M君の官庁訪問日記
15時過ぎ。ようやく自分の名前が呼ばれる。運輸省6人目の面接(人事課)。官庁訪問初の女性の面接官。まず、「最初に1分間で自己PRをして下さい」と。自己PRを要求されたのは官庁訪問で初の出来事だったが、ノートに準備しておいたのでそれを思い出しつつ話し続ける。「ちょっと長過ぎたでしょうか?」「いえ、55秒でしたよ」とのこと。これに調子づいて、他省庁との関係や運輸省で何がしたいかについて聞かれ、答える。10分ほどで面接終了。最後、2軍部屋に行くように言われるのかと思って面接官の言葉を待つ。しかし、面接官の口からは意外な言葉が……。「あなたがとても真面目な人だということはよくわかったのですが、今回はご縁がなかったということで、他省庁で頑張って下さい」と。あっ、みんなが待合室に戻って来なかったのはこのせいだったんだ……と納得すると同時に、とうとう「最後の言葉」を聞いてしまった、というショックが襲う。「こちらから退室して下さい」と、待合室からは遠い裏の出口から退室するように言われる。この部屋へは待合室から近い扉から入室した。こうやって最後、受験生同士の接触を防ぐのだなあと悟る。これで2軍部屋の有志とも会うこともない。淋しい気持ちで運輸省を後にする。
今まで「最後の言葉」を聞かずに官庁訪問期間を過ごしてきただけにダメージもそれなりに大きい。友達から「○○省を切られた」と聞いても励ますだけで今一つ実感が湧かなかったが、自分が切られて初めて実感としてわかる。初対面ないし2、3人の面接官と数分話した程度で「縁がなかった」と言われるのならまだしも、何人にも会い長時間にわたって会話をした上で「縁がなかった」と言われるのであるから、自分の人格が否定されたのではないかという思いに駆られる。これは多くの受験生が経験することだと思う。しかし、「そうではない、そうではない!」となんとか自分に言い聞かせる。第一、自分の人格が面接官によって否定されたなんて考えたくないし。
こんな中で、唯一、自分の心の支えとなったのは、人事院ではもう結果を待つだけになっているという事実である。「人事院では7人の面接官に認められて、昨日の8人目の面接に辿りついたのだ!」と、この事実だけが今後の自分の支えとなり、自信となる。もし、これがなかったら、今日の運輸省での「最後の言葉」によるダメージはもっともっと大きいものだったに違いない。これ以上の官庁訪問はやめにするに違いない。人事院ではもうすべきことがないというゆとりが、精神的な余裕につながるのだ。まだ自分には人事院、そして会計検査院が残されている……。官庁訪問も2週目になると、持ち駒がなくなってしまっている受験生も多くなってくる。現に、2軍部屋であれこれ話した10数人のグループの中で、運輸省が最後の持ち駒だった人も少なくなかった。そうした中で、まだ二つの持ち駒を持っている自分にはまだツキがあるのかもしれないと感じる。
こうしてこの日は霞ヶ関を去り、家路に向かう。
16時半過ぎ。代々木上原駅で、友達から電話が来る。そして、彼と新宿で夕食を食べることに。今日の運輸省での状況を話すと「お前もようやく切られたかー」「俺の気持ちもわかるだろー(笑)」と。そんな中、別の友達から電話が入る。2軍部屋のグループのメンバーで、今日一緒に運輸省の待合室にいた。そして、待合室に再び戻って来れた数少ない受験生の一人だ。待合室に再び戻って来れたということは、実は首がまだつながっているという証拠だったのだ。「僕はあの後呼ばれて切られたんだよ」と自分の報告をする。そして彼の話。彼は、何人かと面接をし、1軍部屋に行くチャンスがあったとのこと。しかし、それに失敗し、結局は切られたとのこと。運輸省の2軍部屋の友達はかなり苦戦しているらしかった。電話を切る。
22時過ぎ。友達と新宿駅で別れ、帰宅。
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