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キャリア・エリートへの道

自分を信じ、なりたい自分になる

はじめに

 この原稿を依頼されてから、どのように書こうか考えてきました。客観的に自分の半生を振り返ってみるのも悪くないと思いました。そんな機会は自分自身なかなかないと思いますし、また、これを見る方も変に主観の入ったひとりよがりの文よりもそっちの方がむしろ読みたいかもしれません。

 しかし、私は自分の心の動き、そして自己形成において大きな影響を及ぼしたと感じている出来事を中心に書いていくことにしました。なぜかというとただの履歴ならここで書く必要や意味がない、むしろ他ではふれることのできないよりセンシティブな話をしたいと考えたからです。

家庭環境

 まず、家庭環境はというと、父は東大卒のサラリーマンで母は女子大卒の専業主婦、そして兄が3人いる末っ子の四男として私は生まれました。小さい頃は遊ぶのが好きで、特にサッカーの好きなあまり風邪もひかない元気な子供だったと思います。次男の兄が個人的には憧れでした。というのもこの兄は頭がよく、サッカーもうまかったからです。

 そして、この兄が中学受験をしたのがきっかけで私も小学校5年生の時に同じ塾に通い、同じ中学を目指しました。兄と違い私は決して頭の良い子供ではなく、模試では勉強量は多かったのですが偏差値でいうと50前後を行き来する程度です。

 しかし、負けず嫌いだったこともあり学芸大学附属大泉中に合格することができました。ちょうど同じ年に一番上の兄は大学受験で、そこで兄は東大の理科 I 類に合格したのです。それまでも母からうちの兄弟は「兄弟が多く私立にやるお金はないんだから国立に行きなさい。東大に行きなさい」といったことは言われていましたが当時小学生の私には実感のない言葉でした。しかし、一番上の兄が合格したことでそのころから大学はきっと東大に行くことになるのだろうと思いましたし、そういった意識付けという意味ではこの出来事は私の進路に大きく影響を与えたと言えるでしょう。さらに、中学2年の年には2番目の兄が、高校1年の年には3番目の兄が東大に合格したのです。そのため大学受験では当然のように東大を目指しました。

小学校時代

 では、小学校時代、中学校時代、高校時代に私がどのように過ごしてきたかを紹介したいと思います。正直小学校の低学年のころは遊ぶ以外何もしておらず、成績は普通でしたし、運動神経はいい方でしたので特に悩みごともあった記憶がありませんでした。

 小学校5年生になり、受験勉強を始めるとどうしても周りとの比較が気になり始めました。目指す学校のわりに成績は良くなかったですし、先ほど紹介した頭のいい兄とも比較されました。しかし、幸いにも負けず嫌いな性格だったので「絶対合格してやる」と思い勉強していました。

中学校時代

 中学になるとサッカー部に入りサッカー漬けの毎日を送るようになりました。そこでは今でも付き合いの続いている多くの友人と出会い、帰りは友達と寄り道しながら家に遅く帰っては母とけんかしていました。

 それまでの私は自分でいうのもなんですが非常に素直な子で常識だと大人に言われると従っているような子だったのですが、この時期の友人の影響であらゆる物事に疑問を持つような思考を身につけました。これは非常に重要なことで今の私の物事へのアプローチの基本になっており、そうして突き詰めて納得してから行動するためより合理的な行動がとれるようになったのではないかと思っています。

 学芸大附属大泉に通っていたのですが、この中学校は内部進学で小学校からあがってくる生徒も多く、外部から入った私のような生徒は頭がいいとみなされていました。そのため私も外部から入ったというプライドがありましたし、また、それとは全く別に私の価値観の中で部活も遊びもしないで勉強だけしている人には負けたくないという気持ちもあり、家に帰ってからは勉強をしていたためある程度以上の成績は維持していました。そのため、順調に高校には進学できました。今思うとこの時期にさぼらずに勉強したことで勉強の仕方がわかりましたし、そのおかげで今の私があるのではないかと考えています。

