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私の教育論
テレビゲームと少年事件の因果関係
   前回、「ポケモンの教育効果」では、ゲームが子ども、特に年少者の感情・心理に強い影響を与えるのではないかと示唆した。5月11日の朝日新聞「声」欄にも、武蔵村山市の36歳の主婦Aさんのほぼ同意見が紹介されていた。それによると、Aさんは数年前、週末1時間だけの約束で、テレビゲーム機を購入し、息子さんにゲームを許可したところ、「死ね」とか「殺してやる」とか、叫んだという。Aさんも、ゲームによって、仮想と現実の区別が入り交じり区別がつかなくなる、一線を越えやすい心理状態になりやすいのではないか、と問題提起されている。昨今の少年事件もテレビゲームの影響が大きいのではないかとし、ソフトを売る側の自制と親の管理を提案されている。
 確かに、『アエラ』2000.5.15号「十七歳 戦慄の凶行」によると、愛知主婦殺人事件の少年Bは、「ソフトはもっぱらレンタル」ではあったが、「休日にテレビゲームをぶっつづけで七時間ほどすることもあった」らしい。また、佐賀バスジャック殺傷事件の少年Cについても、少年が高校に行かなくなり、ひきこもりとなったころ遊びに行った幼なじみは、「『信長の野望』など戦記物のゲームにふけりながら、少年が『皆殺しにしてやる』と笑いながら言ったことを印象深く覚えている」らしい。
 もちろん、事件はテレビゲームの影響だけではないかもしれない。大半の青少年は現実と仮想の区別はついているだろう。しかし、それが出来にくいのが、特に、年少者であり、社会的接触の少ない孤独な青少年なのである。最終的に因果関係を証明するのには専門家に任せる(賛否両論があろう)として、現実の問題としては、まず、親が規制しなければならない。次に、ソフトの制作・販売の業界には、青年指定をするとか、自主規制が求められる。それをしなければ、法律・条例の規制を考えるしかない。
 表現内容の規制について、通説(芦部説・アメリカの判例)によれば、「明白かつ現在の危険がなければ規制できない」(明白かつ現在の基準)とか、「重要な公共的利益のために必要不可欠で、是非とも必要な最小限の規制のみ認める」(厳格審査基準)とか、いうことになり、一見規制するのが難しいようにも思えるが、決して不可能ではない。まして、最高裁によれば、規制目的は正当であれば足り、規制によって得られる利益と規制によって失われる利益の均衡を失せず、規制手段と規制目的との間には合理的関連性がある(合理的関連性の基準)、といえれば規制は比較的簡単である。
 しかし、法的規制は国会と地方議会に任せるとして、今、現実にはない以上、まず、親の規制が重要である。確かに、ゲームに熱中していれば、交通事故の心配も誘拐の心配もない。また、ソフトのコレクターでないかぎり、お金もさほどかからない。しかし、ゲームは、子どもの社会的接触の機会を奪い、子どもの心を知らず知らずに蝕んでいる。先日も、息子の友達が7人ほど集まった(息子は欠席)ようだが、ゲームボーイをそれぞれ持参(息子にはもたせていない)していて、みんな押し黙って話もせず、黙々とゲームボーイをピコピコやっていたという。さすが若いママ達(妻は例外)も、それには大変驚いて、妻に報告したという次第である。
 インベーダー・ゲームがはやったのは、確か約20年前と記憶している。インベーダーは、20年間で確実に増殖しているようだ。
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