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キャリア・エリートへの道


「闘い続けることこそすべてを克服する」

はじめに

 私は大学に一浪し、二留して国家 I 種試験法律職に合格しました。以下は、私がどのようなことを考え、どのようにして合格したのか筆の向くまま書いていこうと思っています。読者の皆さんには、私の書いたことを少しでも参考にしていただけたらと思います。

京都大学に入る以前の話

 私は、父親が公務員の家庭に生まれ育ちました。父親はノンキャリアの警察官で、その働く姿を見て育ったものですから、「仕事」とは、社会や他人のために働くことであると思っていました。幼いながら、制服を着た父の姿にあこがれ、父のような警察官になりたいと思っていました。中学生くらいになってから、警察官にもノンキャリアの警察官と、キャリアの警察官があることを知りました。そして、警察官の世界が、強烈な縦社会であることをさとり、もし自分が正しいことを「自分の頭で考えて」行動しようと思ったなら、キャリア警官として働くのがいいのではないかと考えるようになりました。システムや制度の実行部隊として働くよりも、システムや制度を作り出すことによって、社会を変えたいと思ったのです。ちょうど中学生のころに読んだ、キャリア警官のことを書いた小説の影響もあって、将来はキャリア警官になりたいと思っていました。

 学校では、成績はよいほうだったと思います。地元でも、名のある中学、高校へ入りました。学業の面では、あまり苦労はしませんでした。しかし、大学受験に失敗することになります。そして、生まれて初めての試練を味わいました。

 京都に出てきて、浪人生活を送りました。予備校の寮に入り、勉強しました。そこで、ある詩人の先生に出会うことになります。その詩人の先生に魅せられて、文学部に入り、大学の先生になることを夢見るようになりました。そして京都大学文学部に合格し、入学しました。

大学時代〜国家 I 種試験受験を決意するまで

 大学に入ってから、初めは大学の自由な校風に圧倒されました。出席をとる授業も少なければ、課題などもあまり出ず、くるもの拒まず、逃げる(去る)ものは追わない方針で、自分が何をしたかったのか、何をすればいいのか見失っていました。そして、予備校時代に持っていた、文学を学び、大学の先生になるという夢は、自分にとってあまり大きなものではなかったのだなぁと思いました。そして、将来何になるか苦悩する日々が続きました。

 1回生の冬に掲示板に転学部の掲示がなされたとき、法学部に転部することを決意しました。なぜなら、大学に入って何かを身につけたいという気持ちが強かったことから、法学部に入れば、一番社会に出て役に立つ知識を身につけられるのではないかと思ったからです。

 大学2回生になって、法学部で本格的に法学の授業が始まりました。そして、法学が、社会にかかわっている大きさを知り、法律をもっと学んでみたいという意欲がわいてきました。そして、法律相談部へ入部しました。法律相談部では、ミクロな点で、法律が実際に作用している場面を見ることができました。相隣関係のトラブル、交通事故、相続、消費者金融……平和そうに見える世間にも、いろいろな問題が転がっていて、そして、法律が秩序を作っているさまを目の当たりにしました。また、世間には、本当に困窮している人がいることをしりました。 そして小さいころ持っていた、システムや制度をつくることによって社会を良くしていきたいという夢を思い出しました。

 大学の3回生になって、刑事学というゼミに入りました。そこで、犯罪被害者の対策について学びました。自分は、キャリアになって、刑事政策によって、社会をよくして生きたいという気持ちが強くなっていきました。(しかし、後の官庁訪問でこの思いは変わることになります。後で述べます)。このころから、具体的に国家 I 種試験を受験することを意識し始めました。しかし、予備校へいくでもなく、独学ではじめるでもなく、ただなりたいという気持ちを抱えたまま、なにもせずにいました。

クラブのこと

 大学に入って、体育会の少林寺拳法部に所属しました。浪人時代に、自分の体と精神力の弱さにコンプレックスを抱いていました。それを解消しようと武道を始めることを決意したのです。始めてすぐ、少林寺拳法の面白さに魅かれていきました。人間の体のつくりや、経穴などを学び、暇があったらサンドバックをたたいたりしてすごしていました。自分が強くなったと実感できる瞬間があれば満足でした。2回生になってから後輩ができ、責任の意味を学びました。そして、先輩、後輩たちとの付き合いを通して、人との付き合い方を学びました。3回生になって、少林寺拳法部の幹部を任されるようになりました。私にとって、幹部の経験は、精神的に強くなるよいきっかけとなりました。後に、2度の国家 I 種試験を受験する決意をすることができたのは、このときに得られた精神力が物を言ったからだと思います。とにかく、大学時代でもっとも時間を使ったのは少林寺拳法でした。

