「私の教育論」を2年ぶりに再開する。
その間、何も考えなかったのではない。2002年には2度の入院もあったが、東京と京都を毎月1〜2回往復しながら、霞が関に官僚の卵を送り続けるという仕事を以前とほぼ変わらず継続してきた。また、家庭では、晩生の長女と早熟の次女がほぼ同時に反抗期を迎えたので、毎日のように手を焼いていた(現在も進行中である)。さらに、男の子にしては繊細すぎる長男に関する悩みも尽きなかった。このようにして、この2年間は公私ともに心身を休める暇もなく走り続け、ゆっくり自分の考えをまとめ表現する時間がなかったというのが実感である。
幅広い年代・職業の読者の方々から感想も寄せられた。しかし、個別的に対応したにとどまっていた。
教育のことは政治家と官僚に任せておけという立場もある。2003年に出版された『13歳のハローワーク』(ちょうど長女が13歳であったので、迷わず買った)の作者である芥川賞作家の村上龍氏は、意外にもこの立場を新聞で表明していたと記憶している。
しかし、教育はもちろん政治家や官僚も考えなくてはならないが、具体的な教育の問題に日々直面し悩んでいる教育関係者や親の意見を無視してはならないと思う。私も一納税者として、広い意味で教育関係者として、3人の親として発言し続けることが重要だと思う。「ゆとりの教育」もそれを不安に思う教育関係者と親達の真摯な声を受けて修正されたものと考える。
ただし、私は最近、高校生と幼稚園児以下と接する機会はほとんどない。しかし、Wセミナーや各大学で大学生(社会人・社会人経験者もいる)に仕事として日常的に接している。また、家庭では、長女が中学校3年生、次女が小学校6年生と微妙な学年になり、話題には事欠かない。長男は小学校4年生なので小学校低学年以下の記憶も未だ鮮明である。今の段階で、(未成熟ながら)自分の体験を通じた考えを述べておくことも、若干の社会的意義があるのかもしれない。
読者の方々には、今後も「私の教育論」を今の教育のありかたを考える題材の1つに加えていただければと念願している。
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