小学受験は基本的にあまり推薦できない。
昭和50年代後半から平成元年頃まで、国立大学の附属小学校・中学校の子が内部進学のために通う塾で講師を経験した。下町にあった進学塾では、元気で生意気な生徒にさんざん手を焼いたが、それに比べると、素直で、いい子が多く、教え易かった。しかし、「俺は国立だ、おまえは公立か」と、露骨に公立の子を見下す子も一部いたと聞く。また、全体的に、何か「自分たちは他の子とは違うんだ」という態度が見え隠れしていた。小さい頃から、限られた階層や価値観の中で育ち、エリート意識をもってしまうのはどうか、とも思う。
もちろん、親の社会的地位は高かった。医師が多く、サラリーマンでも銀行や大手メーカー、なかには、国会議員の息子、老舗のボンボンや山手線内でプール付きの豪邸に住む子もいた。母親は、専業主婦がほとんどで、学校行事に積極的に参加しており、キャリア・ウーマンの母親をもつ子は、国立小学校の入学資格がないのかとも思われた。
しかし、少なくとも小学校の場合、親の職業が色々で、お金持ちの家の子も、普通の家の子も、貧乏な家の子もいるほうが、いい社会勉強になるのではないか。小さい頃からエリート層で凝り固まるのはどうかとも思う。まして、国立となると、税金でエリート層の子女を教育するのはどうかとも思う。
また、国立小学校の附属の子といえども、中学、高校の進学時でふるい落とされる。ふるい落とされる子のほうが少ないので、その子のショックは大きかったように思う。授業も先生の個性が出過ぎており、高度な内容もやっている一方、生徒の全般的な基礎学力は不足していた。そのせいか、中学、高校で入ってきた子のほうが、世間で言う「いい大学」に多く入る確率が高く、小学校から高校まで上がって、東大に入った子は話題になるくらい少なかった。
という訳で、少なくとも都内の国立小学受験は、社会勉強の面からも大学進学の面からも、あまりお勧めできない。それでも、公立小学校にいろいろ問題がある(この点は、後日検討する)から、あえて受験するのだという人もいる。しかし、そこから逃げるのではなく、公立小学校の問題点を改善しつつ、少しでもよい方向にもっていくことも大事ではないかと考える(ただし、この問題は国家的に取り組まなければならない問題であり、個人の力には限界もある)。
ただ、地方の国立大学教育学部附属の小学校と私立小学校については、私には生の情報がないので、何とも言えない。そこで、地方の国立大学教育学部附属の小学校については大手都市銀行に入った中島君のファイルを参照してもらいたい(後日掲載する)。また、私立小学校については、鈴木君は立教小学校からの生粋の立教ボーイなので、後日、彼に語ってもらうこととする。
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