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キャリア・エリートへの道


国 I 法律職から司法試験(弁護士)へ

西野比呂子

 私は1999年国家 I 種法律職に最終合格しましたが、その後、司法試験をめざし2001年に最終合格することができました。私の経験が少しでも後輩の皆さんのお役に立てたら幸いです。

幼少期

 私は昭和51年(1976年)にサラリーマンの父と専業主婦の母との間に生まれました。3つ年上の兄がいるごく普通の家庭です。

 小学校に入るまでの私はとにかく全く手のかからない、静かで良く寝る「いい子」だったらしいです。確かに祖母の家の縁側で、祖母とそのお茶飲み友達がしていた世間話をジィーッとおとなしく聞いていたという記憶があります。大人の話を黙って聞いているのが好きだったようです。また、折り紙をしたりアヤトリをしたりするのが好きなインドア派でした。今でも母とその頃の話になると、必ず「小さい頃に手がかからなかったから、逆に今すごく手がかかるのね」と言われます。

 近所の人や親戚には「ヒロコちゃんは大人になったらビジンさんになるわ」とよく言われました。私は幼心に「なんだそりゃ、今はだめなんじゃん」と思っていました。でもそのとき少しは大人になることに期待していました。今年で25歳になりましたが、その「大人」とはいつ来るのかまだ不明です。

小・中学校時代(昭和58年4月〜平成4年3月)

 小学校、中学校は公立の学校で過ごしました。

 小学校1年生から4年生ぐらいまでガールスカウトに入っていました。ガールスカウトでは山でテントをはってキャンプをしたり、募金活動をしたり、ソーセージ作りを体験したりと今でも思い出せるような色々な経験をしました。

 私は今考えると、この頃から勉強をするのが好きだったのではないかと思います。小学校5年生からは中学受験用の算数や国語の問題集を欲しがり、これを解くのが日課となっていました。難しい問題が解けなくて考え込んでいると親や兄が横から口を出そうとしてきましたが、私は決して教わろうとはせず、自分でわかるまで考え続けていました。ここに負けず嫌いで、我慢強い私の性格が表れている気がします。

 中学校時代には進学塾に入りたいと親に泣いてせがみました。入学したばかりだったので両親はまだ早いと反対したのですが、私はどうしても塾に入りたかったようです。どうしてそんなに塾に行きたがったのか今はわかりません。でも、塾の勉強はどんどん先に進んで新しいことが勉強できるので楽しかったという記憶があります。

 中学の3年間は塾の勉強だけでなくテニス部の部活も生活の中心でした。もともとはインドア派だったのですが、テニス部のきれいな先輩にあこがれてテニス部に入部しました。こんな単純な理由でテニス部に入ったのに、その後テニスがだんだん楽しくなって夢中になり、熱心に部活に出ていました。テニス部の先輩にあこがれなかったら、私は今でもインドア派のままだったかもしれません。

高校時代(平成4年4月〜平成7年3月)

 平成4年4月に慶応義塾女子高等学校に入学しました。ここでは生徒は幼稚舎と中等部のそれぞれから慶應に入った人を内部生と呼び、高校から入った人を外部生と呼んでいました。そして私はもちろん外部生でした。

 それまで東京都下の公立学校でのんびりと育った私は、入学式のときから内部生の持つ、都内の私立学校の華やかな雰囲気に驚かされました。また勉強の面でも小中学校では学年でトップクラスにいましたが高校では普通のレベルでした。それに慶應女子は帰国子女が多く、とても美しい英語を話します。受験英語しか知らない私は恥ずかしくて英語の教科書を授業で読むのが苦痛でした。学校行事では積極的に参加する人が多いことにも驚かされました。たとえば今までは演劇際で配役を決める場面では立候補する人がほとんどいなくてなかなか決まらないことが多かったのに、慶應女子では主役の座を争ったりしていました。外部生の私は勉強をはじめとするこの慶應の雰囲気に始めは驚き、慣れるのに時間が少しかかりましたが、だんだん慣れて行事にも積極的に参加したりするようになりました。

 3年生になると法学部法律学科へ内部進学したいと考えるようになりました。3歳年上の兄が中央大学法学部に在籍していたことから、その影響を受けたのだと思います。大学受験のなかったことは私にとって、とてもよかったと思っています。高校受験のときは人と競争する意識が常にあってピリピリしているところがあったように思いますが、大学受験がなかったことや学校の成績が普通のレベルだったことからかえって人と競争する意識がなくなり性格がそれまでより穏やかになりました。また、ゆっくりと自分の進路について考える時間があったので進学する学部のみならずその先まで視野に入れて自分の将来を考えることができました。大学受験にも自分自身を成長させるという意味でよさがあるのかもしれませんが、大学受験がなく内部進学をすることにもこのような良さがあります。

大学時代(平成7年4月〜平成11年3月)