アルバイトのこと

 私は、1回生のころ、短期のアルバイトをよくしました。皿洗いや引越し、パン工場、コンサートの設営、売り子、警備員……たくさんの職を経験しました。そういった経験の中で、多くのアルバイトが社会を支えていること、そして、そのアルバイトは比較的弱い立場に立たされていることを知りました。そして、仕事をすることの意義を考え、やりがいのある仕事をしたいと思いました。仕事はお金を稼ぐためだけでなく、生きがいでもあることを実感したのです。

 家庭教師もやりました。5人の中高生を教えました。そこで、教える喜びを感じました。教え子を志望校へ合格させたときには、非常にやりがいを感じました。

大学時代〜国家 I 種受験開始

 3回生になってから、そろそろと国家 I 種受験の勉強を始めました。しかし、少林寺拳法部と法律相談部の仕事も忙しく、本格的に勉強を始めることはできなかったです。ちょうど、4回生の7月に七大戦が京都で開催されることになっており、その主管校として開催準備に追われていたため、ほとんど勉強することはできませんでした。そのため、5回生で合格するというプランを立てました。ですから、4回生のときは記念受験の状態でした。

 4回生の7月が終わり、少林寺拳法部を引退してから、某予備校に通って、ビデオブースを使って勉強するようになりました。そのときは、ちょうど法律相談部の委員長をしていました。今から思うと、ビデオブースの勉強は張り合いがなく、面白くなかったように思います。質問もその場でできず、かなりフラストレーションがたまりました。地方には、予備校の講師が来て生講義を行うことはめったにないので、東京の学生がうらやましく思えました。

1回目の受験

 5回生になって、法律相談部も引退し、ようやく勉強に集中することができるようになりました。そのころには、模試も受け始め、模試の成績に一喜一憂する毎日が続きました。

 勉強方法は、某予備校の出すテキストにのっとって、それを暗記する方法で行いました。基本書に戻ることもなく、部分部分の知識を詰め込む形で勉強していました。過去問は解きましたが、あまり詳しく突っ込んで考えることなく結果を覚えることを重視していました。その結果、1次試験は合格したのですが、K省に内々定をもらったにもかかわらず、2次落ちをしてしまいました。一口にいうと勉強が浅かったことが原因だと思います。これから国家 I 種試験を受ける人に反面教師として参考にしてほしいのですが、

  1. 基本書に戻らなかった。(なぜ、と思っても、時間を節約するために結果のみ覚えて、次に進んだが、それは誤りだった。)
  2. 2次試験対策をほとんどする余裕がなかった。(1次の後に2次対策をすることは非常に困難である。1次試験の勉強をするときに、この知識が論文でどういかされるか意識しながら勉強しなければならない。)
  3. 勉強時間が足りなかった。

 2次試験落ちは非常にショックな経験でした。国家 I 種試験1本に絞ってきたため、就職口がなく、秋採用も探してみました。しかし、自分にとってやりがいのある仕事をしたいという気持ちと、公共のために働きたいという気持ちが強く、もう1年受験することを決意しました。秋採用の某金融機関の面接で、「もう君は来年来ても、年齢制限で入れないから」と言われ、非常に決意は揺れました。しかし、全力を尽くして、もう一度やってみれば受かるだろうという自信と、もう一度受けないと、きっと後悔することになるだろうという思いが私を支えていたように思います。

2回目の受験

 5回生の秋から2回目の国家 I 種試験受験の準備を始めました。予備校をWセミナーに変えました。理由は、前の予備校の授業に不満があったことと、心機一転新しくスタートを切り直したかったからです。学力的には1年目より余裕があって、いろんなことができました。過去問を早めにつぶして、今までの疑問点を洗い出しました。そして、基本書を読み込みました。しかし、精神的には、今までで一番しんどかったです。「果たして自分は就職できるのであろうか?」というプレッシャーに押しつぶされそうになりました。6回生になってから、渡辺ゼミに入りました。ここで、勉強の方法や、気分転換の方法など、ご指導いただいて、プレッシャーとうまく付き合って行けるようになりました。模試の成績も1年目より上がり、無事、最終合格まですることができました。

 この文章を読んでいる人の中には私と同じような人もいるかもしれません。もちろん、私と同じように、2回目受ければ受かるという保証は何もありませんが、全力でぶつからないと、血路は開けないと思います。キャリアというのは、世間で言われているほど美味しい職業ではけっしてないと思います。労働時間も長く、若いころの給料もそう多くはありません。しかし、社会を変えていくことができる、やりがいのある職業だと思います。志の高い人はぜひ、もう一度受験して、合格してほしいと心から願っています。