高校時代

 高校1年生の私はサッカー部に入り、当初部活も勉強も両立しようと思い、また両立できると思っていました。サッカーでは、私の高校は学芸大附属高校なのですが、決して強い高校ではないため、1年生からレギュラーをとろうと心に決めており、また実際とれると思い込んでいました。

 ただ、実際入ってみると思っていたよりも同学年も先輩もうまく、レギュラーをとるために毎朝6時起きで高校の門が開くと同時に着替え、朝練をし、昼は筋トレをして残った時間はグラウンドに出てみんなと練習をしていました。私の代は熱心な部員が多く、朝、昼、また、部活のない日の自主練に多くの部員が顔を出していました。そんな生活を送っているうちに気づいたら塾もさぼるようになり部活にのめりこむようになっていたのです。しかし、サッカーに関してはそれだけ時間を費やし、一生懸命練習した甲斐あって1年生の半ばからは1つ上の学年でスタメンではないのですが試合に出ることができるようになりました。

 2年生になるとインターハイが終わり、3年生が引退して私たちの代になりました。そしてスタメンをとれたのですが、1つ上の代で試合に出してもらえていたし、うちの代になったころには監督は私を信頼してくれていたということで少し天狗になっていたのでしょう。私は練習や試合中に集中を切らすことがあり、伸び悩み2年生の終わりごろには時にはスタメンを外されるようなこともありました。これはまずいと思い、それからまた練習に励みなんとか公式戦にはスタメンで出ることができました。

 3年生になり、インターハイで私たちの代としては引退で、残りたい人間は選手権の予選、つまり夏過ぎまで残ることができる状況でした。私たちの代は目標として都ベスト8を掲げており、もちろんそこまで行くにはサッカー推薦をとっているようなシード校を倒さなければならず、私たちのような進学校行くことは普通に考えたら無理な目標でした。しかし、たまたま私たちの代は熱意のあるよいメンバーがそろっていて、弱小校にも関わらず私の代は都大会でベスト16まで行き、推薦をとっているような学校も破り非常に充実したものでした。当然部活をやっていく上で辛いことはたくさんありました。同じ部活の友人と意見が食い違いぶつかったことは数え切れないほどありますし、どんなに一生懸命練習してもうまくならないこともありました。また、スタメンをとるため、スタメンになったらそれを失いたくない一心で風邪をひていてもそれを家族や友人に隠して練習に出続けました。試合ではどんなに疲れていても自分が動かないとチームに迷惑かけてしまうので走りました。しかし、その結果として先輩や後輩との付き合い方や、同学年の友人に言っていいこと悪いこともわかりましたし、頑張ればその分報われることも知ることができました。この経験は何事にも変えがたいものとなって今の私の基礎になっています。そして、この充実したインターハイを終え、引退する仲間、まだ残る仲間が分かれていく中、私は自分がどうしようか決めかねていたまま7月になり、夏休みが目の前に来て友人が勉強している姿に影響を受け、また、新チームが自分達の代よりも弱く、いいところへ行ける気がしないこともあり、引退を決めました。これに関してはこの時期まで残った挙句辞めるというのは監督にとってはとても迷惑だったと思いますし、残ると決める友人に無駄に期待を抱かせるすごく自分勝手な考えをしたなと今になって悔やみます。

 なにはともあれ、引退し勉強を開始しました。しかし受験に関していうと正直現役の時は兄がみんな受かっていることもあり、自分も簡単に受かる気になっておりあまり勉強せず、落ちてしまいました。少しはサッカーをしていたため勉強が遅れていた影響もあるとは思いますが、主にそういった思い上がりのせいだったと思います。