 平成7年4月に慶應義塾大学法学部法律学科に内部進学しました。

 私の学生生活はほとんどテニスとそのサークル活動で埋め尽くされています。熱心にテニスをしていたせいか、大学のサークルに所属する人達で行われる大会で3年ではシングルでベスト4、4年ではダブルスとミックスでベスト4という成績を残すことができました。

 このようにやってきたことを形に残せたのはとても幸せだとは思いますが、世界が広がった反面、テニスをする環境も能力にも限界が見えてしまいました。またサークルで3年のときに役員をやっていたときに多くの人の多様な考えにぶつかり人間関係で悩んだりしたこともあって3年生のときはなんとなくマイナス思考になっていました。このころ頃から徐々に、自分に自信が与えられるように「これだけはがんばった」と言えるようなことをしたいと考えるようになっていきました。

 スポーツというのは面白いもので、普段の生活ではわからない性格を垣間見ることができます。普段はのんびりした性格に見える人が、テニスのプレーでは粘り強く精神的に強かったりすることが多い気がします。私はプレッシャーにとても弱いという特徴がありました。プレッシャーが大きければ大きいほどテニスが弱くなってしまいます。もっともプレーが豪快であるという点は普段の生活からも想像がつくかもしれません。

 大学の授業では不真面目な学生でした。ただ自分が興味を持った講義には熱心に出席して勉強しました。特に2年生のとき、現在司法試験委員である民法の池田先生の講義は1回も欠席せず、予習復習までしていました。大学の授業でここまで勉強したのはこれだけでした。とてもわかりやすい講義だったので勉強することが楽しくなったのだと思います。この授業の学末試験の後には毎年先生の方針でその上位成績者の名前が大学の掲示板に貼り出されることになっていて、その年には私の名前も載っていました。正確な順位は忘れましたが4位ぐらいだったと思います。基本的に遊び中心の学生生活を送っていた私が4位をとるとは思っていなかったようで、自分自身はもちろんのことクラスの友達もとても驚いていました。私が単に企業に就職するのではなく、何か法律に関連する仕事につきたいと思ったのは、このことが大きなきっかけとなったのでした。

国 I 受験(平成10年〜平成11年9月)

 私が国家公務員を志望したのは、クラスの友人の勧めがきっかけでした。私に合うかも知れないから挑戦してみてはどうか、ということで、国家公務員試験について書かれた本をくれたのです。その本をなんとなく読んでみると、公務員の仕事が今まで自分の将来について漠然と考えていたことに近いと感じました。そこで国家公務員試験を受けようと決めたのです。そのとき大学4年生だったのですが、その年の試験には間に合わなかったので、その次の年に受験することにして、早稲田公務員セミナーに通い始めました。

 国 I は法律職で受験しようと考えていたので、セミナーでは憲法・民法・行政法をはじめとする授業をうけ、熱心に勉強しましたし、渡辺ゼミにも入りました。ここで出会ったゼミ生と個人的に教養科目の勉強会を行っていくことになりました。この勉強会は5人で構成され、それぞれの得意分野を活かしてなんとか幅広い教養科目を乗り切ろうという趣旨のものでした。

 勉強会では、各自が作成した時事問題をみんなが解き、問題作成者が解説をしたり、英文問題や数的処理の過去問を時間を計って一緒に解き、答え合わせをした上で、得意な人がその解法を説明したりしていました。それぞれ自分の点数を発表することにしていましたが、これによっていい意味でライバル意識を持ち、お互いに切磋琢磨することができたのではないかと思います。試験まで定期的に勉強会を開き、5人が顔を合わせることによって精神的な面でも支えられていました。また、官庁訪問をしていた間も励まし合い、精神的な支えとなってくれていました。

 この勉強会5人の全員が国 I に合格しましたが、県庁や企業に就職した人もいて進路はバラバラになりました。しかし、同じ目標を持って切磋琢磨しあった仲間ですから、これからも一生の付き合いになると思います。

 そして私といえば、結局希望官庁から内定をもらうことができませんでした。また参議院事務局 I 種試験も受け、最終面接まで残ったのですが、結局合格することができませんでした。

 その後、私はある人からの紹介で法律事務所でアルバイトを始めることになりました。国 I に合格している私に興味を持ってくれたようで、その後どうするか決めるまで社会勉強の1つとしてアルバイトとして受け入れてくださったのです。

 そこで私はもう一度挑戦するか、もし挑戦しないとしたらこの先どうすればよいかを決めなければなりませんでした。

 これを決めるまでの間、私はなぜ内定がもらえなかったのか何度も考えました。たしかに、女性は実質的に採用数が少ないことや私が既に卒業してしまっていたという条件面で不利な部分もありました。しかし、私はこのような条件面で内定がもらえなかったのではないと思っています。私は「試験に合格する」ことにばかり気を取られていました。なぜ公務員になりたいと考えたのか、なぜその省庁を希望するのか、もし希望がかなったらどういうことをしたいのかという一番重要なことに真剣に向き合わず、漠然とした目標しかもっていなかったから内定がもらえなかったのです。これが、私の結論です。そして、私は次の年に官庁訪問はしないことに決めました。前述の問に対する答えがこの先も見つからないと感じたからです。

