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私の教育論
親父の運動会(2)
 

 10月10日に長男の通う幼稚園の運動会で綱引きの二連覇を達成した。前に長女と次女が通う小学校の運動会で足をくじいており参加が危ぶまれたが、何とか回復し勝つことができた。

 一昨年は、次女の年中クラスから参加した。綱引きのルールは、4〜5メートル離れた白線から「用意ドン!」で綱まで走り、綱を引き、垂直に一定の距離を移動したときに勝敗が決まるというものである。しかし、なんと1回戦で負けてしまった。はじめは「綱引きなんて馬鹿馬鹿しい!」と思ってはいたのだが、いざ綱に触るか触らないうちに負けてしまうと、腕や手の痛みとともに悔しさがこみ上げてきた。

 昨年、1年ぶりにリベンジのチャンスが巡ってきた。長男の年少クラスから参加することになったのである。一度だが、綱が相手のチームに近い位置に置かれていた。私は役員に身振り・手振りで合図(抗議)したが、役員は位置感覚がなかったらしい。役員はもっと相手に近く綱を置いてしまった。しかし、味方の親父達は気が付いて白線よりも一歩・二歩前に出て競技を開始した(条件の平等)。そして、なんと勝ち残ることができた。前に出ていなければ、一昨年のようにあっと言う間にここで負けていたかもしれなかった。条件の平等の重要性を体で認識した。

 今年は、昨年、優勝しているので勝つ予感はあった。今年も、抗議する程でもないが、やや綱が相手のチームに近い位置に置かれていた。しかし、余裕で勝利した。ただ、この勝利には、隠された秘密がある。実は、私ともう一人が綱を飛び越え、右側に回り込んで綱を引っ張ったのである。一般に、親父達は綱の左側で引っ張る。両チームがそうするから、勢い綱は時計回りに回転しがちとなり、力は左斜めに働き、垂直方向への力は弱まってしまう。そこで、右側から引っ張ると、力は右斜めにも働き、全体として垂直方向への力が強まるのである(ベクトルの合成)。私は、右側から綱を引きながら、綱が全体として時計回りに回転するのと、相手チームの親父がすべて左側にいるのと、味方チームにもう一人右側にいる親父がいるのを確認して、勝利を確信した。そして、案の定、勝った。昨年より体力の落ちている分を、頭脳で補い勝利したのである。もう一人右側に回り込んだ親父もベクトルの合成まで考えていたのかもしれないが、単に左利きだった可能性も高い。もちろん、味方チームの力が単に一番強かっただけかもしれない。しかし、実力が伯仲していれば、頭脳の勝負となるのはスポーツ一般に言えることである。

 この話を合格者にしたところ、「先生、ところで、景品をもらうとか、勝ってなんか得しましたか?」と聞かれた。そこで、「何もない。しかし、すぐ、金銭的・物質的な損得に結びつけてはいけない。」と注意した。確かに綱引きにすぎない。しかし、勝てば、子供も喜ぶし本人も満足感が味わえる。負ければ、悔しいし工夫もするのである。私は、公正な競争(条件の平等)の重要性と中学で学んだ数学(ベクトルの合成)の重要性を体得したのである。運動会や綱引きも奥が深いのである。

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