浪人時代

 そして私が自分の中で一番の転機になったと考える浪人時代の話をしたいと思います。兄3人が現役で東大に合格した中で兄弟唯一浪人して当初かなりの挫折感を味わい、成功の道筋から外れたなと思いました。極端かもしれませんが浪人は能力の低い奴のすること、浪人の1年は勉強しかしない無駄な1年、それくらいに考えていました。浪人して1ヶ月もすると徐々に友人ができてきました。その中には私のそれまでの価値観を打ち壊してくれる人が何人かいました。彼らとは今でも仲良くしていますし、いまだに強く刺激を受けています。

 ではどんな人たちかというと、今までサッカーか勉強しかしてこなかった自分に対して、彼らは信じられないほど多くの経験をしてきていた本当にバイタリティー溢れる人たちでした。私はというとそれまでは学校の成績もそこそこでしたし、高校サッカーでも1年生の頃から1つ上の学年でもそれなりに試合に出してもらっていたこともあり、自分はなんでもやろうと思えばできるんだくらいに思っていたのかもしれません。しかし彼らはそんな狭い2つだけのことではなく、もっと多くのこと、たとえば音楽だったり服飾だったり絵画だったり。もちろんそれだけではありません。それ以外のさまざまなことに詳しく、私の知らないことを山ほど知っていたのです。そんなところでどんな虚勢をこっちが張ってもそれをあっさりと見破られてしまうのは当たり前です。虚勢を張ったところで見破られたら地の自分を見せるしかありません。そうして本当に自分が経験の少ない人間だと気づかされたのです。その中で、浪人時代の友人のよいところを素直に認め、それを吸収しよう考えられたおかげで価値観や考えの幅が一気に広がりました。そして、そういった人々の中で自分には何があって何が足りていないのか考えました。みんなが自分にはない武器を持っていて、当時の私の目にはとても輝いて見えたのです。そんな人たちと仲間でいたい。そんな人たちに認められたい。そんな一心で彼らに対して何をしたら勝てるのか、彼らが持っていなくて私が持っているなんなのかを毎日考え、探しつづけました。しかし、そんなもの簡単に見つかるはずもなく一時期自分は本当に才能も何もない自惚れていただけの人間かと思うこともありました。

 そこで考えたのが今何もないならこれから作るしかないということでした。私は根がポジティブなので、今はある意味それが私の一番の長所なのではと自分では思っているのですが、そういった性格が幸いしたと言えるでしょう。もし、そこであきらめていたらこの原稿の依頼がくるような場所にいなかったのではないかと思うからです。

 話を戻しましょう。何もないなら作ればいい、そう思った私はその友人たちをほんとにすごい奴等だと思っていたので(もちろん今も思っています)、彼らのいいところをとりあえず盗もうと考えました。たとえば、1人はバイタリティーに溢れていて、どんどんいろんな人に会ってその人たちの価値観を受け止めて自分のものにしていく積極性や柔軟性。また、なんにでも興味を持ち、興味を持ったらすぐに調べてそれを自分のものにしてしまう好奇心の強さと意志の強さ。完全に自分の形と考えのスタンスを持っている人もいました。しかし、彼らも当然始めから当時の彼らだったわけではなく、高校時代や中学時代から様々な経験をしてきたからこそ私が憧れた彼らだったわけで、私は彼らがしてきたことを全部やってやる、そして追いついてやる、それがいつしか目標になっていました。もちろん、そんな奴等が当時の何もない私を受け入れてくれたのも高校3年間部活をやっており、人付き合いという点で多くを学び、そのため彼らとうまくやっていけたためであり、それまでの自分を否定するなんてつまらないことをする気は毛頭ありません。否定せずにそれを受け止めた上でいかに成長していくかを考えられたからただ真似するだけでなく自分の色を持てたと思います。ただ、そうはいってもそんな最初から強い意志をもってやれていたわけではなく、全ての人たちの考えを受け入れていくうちに自分が見えなくなったり、これでいいのか、と不安に思うこともありました。

