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私の教育論
卒業式に思う (2002/3/18)
   先日、長女の小学校の卒業式に参列した。
 前日の体調があまりよくなかったので、無事に出席できるかどうか心配したが、薬が効いたので私も何とか出席できた。
 卒業生は121名(4クラス)。6年前の入学式の後、教室でクネクネしていた軟体動物達は立派な紳士・淑女の卵となっていた。
 5年時の途中のクラス編成(3クラスから4クラス)について校長先生は感想を述べられていたが、あの時は本当に大変だった。(40人学級か30人学級か?/40人学級か30人学級か?(2)/40人学級か30人学級か?(3)/40人学級か30人学級か?(4)
 しかし、今となっては「結果よければすべてよし」ということだと思う。反対派(抵抗派)の急先鋒だったI君のママは、編成後もPTA役員会で「アンケートをとりましょう」と最後まで抵抗していたことを心から校長先生に謝罪していた。反対派のN先生も他のクラスに行った子や新しくクラスに来た子をかわいがっていたようだ。私の娘もクラスは違うが、時々N先生の教室に行き、先生の肩をもんだりして、結構なついていたようだった。
 5・6年の担任のK先生は長女がクラスの一部の子からでいじめられていたのを迅速に対応し(いじめについて)、再びいじめの兆候があった時はすぐに察知し手を打ち、何といじめていた子達と仲直りさせてくれた。また、夜型の娘はほとんど毎日遅刻して行ったので親も困り果てていた(もちろん次女と長男は定刻に登校している)が、辛抱強く指導していただいた。最近には珍しい指導力のある先生らしい先生だった。
 1・2年生のころの先生は転任されてもういない。歳月の経過を強く感じる。
 3年時のT先生にも挨拶できた。T先生にはドリルで苦しめられた。(宿題の出し方から見た教育観/宿題の出し方から見た教育観(2)
 しかし、娘は漢字を練習するする習慣が身についたと前向きに捉えてもいる。しかし、やはり今も怖いようである。
 4年生の時のI先生ともお話ができた。I先生はストレスのため、昨年、半年ほど休んでおられた。「(3年前の家庭訪問の時に)お父さんにはTちゃんをもっと大きな手で抱きしめてくださいとお願いしましたよね」と言われ、一瞬たじろいだ。でも、「最近は、向うのほうから私に抱きついてきますよ」と言ったら、安心されていた。「同い年だし、お互いストレスを溜めないようにしましょう」と言って別れた。
 校長先生はクラス編成賛成派(少数与党)だった私達夫婦には親近感をもたれているようである。先生方の慰労食事会の途中に抜け出して、快く娘との写真撮影に応じてくれた。娘が通うことになる私立中学には同じ学校から進学する人が一人もいない。先生から「新しい友達はすぐできるよ」と励ましていただいた。「次女と長男をよろしくお願いします。あと5年もあります」といって別れた。
 卒業式で一番気になったのは、生徒はもちろん歌っていたが、国歌を歌う親がほとんどいなかったことである。昨年の長男の入学式の時とは全く違う。この1年間、政治家や高級官僚の国民不在の姿勢が繰り返し報道されてきた。また新学習指導要領に対する不安も高まっている(約4分の3以上の人が反対している)。信頼が失われつつある国、文部科学省に対する無言の抵抗のように私には思われた。
 逆に一番よかったのは、卒業生が二言ずつ小学校の感想や将来の夢を語っていたことだ。(娘は小学校の反省を踏まえ、中学校への期待を述べていた。)この国の未来にかすかな希望も感じたりした。
 夜、「ところでお前の将来の夢は何だ?」と聞いたら、娘はまじめな顔で「天文学者や漫画家やイラスト関係の仕事にも就きたいけど、内閣総理大臣になってこの国を立ち直らせたい」答えていた。病み上がりで少しくたびれている中年の親父は驚き苦笑せざるをえなかったが、少しうれしく頼もしくもあった。
 今、希望や夢を語ることが日本人、特に大人に必要なのかもしれない。
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