 また法律事務所のアルバイトを通して私は弁護士の仕事に魅力を感じ始めていました。特に相手の考えや希望を対話の中から汲み取り、それをできる範囲で実現できるよう努力するという仕事が自分にあっている点や自分の好きな法律という専門性の要求されるという点から私は弁護士になるために司法試験を受けようと決意したのです。

 しかし、このように決意するまでにはだいたい3ヶ月ほどはかかったのではないかと思います。この3ヶ月間はとても精神的にきついものでした。高校・大学時代の友人は既に働き始めていて「社会人」としての第一歩を踏み出していました。それに比べて私はまだこの先どうするかも決まっていない状態でしたから、焦りを感じて友人の何気ない一言にも敏感になっていました。それに司法試験の勉強を始めるとしても、いつ受かるのかわからないし、いつかは受かるという保証すらないのです。予備校に通うとなるとお金もかかりますから、すぐに決意するというわけにはいきませんでした。

 でも、この間にアルバイトをしていて、弁護士の先生の、依頼者のニーズに答えようと努力する姿勢を目の当たりにし弁護士になりたいという思いが日増しに強くなっていき、司法試験の勉強を始めることを決意したのです。(この法律事務所は平成13年3月頃までお世話になりました。)

司法試験(平成12年1月〜)を受験そして合格

 司法試験の勉強を実際に始めたのは、平成12年1月頃でした。私は国 I の法律職の受験をしていましたから、憲法や民法はひととおり勉強しているつもりでした。しかしこれが司法試験ではどの程度まで通用するか全くわからなかったので、とりあえず、択一の過去問を時間は気にせず解いてみることにしました。(司法試験は一般に択一試験→論文試験→口述試験と3回も試験があります。)択一試験の科目は憲法・民法・刑法の3つですが、驚くことに憲法・民法は7〜8割程度解けました。特に民法は問題の形式に多少の違いがあるものの、新しく択一の勉強しなければならないことはあまりありませんでした。他方で刑法は知らないことの方が多く、解けるとしてもかなり時間がかかりました。刑法は国 I の試験科目としてあってもその比重が低かったので勉強もほとんどしていなかったのです。そこで刑法は基礎から勉強を始めました。

 司法試験の択一は苦手意識が全くなく、むしろ得意な方であったと思います(刑法を除いて)。これは国 I の試験勉強のときに徹底的に勉強したという土台があったからです。一般に司法試験は、論文試験の難しさ、科目の多さ(憲法・民法・刑法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法と6科目もあります。)からどうしても択一より論文の勉強に比重を置かざるを得ません。そして択一試験直前のいつまで論文の勉強をするかというのは受験生の悩むところですが、私はこれによってギリギリまで論文の勉強をすることができたのです。

 これに対して論文試験の方はそれまでの勉強でカバーしきれず、より深く理解する必要がありました。もっとも、憲法は渡辺先生が芦部先生の基本書をベースにかなり踏み込んで授業をしてくださったおかげで論文用の勉強はしましたが、8割位は新たに理解するための勉強をする必要がありませんでした。

 結局、はじめて司法試験をうけて論文も合格していたのですが、とても驚きました。論文の合格発表の日は、自分の受験番号の書かれている受験票を忘れるくらい気が抜けていたのです。慌てて2週間後の口述試験のために勉強に取り組みました。

 そして私は平成13年度の司法試験に最終合格することができました。このように私が1発で司法試験に合格することができたのも、国 I 試験のためにした勉強がその土台にあったからです。

 私の母親は「こんなことになるなら、学生の頃から始めればよかったのに」と言います。しかし、学生時代によく遊んだ分だけその後司法試験の勉強に専念することができましたし、学生時代の友人が既に働き出しお給料をもらって自分の力で生活しているにもかかわず、私は両親に面倒みてもらっているという状況にあることで、より頑張らなくてはならないという意識が働いていたということからすれば、私は学生の頃から始めた方がよかったとは思いません。また、国 I に失敗して司法試験を始めたという人は少ないのではないでしょうか。この間に自分が経験したことや考えたことは辛いことも沢山ありましたが、今となっては私にとってとても貴重で大切なものとなっています。そしてその間に出会った人たちも私にとってかけがえのない存在となっています。

 今の私はようやく法曹界の入り口に立てた、というところでしょうか。しかし、これからまだまだ学ばなければならないことが沢山あります。不安と期待が入り混じった感覚です。この気持ちをいつまでも忘れずにいつまでも謙虚に学び続けていきたい、そう考えています。

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