民間企業と公務員

 4回生のときには、民間企業のリクルーターと面談をしたり、OB訪問をしたりもしました。しかし、結局、学生時代通じて、自ら活動し民間企業から内定をいただくことはありませんでした(6回生のときに、某情報系の会社に就職活動をして、面接で落とされたことはありますが……)。思うに、民間企業は、まず利潤を上げることが優先されるので、公益を図るという概念とあまりそぐわない。私は、そこが、民間企業に勤めたくは思わない理由であると思います。企業の人は、たいてい、自分の会社の社会的大きさを言い、金額にしていくらの仕事を扱って、それが満足につながったと言います。私の仕事に対する満足は、お金ではなく、人々が自己実現するのをサポートすることにあります。「どんな人も、自分が望み、努力しさえすれば、自分を変えられる。そんな社会の実現に向かって努力したい。やはり、自分のしたい仕事は、公務員なんだなぁ」と思う、今日このごろです。

官庁訪問

 私が初めて官庁訪問をしたのは5回生の時です。はじめは、刑事政策を扱いたいと思っていましたので、K庁に志望していました。しかし、K省で、すばらしい職員の方にお会いすることができ、その人に引かれて、K省に入ることになりました。初めは、安全は、人が自己実現を行ううえで、なくてはならない最低条件であり、その最低条件を整えるために刑事政策をやってみたいと思っていました。しかし、安全というのは、何も、治安だけでなく、健康や食品の安全も含まれること、そして、自己実現を行うお手伝いができるという点では、K省のほうが自分の希望に近いことをしり、K省に入ることに決めました。

 官庁訪問では、いろいろな人に会うと思います。もちろん、相手は自分のことを評価しているわけですが、こちらも、相手を見て評価してやろうという心持が大切なように思います。なにしろ、一生の大部分を過ごすことになるであろう職場なのですから。その中で、これは!と思える人に出会え、私は非常に幸運であったと思います。

 もちろん官庁訪問中いろいろ嫌なことに出会うこともあります。私の場合は、ある省庁で「他の省庁に行きたいのではないか?」と怒られ、誠意を持って対応してきたのに、大変ショックを受けました(今でも納得のいかないことです)。しかし、人間同士のことですから、そういうこともあると割り切りました。しぶとく生き抜く精神的なタフさが官庁訪問には求められると思います。

 これを読まれる皆さんも官庁訪問をなさると思います。皆さんが、自分の志望にあった省庁を見つけ出され、いい出会いを果たされることをお祈りします。

地方と東京

 国家 I 種合格者の圧倒的割合を東大生が占めていることはみなさんご存知だとおもいます。私は、京大生がなぜ、東大生ほど国家公務員にならないのか、考えることがあります。以下箇条書きでまとめてみます。

  1. 公務員になろうとする人の絶対数が少ない。司法試験を受ける人の数は多いが、国家公務員試験を受ける人の数は少ない。
  2. OBの数が少ない。
  3. 縦、横のネットワークが発達していない。
  4. 情報量が少ない。説明会も、東京で行われる分より回数が少ない。
  5. 予備校の本校がなく、生講義が受けられない。
  6. 官庁訪問中の負担は地方出身者のほうが、東京在住者に比べたいへん重い。

などがあると思います。このような格差をなくさない限り、東大生優位の現状は変わらないと思います。地方にも、優秀な人材が埋もれていると思います。このような人材を発掘すべく改革がなされてほしいと切に願います。

勉強のこと

 国家 I 種試験の勉強は教養、専門試験ともに非常に広い範囲から出題されます。ともすれば、勉強の効率を重視して、詰め込むことに終始してしまう人もいるかもしれません。しかし、そのような底の浅い勉強は、退屈なだけでなく余計に時間をかけてしまうことになり適当でないと思います。いちいち、基本書や六法、辞典等に戻って丁寧に勉強することをお勧めします。

今の心境

 今、日本は大変長く暗いトンネルの中にいます。官も民も政も軋みが出ています。きっと、高度成長、バブルと急速に発展してきたツケを払うべき時なのでしょう。これまでの体質を捨て去り、新しく、持続可能な発展できる社会に切り替わる潮時であり、一方では、チャンスであります。このような日本の変わり目に、国政を担うチャンスが与えられたことはとても幸運であると考えています。もちろん、官については、今、大変たたかれているところで大変でしょう。その分、やり遂げたときの喜びも大きいものと考えます。

 私は幸運にもスタートラインに立つことができました。これから、どのような仕事にかかわることができるのか、どきどき、わくわくしています。

おわりに

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。少しでも、多くの、志を持った方が国家 I 種試験の関門を突破されることを祈っております。特に、一度失敗した人を応援します。大変精神的にも大変だと思いますが、初心を忘れずがんばってほしいと思っております。終わってみれば、短いものです。

「闘い続けることこそすべてを克服する。」

 この言葉は、片腕を失っても強く生き続ける、隻腕の柔道家の言葉です。人によってその闘いは違うと思いますが、私の長い闘いは今始まったばかりです。投げ出さず、いじけず、こつこつと邁進していきたいと思います。

(了)
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