 そんな中親友として今でも付き合いを続けている奴が「お前のそのなんでも受け入れられるところってすごいよな」みたいに私のそのスタンスを認めてくれたのです。その言葉もあって自分の長所を、偏らずいろんな角度から物事を見られる柔軟性におこうと強く思うことができるようになり、自分少しずつ自信が持てるようになってきました。そうやって浪人時代1年始めはほんとにもう自分は世の中から遅れた人間だくらいに思っていのが、終わってみたらほんとに素敵な仲間と巡り会い、自分の長所・短所を虚勢を張らずに見つめ、等身大の自分を知ることのできたかけがえのない1年となったのです。そして1年が過ぎる頃には受験でしたが充実した1年を過ごした後には晴れて合格も待っており東京大学文科 I 類に入学することができました。

東京大学

 どうして東京大学を目指したのかを書いていなかったのですが、現役時代は偏差値志向と3人の兄が通っていたことが主な理由です。というより東京大学以外の選択肢が思いつかないくらいに自分は東大に行くんだと思い込んでいましたし、東大に行くことが目的になっている気がします。浪人時代は現役で受かっていった友人が遊んでいる中勉強を続けるにはそれなりのモティベーションのもとになるものが必要です。受験に関して言えば何故その大学に行きたいのかということでしょう。

 では、東大のメリットは、というと就職に有利だということが一番にあがるでしょう。では私はどこに就職したいのか。何をすれば自分を一番活かせるのかを考えました。上述した通り私は多くに人の考えを素直に聞くことが出来る、といことが長所だと考えていましたし、アイディア勝負で勝てるタイプではないのでとにかく経験と知識の蓄積で戦える場所はどこか、と考えた結果2つ選択肢が浮かんだのです。それは弁護士と官僚でした。その中で特に昔から歴史小説が好きで国を動かすのに少なからず惹かれていた私はその2つに通じている門として東京大学法学部という選択がはっきりと見えたのです。

 大学1年生になった私はとりあえず自分の長所を磨くことに専念しました。上でも書いた通り、私の長所は1つの考えに固まらないことなので、それを磨くにはどうすればいいのかと考えたところ、とにかくいろんな人に会って多くのいままで見てこなかった価値観にぶつかろうということでした。ただし、いろんな価値観の人と話す為には相手に私をつまらない人間だと思わせてはだめだと思い、経験を増やし、誰とでも楽しく話せるように会話の引出しを増やすことに時間を費やしました。また、多くの人に会える場所としてサークルに1つ入り、友達から誘いが来たら、ほとんどノーとは言わず、初めての人と会う場を積極的に設け、友達が何か新しいことをしたと聞けばそこに顔を絶対に出すなど、ほんとにエネルギーがいるのですが、なんとか頑張って経験を増やす努力を続けました。

 さらに思ったことは行動に移すということを意識しており、3月には海外に一度行っておくという意味をこめて、オックスフォードに1月語学研修に行ってきました。私が行ったのに刺激を受けて浪人時代からの親友が次の夏に語学研修をしたのを見て、私も人に刺激を与えられるようになってきたのかな、と少し自信になったのを覚えています。

 大学2年生になるころにはだいぶ経験が増えてきて自分に自信がついてきました。それは自分の自惚れでなく、実際周りに頼りにされることも増えてきましたし、友人同士で何かするときも声がかかることが多くなってきました。顕著な例でいえば、私の大学の語学のクラスは非常に仲がいいのですが、その仲間で私はみんなが評するところによると「使えない」だったのですが、この時期から幹事役をすることが多くなり、最近は「お前だめだなぁ」とはほんとに言われなくなっています。そして、自分に自信がついてきたこともあったのでしょう。それまでは人に誘われるのを待っていたことが多かったのですが、そのころから自分が人を巻き込んで何かしようということが増えてきました。はじめは当たり前のように苦労の連続でした。しかし、徐々に慣れてくるもので今では周りの友人も私は行動力のある人間だという風に言ってくれる人も増えてきています。

