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私の教育論
卒園式に思う (2001/3/24)
   先日、長男の通っていたM幼稚園の卒園式に出席した。次女も同じM幼稚園に通っていたのだが、卒園式の日は仕事が急に入ったので、残念ながら参加できなかった。したがって、幼稚園の卒園式に出たのは、長女の時から数えて5年ぶりということになる。
 長女の通っていたS幼稚園では卒園式はとにかく長かった。来賓の挨拶だけで40〜50分、終了まで3時間近くあったかと記憶している。幼稚園は大学の付属で、設備は立派で、躾も厳しかった。しかし、長女は3月生ということもあり、全くのお客様扱いで、よく休んだり遅刻したりで、先生方に随分迷惑をおかけした。
 長男の通っていたM幼稚園の卒園式は短かかった。形式抜きで、1時間20〜30分程度で余韻を残し終わった。幼稚園はキリスト教の教会の付属で、設備は手作り中心で、園庭には四季の樹木が繁り、園児の自主性を重視する教育方針であった。
 優等生タイプの次女は目立っていた。演劇では主役の座(マリア様)を争って、ジャンケンで負けて涙を流し、園長先生から代わりにナレーターの役をいただいたりした。それだけに、卒園式に出られなかったのは今でも残念である。
 逆に、長男は、別の意味で目立っていた。よく休み、行っても、やりたくないことは全くやらず、教室でもよくゴロゴロ寝ていたらしい。しかし、ノコギリを使って遊び道具を作るときは目を輝かせて、手を切り血だらけになりながらも、人一倍製作に励んでいたらしい。
 ここで私自身の記憶を辿る。幼稚園では、お遊戯は全く嫌いであった。人見知りで、全く返事もせず、先生と口をきいたのも、最後の3か月だけだった。なぜか数人の女の子に馬鹿にされ、ブランコや遊技にもほとんど触らせてもらえなかった。卒園式の時に懇親会を抜け出し、一番人気の遊技に最後の最後に触った。冷たい感触があった。あの時の先生はそんな私にも十分に優しかったが、私が小学校の時にお産時の出血が原因で亡くなってしまった。という訳で、卒園式の想い出は悲しい。
 しかし、長男の卒園式は楽しかった。いろいろあったが、とにかく長男は無事に卒園できた。家に着いたとき、長男が「幼稚園最後の日に来てくれて、ありがとう」と私と妻に言ってくれた時は、「うちのお父さんとお母さんは日本一だ」と言ってくれた時と同じくらい大変うれしかった。最近も、長女(今度6年生になる)が「私が我が儘になったのは、幼稚園の時にお父さんが甘やかしたせいだ」と私に責任転嫁をするのを聞いた長男(今度1年生になる)は、「違う! お父さんのせいじゃない。お姉ちゃんのせいだ」と私を庇ってくれた。反抗期の長女に少し手を焼いている私と妻にとって、次女とか長男の存在は精神的な救いともなっている。少し心配なのは、昨年の運動会の時には誰が見ても仲むつまじくしていたMちゃんのことを最近は「嫌いだ」と言っていることである。どうもその後、周囲の園児からいろいろ言われたらしく、「女は嫌いだ!」とも言っている。初恋は周囲からの圧力で潰されてしまったようでもある。幸いMちゃんとは小学校が同じである。親としては今後の動向を静かに見守るしかない。
 そんな長男がお寿司とお刺身(私がスーパーの閉店間際に半額で買ってきた)を食べながら、「今の日本に生まれてきてよかった」としみじみと呟いていた。私は「もっといい国になるよう、お前もがんばれよ」と国民一人あたり500万円を超える借金を抱える日本をどうすることもできずにいる大人の1人として自責の念を抱きながら言葉を返した。
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