神奈川県の大和市にある無認可のベビーホテルで、幼児が暴行により死亡したらしいというニュースは、我々の記憶にも新しい。6月30日の朝日新聞(夕刊)によると、認可された保育園に入れない子どもは、昨年4月の時点で全国で3万2000人を超えるという。他方、無認可のベビーホテルは7年で2倍(約800箇所、無認可の託児所・保育園は約8600箇所)となり、そこに預けられている子どもは2万人を超えている。認可された保育園に入れない子どもの過半数を無認可のベビーホテルが受け入れているという構造である。
首都圏の私立の保育園では、国からの補助金がないと、毎月10万円以上の保育料を徴収しなければ、採算がとれないらしい。JR東日本は「首都圏100駅構想」を掲げて、空き地に保育園を併設する計画を立てているが、実現したのは助成制度を設けている横浜市の2箇所(鶴見駅と小机駅)だけらしい。しかし、保育料は5万8000円で、公立の2倍とのことである。
そもそも市場原理が働かず、採算の合わないサービスの提供は、国とか地方公共団体の仕事のはずである。少子化が進む現在、景気対策も重要ではあるが、その100分の1でもいいから、出生率の向上を阻害する要因を除去する政策に予算を使うべきである。具体的には、公立の保育園を増やすべきである。その分お金はかかるが、雇用が創出され、また、親も安心して仕事ができるので、税収は増えるはずである。また、認可保育園として国から補助金をもらうためには、一定面積以上の園庭などを備えなくてはならないが、首都圏では近くの公園を利用することなどで要件をはずすなど、規制緩和に努めるべきである。認可の要件が厳しいままで無認可の施設が増えるのを放置し、何か問題があったときは児童福祉法に基づく立入調査をするというのは、やらないよりはいいが、いかにも場あたり的である。それよりは、認可の要件を緩くして、補助金を交付する代わりに、行政によるコントロール(調査や監査など。親の声を吸い上げる仕組みも必要である)を働かすなどしたほうが、はるかに親にはありがたい。また、保育園以外の選択肢、例えば、1〜3年の育児休暇の後に容易に復職できる仕組み等の充実も必要である。その際、どうしても親の都合を優先しがちだが、本当は子どもの個性に合った対応が必要かと思う。
今回、約10年前のことを思い出した。妻が仕事(小学校教諭)に復帰するに際し、私と妻と長女の3人で公立の保育園を見学した。雰囲気のいい保育園であったが、長女の年齢と性格を考え(次女か長男だったら入れていたかもしれない)、午前は私が面倒をみて、午後は保育ママさん(複数)に預けることにした。しかし、感受性の鋭い長女は、自分で愛情の感じられないある保育ママさんにはなじめず、わずか1回で1時間のならし保育だったが、ずっと泣き通しで情緒不安定になってしまった。その日のうちに妻は辞職を決意したが、1学期の途中では辞めるわけにはいかなかった。そこで、妻は私と一時的に別居し、実家から両親に娘を預けて通勤することとなった。私は、娘に毎週会いに行ったが、2週間会わないとよそよそしくなり、視線をそらすようになったのには私も驚いた。でも、妻と一緒に駅に見送りに来た娘が、私と別れるのを悲しみ泣いたことがある。父親としての自覚が乏しかった?(娘が私のことを見つめてにっこりしているのに、私は「もうこれで自由がなくなった……」という顔をしている写真もある)当時の私もジンと来てしまった。その日、一緒に列車に乗った叔父夫婦も私のことを「きっといい父親なんだろうな」と誤解したのではないかとも思う。
その後、次女も生まれ、一番下の長男も6歳になろうとしている。おしめを代えた回数も、長女300回以上、次女100回前後、長男20〜30回と大幅に減少しているが、父親としての自覚は段々備わってきた(?)ようでもある(「父親に生まれるのではない、父親になるのである」)。結婚してから、妊娠中も含め大半は赤ん坊のいる生活をしていたが、当時は「うるさい存在」と思っていたものの、最近は他人の赤ん坊を見ても素直に「かわいい」と思うようになっている(自分でも変化に驚いている)。他方、長男が少年の面影を増してゆき、幼児の面影をなくしていく姿を見ると、頼もしくもあり、寂しくもある。本当は、イギリスのブレア首相のように「第4子、特に次男がほしい」ところだが、いろいろな制約もあり無理と諦めている。
そのかわりに、これから結婚・出産を控えている次に続く人達のために「陰に陽に応援してあげたい」と切に思う。 |