 また、大学2年生の夏以降サークルで私たちが中心学年になりました。それまで他にもしたいことが多すぎであまりサークルには寄り付いていなかったのですが、サークルの運営上、仕事もあるため少しずつ顔を出すようになり、サークルである以上当然上下の関係をいかにスムーズに結びつけるか、サークルに来ている人たちにサークルをどうしたら楽しんで貰えるのかを考えるようになりました。私は正直1年生の頃はサークルをそれほど楽しいとは思っていなかったのですが、大学2年生のころには楽しむ余裕も生まれており、ここでみんながそれまでサークルにでていなかった私を暖かく迎え入れてくれ、私自身そこに居場所を作れたことで今までやってきたことは間違ってはいなかったんだと確信しました。

国家公務員 I 種試験

 大学3年生の夏にはサークルの幹部を引退し、さて、これから国家公務員 I 種試験の勉強をはじめようと思いましたが、勉強から離れて2年半経ち、それ以外におもしろいことをたくさん覚えてしまい、また、私を笑顔で受け入れてくれる居場所をいくつもつくることに成功していた私はなかなか机の前にじっとしていることができませんでした。サークルに行ったり、高校時代の仲間とサッカーしたり、浪人時代の仲間と飲んだりしているうちに年が明けてしまったのです。

 しかし、ここでも私の性格が幸いしました。上述した通り私は負けず嫌いですし、人になめられるのは耐え切れないのです。それまでに官僚になると豪語していた私はこれは落ちられないとそれから必死で勉強しました。また、友人もみななんだかんだで私を受かるものと信じてくれていたため、その期待に応えたいといのもありましたし、一緒に目指しており、刺激を与えてくれる友人の存在も大きかったです。さらに、両親も22年も私の親をしていれば扱いに慣れているのでしょう。私がW(早稲田)セミナーに通いたいと言ったとき、「お金は出してあげるけど落ちたらその分返しなさい。受かったら返さなくていい」という条件をだしてきたのです。予備校代は馬鹿にならないですし、それは頑張ります。ということでなんとか試験は無事パスできたのです(「国家 I 種渡辺ゼミ」合格者からのメッセージ参照)。

 ただし、国家公務員を目指している人はこれだけで足りないのは知っていると思います。官庁訪問という最大の難関が待ち受けているからです。官庁訪問中控え室にいて思ったことは意外と経験値の低い人間が多いなということでした。自信過剰ととられても仕方のないことだと思いますが、実際そう感じたのです。私は大学時代ずっと自分は能力が高くはないのだから経験でカバーしないといけないと考え、動きつづけていました。その結果たいていの人と話す時に自分の経験してきたことばかりなので余裕がもてたのです。さらに、官庁訪問中の人事の方の私の評価として、行動力がある、また、誰からも高評価を頂いているということがあったのです。私はこの二点に関しては常に大学時代意識してきたこととだったのでとても嬉しく思ったのです。浪人時代に友人に追いつけ追い越せで行動できることは行動しよう、偏った考えを持たず様々な角度から物事を見て、独り善がりにならないようにしよう、誰からでも話しやすいように会話の引出しを多くもとう、どれも上の二点につながっていると思うのです。

後輩へのアドバイス

 官庁訪問を終えて今就職に向けて思うことは充実した大学生活を送れたなということです。そしてこれから大学に入る人、もしくは国 I を受けようと志している人、それに限らずみんなに言いたいのはすごいなと思い、こうなりたいと思う人が身近にいたら自分では無理だ、とかもう遅いと思わずがむしゃらに頑張ってみてはどうか、ということです。私は浪人時代一度は嫌になりましたけど最後には自分を信じ、なりたい自分にだいぶ近づけていると思いますし、国 I の勉強も1月になりもう無理かもしれないと思いましたが、最後合格できたのは最後まであきらめないで頑張れたからだと思います。

 自分を信じなければ新しいことはできないですし、成長できないと思うのです。どうかみなさんも自分を信じて、やればできると思い、うまくいかないことを才能や周りの環境のせいにしないで最後までポジティブに頑張って下さい。

(了)
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