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私の教育論
親父の運動会
 

 9月19日に長女と次女が通う小学校の運動会で足をくじいてしまった。それ以後、毎日3時間の講義(「講義中は座ってはいけない」とのマニュアルがある)と約60分の電車による通勤と帰宅(通勤時は座れるが、帰宅時は30分座れない)は、苦しかった。ようやく、最近になり治癒し普通に歩けるようになった。けがの顛末は以下である。

 例年、運動会は8時30分から始まる。しかし、開門は7時である。そこで、保護者席でもより見易い場所を確保するため、親父達は6時頃から校門の前に並ぶのである。そして、7時に親父の「場所取り徒競走」が開始されるのである。これは、実質的には、運動会の最初の競技と言ってよい。
 私にとっては、今年で4回目の場所取りであった。1回目は、全く勝手が分からなかった。仕事もあったので午前4時に寝て6時に起き、短パン・短シャツ・サンダル履きで行った。その結果、30分も朝の寒さに震え、夜露に濡れたグランドで転び、おまけに風邪までひいてしまった。そこで、2回目と3回目は、前日は早く寝るようにし、長ズボン・長袖・スポーツシューズ履きで行った。4回目も重装備で、新聞は2部も持参した。従来は、新聞を持参する者は私を含めても少数派だった。しかし、今年は多数派となっていた。私は、ニホンザルがサツマイモを海水で洗う習慣が群れに伝播していくという話を思い出した。今頃どこかの小学校でも新聞を黙々と読みながら開門を待つ親父達の姿が見られるかも知れない。「全く時間とエネルギーの無駄ですね」、「いや、周り(家族)から言われると並ばざるをえませんからね」という会話をしつつ……。

 さて今年も7時に開門となった。開門前に、先生のほうから、「グランドはすべるから走らないように」、「ロープに気をつけるように」とやんわりと注意があった。前方の親父達からは失笑が漏れた。しかし、例年の如く一人が走り出すと先生の注意にもかかわらず親父達は一斉に走りだした。私もつられて我ながらダッシュよく走り出した。すると、右前方にロープがある。それは何とか飛び越えたが、右足一本で着地したので、くじいてしまったという次第である。この時、先生の注意の意味を実感した。また、走り高跳びが苦手であった事実も思い出した。兼好法師も言っていたが、先達の言うことは素直に聞くものである。グランドですべって脇腹を痛めた娘の友達のお母さんもいると後で聞いた。一般にお母さんがお弁当用意係で、親父が「場所取り徒競走」に参加するのだが、一人二役のお母さんもいる。それにしても、子供はどれだけ親の苦労を実感していることやら……。

 ともあれ何とか今年も2列目に座席を確保することができた。
 前年は、はるか後方で「前の人座れ! 見えないじゃないか!」と叫んでいた親父(我々の親父の世代、小学生にとっては祖父の世代に属する)がいた。そこで、私は「どうぞ」と言って、シートを空けてやった。すると、彼は嬉しそうに、四つん這いになって靴も脱がず、1列目の前(グランドの中)までシートの上にズルズル砂をまき散らしながら進んで行った。私達は呆気にとられた。私は「お前みたいなエゴイストが日本をおかしくしたんだ!」と 怒鳴ってやろうかと思ったが、「楽しい運動会がぶち壊しになるのはマズイ!」と理性が邪魔をした。そこで、昨年は黙っていた。
 今年は、そういうこともないだろうと思っていた。しかし、「前の人、立っていたら子供達が見えないじゃないか!」と3列目で叫んでいた親父がいた。彼は後になって4列目以降の人達の迷惑を顧みず立ちながら撮影していた。彼は、広いスペースを独り占めして、椅子に座ってビデオ撮影しており、一人だけ突出していた。先程叫んだのも子供が見えないのではなく、自分の撮影の邪魔になったからであると容易に推測できた。そこで、私は彼に「立つのが一時的ならば、お互い譲り合って見ようではないか」と(理性的に)提案した。私も1列目の人が立っていると見にくいが、その時は「その人の子供が出ているのだな」と大目に見ている。運動会でそれくらいの寛容はお互い必要ではないか。

 ともかく「場所取り徒競走」と我が子の「ビデオ撮影」は、親のエゴイズムを増大させる。私は、ビデオ撮影の時は、ファインダーを覗かず画面に映しながら全体の動きを把握して、なるべく「我が子だけ」というエゴイズムには陥らないようにしている。ビデオ撮影にも「流儀」が要ると思う。しかし、早朝の場所取り徒競走は何とかならないものか。いっそのこと子供達にくじ引きで決めさせたらどうか。ここで、「自由からの逃走」を思う。
 小学校の運動会だけでも幼稚園年中の長男が卒業するまで、あと7回もある。悩みは尽きない。

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