて、直前予想択一答練を受けても最低6割という渡辺先生の指摘する成績には及ばず、非常に危機感を感じていました。しかし、ここでじたばたしたところで、急に成績が伸びるわけでもないので、出来ることからこつこつとということで、こうした答練の復習と、過去問の反復を繰り返していきました。こうしたなかで受けたオール模試でしたが、友達は2桁順位をとり、合格確実としたなかで、私はというと……。大変な成績をとっていました。しかし、まぁ、やるべきことをやっていくしかないわけで、ここは焦らず、ゆっくりととにかく、過去問の復習と直前予想択一答練の復習をひたすらしていました。

トラブルと本試験

 そして、こうして、勉強をあきらめらずに続けていったわけですが、しかし、ここで、ちょっとしたトラブルが起きました。それはなにかというと、受験票が来なかったのです。というか、母親が捨てた?のです。結局、直前になっても受験票が来なくて、非常に焦ることになってしまいました。しかし、まぁ、そのあたりも当日に受験票を再交付してもらうことで無事解決して、試験を受けることができました。試験はというと……。まぁ、模試よりはある程度できましたから、なんとかなるかなぁという感じでした。

1次合格、官庁訪問

 そして、6月25日合格発表があったわけですが、まぁ、ここ数年の傾向というかなんというか、人事院の関東事務局がさいたま市に移ったせいなのかよくわかりませんが、合格通知書は2日前の6月23日の土曜にはもう、家に届いていました。そして、官庁訪問だったわけですが、来年はどうなるかはわかりませんが、今年から、官庁訪問は1次試験合格発表後ということで、官庁訪問は6月25日から2週間かけて行われました。例年だと、1次試験後ということで、3週間ほどの期間内に省庁の側は採用をおこなうわけですが、今年は、2週間ということで、非常にハードな官庁訪問でした。というのも、通常ですと、だいたい、朝10時から夜の9時・10時というのが例年の傾向だと思うのですが、今年は期間が短いということで、朝は9時から夜は11時・12時、遅い人になると1時・2時なんていう話もあちこちの省庁で聞きました。また、例年ですと、官庁訪問の序盤戦はある程度、省庁も拘束を緩くして、学生の側もいくつもの省を回って、行きたい省庁にある程度の目星をつけるわけですが、しかし、今年はもう初日からがっちり1つの省に拘束され続けることになり、1日おきに同じ省庁に通うので、結局、ほとんどの学生が2つくらいしか、省庁をまわれないという、数は回れないは、拘束時間は長いはで、本当に大変でした。

 結局、私は、初日は人気省庁の中から物見遊山もかねてA省に、2日目は人気はあまりない2番手省庁と周囲からは認識されているが私は凄く行きたいB省にして、官庁訪問を行いました。今思えば、初日にB省、2日目にA省にしておけば、もっと楽に、あるいはいろんな省庁を回れたのではなかったかと思っています。と、まぁ、官庁訪問の反省はいいとして、A省、B省それぞれの官庁訪問についてですが、感想としましては、A省からは去年外務省で感じたことと同じ雰囲気を若手省員、周りの受験者から感じて、ああ、ここは駄目だなぁ、私には会わないなぁと思っていました。A省のどういうところが気に入らなかったいかといいますと、とにかく、採用のやり方がよくわからない、それから、くだらないことを隠してやる、いかにも某有名ニュース番組の某有名キャスターK氏が批判しそうなタイプの官僚がやりそうなことを採用においてもやってきたのです。というのも、1人、人事担当の人間がいかにも通常業務の一環で学生の相手をしているふうを装うという、実に馬鹿げたことをやっているのです。A省訪問2日目、その人事担当者に会った私は、夜の12時近くまで拘束され、3日目の予約をとりつけた後、採用担当の若い事務官から会ってもらい人がいるとかなんとかで、別室に通されると、そこには、なんとその日会った省員の人がいて、「実は、私は人事担当なんだよ。で、君のことはそれなり評価してるからこれからもがんばって」と言ってきた。くだらない茶番である。こんなことをするような人間がいるところでは働きたくない! 正直、その日の帰りは怒り心頭で、同じような官庁訪問をしている私の友人と、帰りの電車の中で怒り狂っていました。しかし、私はここでいたって冷静に物事を整理して考えることもできました。というのも、それは昨年の外務省での経験が大きくものをいっていました。自分に合わないからといって、投げやりになってもそれは、子どもがすることで、これから社会人になろうとする大人がとる行動ではないなと、考えることができたのです。それからも、A省には通いながら、絶対行かないと強く心に誓いました。

