[ HOME私の教育論>中学受験の是非 ]
私の教育論
中学受験の是非
 

 中学受験には、向く子と向かない子がいる。親がその点を見抜かないと悲劇を生む。 向く子は、『キャリア・エリートへの道』にも登場する武蔵中学に合格した木村君のようなませた子である。小学校の先生を理屈でやり込めてしまうような生意気な子である。試しに、有名私立中学の国語の長文読解問題を解いてみるとよい。精神的にかなり成熟していなければ解けない。中堅大学の国語の入試問題よりも難しいとも言える。

 そこで、晩生(おくて)の子に無理矢理受験勉強をさせるとどうなるか。精神的に成熟していないから、問題文を読んでも本当の意味をつかめず、受験勉強は苦痛以外の何物でもない。晩生(おくて)の子は、もっと遊んで自分の体験を増やし、また、本(マンガでもよい)やテレビ・映画のドラマを鑑て、間接体験を増やし、精神の成熟を待つしかない。

 昭和50年代後半に1年間、板橋区に住む中学3年のT君の家庭教師をしたことがある。彼は、中学試験に失敗していた。彼は、小学校5・6年の頃は毎週、日曜テストに行っていたが、中学校では塾に行っていなかった。しかし、勉強の合間の休憩時には、いつも、「あの時、もっと遊びたかった。一度、遊びに行ってしまって、連れ戻されたときは非常に悲しかった。」とまるで昨日の出来事のように語り、大粒の涙をこぼして泣いて、親に対する不満を何度も訴えた。しかし、何とか慰め慰め、他方、出題傾向を徹底的に分析し、実力よりも偏差値で9〜10上の私立大学の付属高校に合格させ、私の任務は無事完了した。しかし、20代の私には大変な1年であった(これには、後日談がある)。ここで、「精神的な傷は、数年を経ても癒やしを必要とする」という貴重な教訓を得た。

 という訳で、中学受験は人により向き・不向きがあるので、良いとか悪いとかは一概に言えない。私には、二女と一男がいるが、次女(小1)はませているので中学受験向き、長女(小4)と長男(幼稚園年中)は晩生なので高校受験で勝負と判定している。

©1999-2001 The Future