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私の教育論
通学路が危ない
 

 長女は4年生になる。しかし、毎日、妻が送り迎えしている。過保護ではない。わずか10分あまりの通学路が危ないのである。ちょっとした森があり、自然が残っていているのだが、チカンが隠れるのにも、ちょうどいいのである。

 長女が1年生の最初は、慣れるまで親が途中まで送迎していた。しかし、それが終わる頃、近所の4年生の女の子が下校時に変質者に追いかけられた。また、その直後、その近くで中学生が登校時に後ろから抱きつかれたのである。犯人は叫び声を聞いて駆けつけた近所の主婦達によって捕まえられた。しかし、警察官を呼んでいる隙に逃げられてしまった。

 そこで、妻に毎日送迎するよう言った(私は、深夜仕事をすることも多く、朝はたいてい寝ている)。しばらくして変質者の出没は途絶えた。とうとう、妻は「もう大丈夫でしょう。」と言い出した。しかし、私は、「油断した頃が危ない。」と言って、その日も妻に送迎させた。薄曇りのいやな感じのする日であった。案の定、その日、下校時に再び変質者が出没し、近所の2年生の女の子が追いかけられた。

 変質者は、複数いるようである。若い者から中年まで、頭髪の薄い者も濃い者もいるという。被害者は、女の子が多いが、変質者に下半身を見せつけられた男の子もいた。

 通学路は派出所の管轄の境目にあり、警察の対応は二つに分かれた。真面目にとりあってくれない派出所がある一方、パトロールを約束してくれた派出所もあった。しかし、他の通学路にも変質者は出張しているようであった。

 最初、私たちは「狼少年」の扱いをされたが、その後、全国的にも小・中学生の誘拐事件が相次いだ(最近も、東京や千葉で誘拐事件が起きている)ので、学校からのお知らせでも、たびたび注意が促され、また、PTAも時々パトロールするようにはなった。子どもが駆け込むことのできる「子ども110番」も設けられた。しかし、まだまだ対応は場当たり的と言わざるを得ない。

 警察は、変質者のモンタージュを作成するとか、出没箇所のデータ・ベース化の作業を進め、情報を公開し、パトロールを増やすことも必要である。ニューヨークで犯罪が減ったのは、好況のせいもあるが、犯罪発生の頻出箇所に重点的に警察官を配備したせいであるとの説もある。

 親も毎日の送迎には疲れている。警察は、軽くでいいから、通学・下校時にパトロールしてくれるだけでも助かる。しかし、余分な人件費がかかり、無理というのでは、将来的には、PTAが警備会社と契約しなければならなくなるのかもしれない。ここでも、学校と塾との関係と同じく、警察と警備会社の関係が浮かび上がる。

 公と私の役割分担――難しいテーマではある。もはや「安全と水はタダ」ではないのかもしれない。しかし、治安の維持と犯罪の防止は、国家の本来の役割であるはずである。

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