 そこで、問題はB省だったわけですが、ここではかなり人との相性もよく、順調にことが運んでいました。通常人気省庁ですと、多めに学生を囲い、内々定を出すその日までゆっくり人数を減らすという真綿で首をしめるようなことをするわけですが、ここの省庁の場合、取りたい人材を早めに少な目に囲ってもらえるのです。訪問する官庁の予約がバッティングする2週目の火曜日には早々に囲ってもらいました。それは、「A省で高い評価を受けている」と、B省でちょっと虚勢をはってみたのがある程度効果的だったのではないでしょうか(官庁訪問でのあれこれは同ホームページの「官庁訪問日記」を参考にして下さい)。とまぁ、何の話をしてきたかわからなくなって来ましたが、結局のところB省に内々定をもらうことができました。

2次試験・人事院面接・最終合格

 そして、7月15日に、2次の記述試験、同月下旬には人事院面接がありました。2次試験については、渡辺ゼミのII期で勉強してきたことでは自信はありました。また、総じて全体の試験に占める比重はそれほど重くはないとも言われます。しかし、油断することなく、とりあえず、精一杯やるだけでした。そして、人事院面接。これは本当に、かっちりとした、面接でした。面接カードに沿って、公務員の志望動機、学校でのゼミについて、アルバイトについて、自己アピールについて、本当にスタンダードな面接を20分ほど行いました。対策としては、普通の面接対策、自分の書いた面接カードに沿って、想定問答をつくり、ある程度自分が何をどう答えるかは準備しておくと、より楽に面接にのぞめるでしょう。面接カードについても聞かれて困るようなことはかかない、むしろ、そこに書くことで自分が答えやすいことを書いておくとよいでしょう。私の場合、志望動機に少々抽象的なことを書いたおかげで、かなりそこを突っ込まれ苦労しました。自分で面接カードを書いているときからこれを聞かれたら困るなぁということを見事に聞いてきたので、そういうことで困ることはないようにしたらよいと思います。そして、8月15日に最終合格の発表があったわけですが、今度は1次のときと違い、事前に通知は届かず、人事院の掲示板を見に行ってはじめて、自分の最終合格を確認しました。

 そして、民間の内々定先に内々定辞退を申し出て了解してもらいました。私の場合、公務員試験を受けることも了解してもらっていたので、この辺はすんなりいきましたが、それを隠していた知人はそれなりに大変だったようです……。

まとめ

 最後の方は自分の体験をただつらつらと偉そうに、書いてきてしまいましたが、もう一度、改めて、私が、外交官試験、就職活動、国家 I 種試験、官庁訪問等で学んだことを述べたいと思います。

 結局、外交官試験を落ちたのも、私に能力がなかったのもの1つですが、その最大の理由はやはり、私の幼稚さにあったと思っています。それは、社会人になるには大問題であり、たとえ、試験に受かっていたとしても、私はきっと、その仕事をやめていたし、また、そこで受かっていたら、世の中はこんなものだとなめてかかった、ろくでもない人間になっていたでしょう。やはり、社会人になるには、嫌なことでもぐっとこらえて、時に自分の考えとは違っていても、それがしたいのならば我慢する。至極当然のことではありますが、私はこうしたことを、この2年間で学ぶことができました。そして、就職するためには、どうすれば良いのか皆さん悩まれるところだとは思いますが、なぜその仕事がしたいのか、そしてそこでどういう仕事がしたいのかこの二点をしっかりと抑えておいて、あとは礼節をわきまえた対応をとれば、きっと道は開けると思います。

 最後に、本当にいろいろとアドバイスをいただき私の受験生活を支えてくれた渡辺先生に感謝の言葉を述べて、この稚拙な文章を締めさせていただきたいと思います。本当に、ありがとうございました。

以上

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