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私の教育論
入学式に思う (2001/4/20)
   先日、長男の小学校の入学式に参列した。長女の時から5年、次女の時から2年を経過し、3回目である。校長先生も3人目である。長女は最上級生の6年生、次女は弟が入学ということで特別に出席していた。来賓の挨拶が多かったのには閉口したが、長男はちゃんと返事もでき、式も無事に終了した。ちなみに、日の丸があったかどうかはよく覚えていないが、君が代斉唱の時は皆起立していたようだった。
 1年生は145〜6人なので、4クラス(1クラス36人超)である。そのうち約3分の2が初めての入学とのこと。高齢化している(40代後半が多い)先生は36人超の児童に加え、70人を超える若い親(30代が多い)を相手にせねばならず、大変である。やはり少なくとも30人を上限としなければ、学級経営は難しいだろう。
 6年生は1年生の世話係りで、かなりワガママな長女すら「最近の1年生はワガママだ。日本語が通じない。うちのN(長男のこと)は普通の日本語をしゃべっているので、まだマシ」としみじみと言っていた。それよりも、特に大変なのは、パパがエリートでママも高学歴の場合である。特に役員のママの一部は、学校や先生を見下し、注文もうるさい。なかには校長先生や教育委員会に直訴して、気に入らない担任を更迭を要求するような例もある。確かにヒドイ先生もいる。しかし、それはごく一部で、それも直接本人に言うことでかなりの改善はみられる。確かに、「当たり・ハズレ」があることは否定できない。「ハズレ」の場合、なるべく先生を刺激しないようにだが、言うべきことは言い、ひたすら時間が過ぎるのを待つしかない。しかし、それはかなり辛い。だから、言いたい放題言うというのも気持ちはよくわかる。でも、率直に先生に言えば、かなりの部分は通じるものである。それでも、駄目なときは、校長先生や教育委員会に直訴しかない。長女の時、一度だけ直訴寸前まで行ったが、我慢して踏みとどまったことがある。
 誤解してもらっては困るが、私の祖父母は教員だったし、妻も教員だったので、私達は学校や先生の立場をよく理解しているほうである。長女のクラス再編の時も、反対するママ達に少数で立ち向かい、逆恨みされてしまったが、結果は20代の先生が2人も増え、学校全体に活気が出て、今では多くの親や先生に感謝されている(一部、未だに不満に思っている人もいたようだが、結局6年生では120人を超え、めでたく4クラスで持ち上がりとなった。だだし、1クラスだけ先生が交代していた)。学校に行くと、校長先生のほうから「あの時は、どうも……」とか、先生のほうから親しみを込めて「ご入学おめでとうございます」とか、声をかけていただいたりするくらいである。
 話を戻す。長男は「幼稚園は遊びだけだけど、小学校は算数とか勉強があるから、小学校がいい」と言っている。しかし、2002年学習指導要領で勉強好きの子どもは満足するのだろうか?私達の時を1とすると、今の大学生は2割削減で0.8、これからはさらに3割削減で0.56と何と半分近くになってしまう。私の経験からすれば、中学までは楽で、高校入学後大学受験までが一番大変であった。しかし、よく考えてみれば、受験科目に絞れば、もっと楽だったかもしれない(ただし、公務員試験受験には満遍なく勉強したのが、結果的にはよかったと思う)。学校では上位でも塾ではビリに近い長女も「学校の勉強は簡単すぎる。みんなに100点を取らせたければ、教える内容はそのままにして、試験の問題だけ簡単にすればいい」と言っている。確かにそうである。2002年学習指導要領は下の子に合わせる結果、上位と中位の子が切り捨てられてしまう。学力低下を嫌う親は多い。しかし、月5万円近くの月謝を払える階層は限られてくる。そうなるとますます階層格差に拍車がかかる。私立の多い中央と少ない地方との格差も拡がる。
 多くの教育関係者が「学力低下」を指摘しているにもかかわらず、文部科学省は「学力低下はない」一部のデータを金科玉条の如く信仰している。しかし、塾に通っている生徒を除いたら結果はどうであろうか? また、同じデータの「学習意欲の低下」の指摘には無関心に近い態度である。
 学力低下を心配しながら、高額の月謝を払えず、あきらめている親も少なくない(うちも家計を圧迫している)。子どもは机上の空論を実験する材料ではない。最低限、国際化する社会の中で、自立できるような教育を望んでいる。みんなに100点取らせる教育は誰も望んでいない。国際化する現代社会を生きる最低限の知識と個性を伸ばせる公教育を望んでいる。それができなければ、公教育にかかる税金分を親に払い戻して、私立に行く学費に充当させてほしい。
 仮に2002年学習指導要領を実施するならば、第1に実施以後は文部科学省の職員の子弟は国公立小・中・高校にしか行かせない、第2に実施以後のキャリア採用は国公立小・中・高校出身者しか採用しない、の方針を打ち出さないと誰も納得しないだろう。
 2002年学習指導要領の実施は、文部科学省に対する国民の信頼を著しく失わせるだけではなく、他省庁や経済界も心配するように国際化社会の中での日本の地位低下を招くことは必然であると言わざるを得ない。実験が終わった時はもう遅いのである。
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