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私の教育論
ポケモンの教育効果
   ポケモン(ポケットモンスター)が、日本のみならず、欧米でも大人気という。確かにポケモンは面白い。特に、最初の10話までが圧巻であった。愛と友情をテーマに、「巨人の星」の左門豊作、歌舞伎の「勧進帳」、太宰治の「走れメロス」のパロディーなどが随時ちりばめられており、教養ある親父(?)が見ていても、充分楽しめた。ニャース(人間の言葉を喋る猫のポケモン)の生い立ちや失恋などは、思わず涙を誘われずにはいられなかった。ただ、最近、ポケモンの数が約150から更に100以上増え、ややマンネリ化の傾向も見られる。ミッキーマウスのように長生き出来るかは、今後の作品次第であろう。
 ところで、ポケモンのおかげで、今年小学校2年になった次女は、幼稚園の間にカタカナをひらがなより先に覚えてしまった。そう言えば、次女が1歳の頃「ママ」の次に覚えた言葉は「シェラムン」(あの一世を風靡したセーラームーンのことである)だった。セーラームーンは、「ダサイ」ということで、誰も見向きしなくなってしまった。セーラームーンは一体どこへ行ったのか?
 ともかくも、ポケモンは、カタカナが多いので、教育効果は抜群である。子どもは自然にカタカナを覚えてしまう。ただ、キャタピー(毛虫のポケモン)とか、英語をもじったりしているので、正確さに欠ける面もある。また、サワムラー(元キックボクシングチャンピオンの沢村選手がモデルと思われる)、エビワラー(元ボクシングチャンピオンの海老原選手がモデルと思われる)とか、人間がモデルのポケモンがいて、ユンゲラー(任天堂は否定しているが、モデルはユリ・ゲラーと思われる)では、任天堂がユリ・ゲラーに名誉毀損で訴えられるところまで行ってしまっている。しかし、全体としてみれば、アニメのポケモンは、評価できる。
 問題なのは、ゲームのポケモンである。通常のバトルはともかく、剣やハンマーを持ってのバトルは問題がある。転落して死んだポケモンは、また、天から降りてくる(輪廻転生?)。特に幼稚園児は影響が大である。小学生の長女と次女は、ゲームはバーチャル世界という認識があるので、それ程の影響はなさそうである。しかし、幼稚園の長男は、平和主義者(友達とけんかしても、絶対殴らない。友達が他の子をいじめていても自分はいじめない。好きな女の子の誕生日には花を届ける。ピアノと歌が好きである。親から見ても軟弱な男の子)だが、ゲームの後は興奮して、自分の気に入らないことがあると「殴るよ」とか言うようになったと妻が嘆いていた。先日も、私の友人が来たので、静かにさせるため、別室でわずか3回ゲームを許可したのだが、興奮して汗びっしょりになり、上気して戻ってきた。また、汚い話だが、長男の友達は、「ゲロを吐くまで、2時間もゲームをやっていた」そうだ。という訳で、ゲームは、外で充分遊んだ後とか、掃除を手伝った後に、ごく少時間だけ許すことにした。幼稚園児にはゲームのバーチャル世界と現実の世界とが同格のようである。現実の世界が真で、ゲームのバーチャル世界は虚であることを知らしめないと大変危険である。
 最近、少年の凶悪事件が目立っている。これらの背後には、表現の自由の名の下に野放しに許されているテレビの暴力シーンや暴力的なゲームの影響が少なからずあるようにも思える。
 テレビでは、午後9時前は暴力シーンを自重するとか、暴力的なゲームは大人に限定販売するとか、まず、見せる側と売る側の自制が求められる(もちろん、親の子どもへの規制も重要である)。しかし、それが、できないならば、表現の自由と未成年者の保護を調整する形で、法律や条例による規制も検討せざるを得ないのではないか。
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